塩沼亮潤大阿闍梨 『人生は毎日が小さな修行』 ハワイ講演会レポート

 03/09/2019

悟りを開くために毎日16時間、山道を約48キロ、9年間(千日間)に渡って歩き続ける『千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)』。そしてその後、千日回峰行を成し遂げたものが挑まなければならない、9日間飲まず食わず横にもなれないという「四無行」を成し遂げた、塩沼亮潤大阿闍梨。過去にはホノルルマラソンに参加したりと、ハワイに温かいお気持ちを寄せてくださっている住職が、2月23日(土)、ハワイで第4回目になる講演会「人生は毎日が小さな修行」を開催しました。 場所は、ホノルル・アカデミー・オブ・アーツ内のドリス・デューク・シアター。今回は初の試みで、千日回峰行や四無行の時の映像を交えてお話いただけるとのことで、会場には約300名程の人達が集まりました。会場では、塩沼亮潤大阿闍梨のオリジナルカレンダーやお守りなども特別販売され、あっという間にソールドアウト。お話を楽しみにしてきた方達の大きな期待が感じられました。

 

 

塩沼亮潤(しおぬま りょうじゅん) 1968年生まれ。高校卒業後、吉野山、金峯山寺で出家。1999年に千日回峰行、2000年に四無行を満行。大阿闍梨となる。この行を成し遂げたのは、歴史上2人目。故郷仙台市の秋保に慈眼寺を開山し、住職を務める。著書に「人生生涯小僧のこころ」(到知版社)「心を込めて生きる」(PHP研究所)など多数あり。 http://shionuma-ryojun.jp

 
 

映像を交えたリアルな講演会

 
講演会では、千日回峰行にチャレンジしようと思った理由、母親と祖母を残し、和尚様を親だと思って旅立った頃の心境、そしていざ修行が始まってからの様子を、自分が書いていた日記の一部を朗読し、当時の映像を交えながら語ってくださいました。当時、行をこなそうと必死だった塩沼住職の様子は、顔相も全く違い、髪や髭も当然伸ばしっぱなし。1日に1キロのペースで痩せていき、血尿が出たり、謎の高熱が続いて夢遊病のように歩き出したりと、生死をさまよっていた様子が映像から伺えました。
 
 
それでも、自分は今まで色んな人達に助けられてきたのだから、その人達のお役に立てるために、こんなことで諦めてはならない。おにぎりくらいしか食べられないとはいえ、世界には食にもあり付けない人達もたくさんいるのに、弱音を吐いていてはならない、神仏に誓った約束は果たさないとならない! と、自分の置かれた状況に感謝するようにさえなりました。行を終える最後の夜の日記には、「このまま体がもつのであればずっと歩いていたい。永遠に行が続いて欲しい。人生で一番素晴らしい日だ」と書いたのだそうです。
 
 

凄まじい千日回峰行の後に 漏れなくついてきたという四無行とは?

 
”9年間たったひとりで戦ってきた千日回峰行ですが、最後の日だけは何百人という人達が暖かく出迎えてくれました。それでも、和尚様からは「悟りは自慢するものではない、行は終えたら捨てろ。それに囚われるな」と忠告をされたそうです。その時、行に終わりはないと反省し、感謝の気持ちをもち、人に常に敬意を払い、神仏と自分の絆を更に高めていこうと新たに決心し、その後、待ち受けていた四無行に挑みました。”
 
会場では、この時の映像上映されました。9日間、全く食わず、水も飲まず、横たわったり、眠ることもできないという凄まじい行の様子は拷問そのもの。彼の殺気立った顔を見ると鳥肌が立つほどでした。生き葬式をして母や祖母に別れを告げ、ひたすら9日間、読経します。体重は更に減り、水を飲まないので血液がドロドロになり、動悸も激しくなり、数日後には自分の体から死臭が漂っていたそうです。今回、当時の映像と共にその体験を振り返ると、どれだけそれが凄まじいことだったのかリアルに伝わってきました。そしてその様子を淡々と、ユーモア交えて話す塩沼さんの姿を見ると、彼の人格の神々しさや素晴らしさを感じずにはいれませんでした。
 
約1時間半の講演後、来場者とのQ&Aが行われました。その興味深い内容をここにご紹介しましょう。
 
 

Q&A

Q 塩沼さんは仙台ご出身で仙台の慈眼寺(じげんじ)の住職だそうですが、東北の震災や津波の時に住職は、仙台にいらしたのですか?

