東大安田講堂事件から半世紀

 01/22/2020

 年明けに、東京の地下鉄丸ノ内線本郷三丁目駅を出たところにある名曲喫茶「麦」を訪れた。東京大学安田講堂をバリケード封鎖して立てこもった学生を、1969年1月18、19日に警視庁機動隊が排除、逮捕者が600人を超えた歴史の現場に近い。この店は、事件当日、学生だった筆者も、本郷キャンパスの激動に心を痛め、しばし時間を過ごした場所だ。半世紀の時間が過ぎ、昨年来、香港の学生デモなどに、かつての映像を重ね、考えさせられることが多い。

 

 久しぶりに訪ねた店は、ほとんど50年前のたたずまいそのままだった。学生守備隊長として立てこもった島泰三氏の著書『安田講堂1968-1969』には、活動の打合せ場所の一つとして、「麦」の名前が登場する。当時の経営者、川田宏さん(88)は「島さんはサルの研究を続け、昨年、引退の集いに顔を出しました」と振り返る。

 

 東大の管弦楽団メンバーが常連だったこともあり、店内には名曲が流れ、モジリアニなどの名画が飾られている。川田さんの話だと、ゲバ棒持参の学生も断らず、当時の学生たちとは、いまも交流が続くという。

 

 東大闘争の意味について、山本義隆・元東大全共闘代表は「国家に取り込まれている大学の教育と研究を問題にし始めた闘争」と著書『近代日本一五〇年』で指摘している。運動に携わった人たちは、それぞれの立場から体験と分析を伝える書物を多数出版し、50年の節目を迎えた昨年は、出版物の刊行や討論集会、シンポジウムの開催が特に目立った。

 

 東大闘争の発端は、医学部の登録医研修制度に対する異議申し立てだった。研修医を安価な労働力として医療現場に組み込もうとした政府・大学の方針に反対して、医学部学生らが68年1月、ストライキに入った。交渉過程のトラブルをめぐる一方的な処分をめぐって対立が拡大、闘争は全学に広がり、6月の安田講堂占拠と機動隊導入を経て全学ストに発展した。並行して日大全共闘(68年5月結成)による熾烈な闘いが、東大闘争と補い合う形で進行した。

 

 この間、筆者の大学生活は、授業はほぼ皆無。大学総長や学部長との団体交渉や集会に出たが、活動には積極的に参加しなかった。安田講堂陥落直後、69年の入学試験は史上初めて中止され、筆者らの卒業も6月末に延期された。

 

 筆者が体験した代償はその程度だが、東大全共闘に参加した学生たちは、「それぞれに決意した個人の集まり」(山本義隆著『私の1960年代』)として、あるべき人間存在を模索し、それこそ命がけの闘いに挑んだ。「大学の自治」が実は教授会の自治に過ぎず、大学教育の目的や在り方に根源的な疑問が投げかけられた。

 

 当時は、米国によるベトナム戦争が泥沼の様相で、日本でも「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)の運動や、米原子力空母エンタープライズの佐世保寄港反対闘争などが展開された。中国は「造反有理」を掲げた文化大革命の時代で、この言葉は東大構内の立て看にも大書された。

 

 先行してステューデント・パワーが爆発したフランスでは、カルティエ・ラタンを舞台にデモ、投石による警官隊との攻防などが激化していた。日本でも神田地区などが学生運動の現場となり、闘争は全国の大学に広がった。

 

 最近の世界情勢をみると、香港の学生たちの活動が注目される。香港政府が昨年2月に犯罪者を中国本土に引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例改正案」を公表、これがきっかけで学生たちの抗議行動が広がった。6月には100万人を超えるデモがあり、立法会(議会)、空港も占拠された。

 

 香港政府は9月に条例案撤回を表明したが、抗議の波は収まらず、デモに参加した学生の死亡事故も起きた。11月の区議会議員選挙で民主派が議席の8割を超える388議席を獲得して圧勝した。2014年の雨傘運動以来、一国二制度のもとで民主化を求める動きに、学生の力が大きく貢献している。

 

 世界の環境問題では、スウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさん(17)が15歳の時に提唱し実践してきた「気候変動のための学校ストライキ」「未来のための金曜日」の運動が共感を集めている。彼女は昨年、ニューヨークで開催された国連気候変動サミットに英国からヨットで大西洋を渡って参加。スペインの第25回気候変動枠組条約締約国会議(COP25、12月)にもヨットで参加した。金曜日のデモは、日本でも賛同の動きが広がっている。

 

 現在の日本の学生たちにとって、東大闘争、日大闘争などは昔話かもしれない。しかし山本氏らは1987年に「68・69を記録する会」を立ち上げ、当時のビラ、パンフ、討議資料など約5,000点を収集し、「東大闘争資料集」としてゼロックス・コピーのハードカバー製本28巻とマイクロフィルム3本を制作、94年に国会図書館と大原社会問題研究所に納めた。資料集はその後、DVD化され、歴史を生々しく伝える。

 

 若い学生たちに、その歴史を見つめ直してほしいと、筆者は希望を託したい。

 


高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の 追いつめる』『中坊公平の 修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ』を自費出版。


 

(日刊サン 2020.01.21)


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