 
A はい、仙台におりました。津波の後、数々の救済センターを回りましたが、印象的だったのは、この震災と津波をきっかけに皇室の悪口をいう人達が減ったということです。救済ホールに天皇皇后両陛下は積極的に応援に回られていましたが、ホールの雰囲気は瞬時に変わり、とてもありがたく感じたと多くの人々が言っていました。人の祈りは本当にありがたいことです。この経験で、祈りの大事さを実感し、私たちにはまだまだ祈りが足りないとも感じました。そこで私ももっと人々の為に祈りを捧げるようになりましたので、2年前にここで最後に講演会をした時よりも、自分の祈りの強さは強くなったと思っています。
 
 

Q 苦手な人との関係を改善する為に、嫌いな相手の気持ちになってコミュニケーションをとるようになったとおっしゃいましたが、それは無理にそうされたのですか? それとも自然とそうできるようになったのですか?

 
A 若い頃、「自分はお坊さんなのに嫌いな人がいてはいけない」と思っていました。でも、どうしても苦手な人がいました。でも、自分が嫌な思いをするのは、相手に嫌いだという気持ちが伝わっていて、心から優しい言葉をかけることができていなかったからだと気付きました。そこで、初めは無理矢理相手の立場になってコミュニケーションをとるようになりました。嫌なのは自分だけではなく相手も同じ。「僕がこんな気持ちで接していたら、さぞかし嫌だったでしょう、ごめんなさい」という心から反省して優しい気持ちで接すると、相手に振り回されなくなりました。また、こういう人が自分の周りにいるのは、自分の軸を太くしなくてはいけないと教えられているからだとも感じました。図太い人っていますよね!(笑)自分の軸を太くして嫌な人に振り回されないようになる為に、この人がいるんだなと受け入れると、相手はシュンとなるんです。そういう内面の強さは、相手にすぐ伝わるから、ごまかしが効かないですね。
 
 

Q 塩沼さんのお母様とおばあ様のお話がよく出てきましたけど、お父様のお話が一切出てこなかったから、ずっと気になってたの。お父様はどうしたの?

A 僕の父は太平洋戦争で亡くなりました。というのは嘘で(笑)、物心ついた時から僕の父は、母に暴力を振るっていました。そして僕が中2の時に離婚をしました。母に「どっちに行きたい?」と聞かれ、僕は母を選びました。母は、僕がその判断ができるようになるまで、我慢してくれていたのだと思います。でも、母や祖母はとても明るかったんです。だから一切、僕も暗い雰囲気で育った思い出もないし、僕自身もほら、こんなに明るいでしょう(笑)。51歳、いまだに少年のようです。
 

Q 20〜30代の若い子供がいるんですが、若い人に塩沼先生のような教えをどうやって教えていけばいいのでしょう? 人間としての成長をどう伝えればいいか悩んでいます。

 
A 僕は51歳ですが、60〜80代の友人も多いし、また20代〜30代の友人も多いんです。おじいちゃん世代の人達に若い人たちを紹介してほしいと言われるのですが、なかなか成立しません。というのも、今の若者はネット世代。挨拶もできないし、話がつまらないとクソジジイと呼んだりもするし、常識はあってないようなものだからです。でも、僕は若者からなぜかリスペクトされています。おそらくその理由は、すべての人に感謝する気持ち、反省の気持ち、年長者に嫌なことをしない、敬意の気持ちを持ってフレンドリーに挨拶をするということなどを普段から実践している姿を見てくれているからだと思うんです。一方的に最近の若者に何かを教えることはできません。自分の後ろ姿で教えるのが一番です。口だけでは無理。自分がまず彼らの模範となることです。僕はおかげさまで若者に可愛がっていただいていて、普通の住職じゃ来ないようなお仕事を頂いたりしていてとても感謝しています。教えることなんて何もないんです。一緒に生活して後ろ姿を見て学んでもらうと、彼らは変わってきます。それでいいんだと思っています。
 
 
 

 
 
 
Q&Aで会場が大変盛り上がったのち、感動した観客と気さくに記念写真に応じていた塩沼住職。これからも、ハワイのみならず世界でこういった講演会をしたりと、様々なご活躍を期待したいです。人生のヒントになることがきっと見つかるはず。次回、講演会の機会があれば是非参加してみてください! (取材・文 内田佐知子)
 
(日刊サン 2019.03.09)

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