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デジタル版・新聞

インタビュー

Dorakuオーナー ケビン青木さん

ア メリカ人にとって、本格的な日本のスタイルは少し居心地が悪いと思う

レ ストランを作るのは一番楽しい。デザ イ ンして、内装を考えて細かいディテールを考えるのが、僕にとっては一番面白い。レストランビジネスではテクノロジーはそれ程入れていないですね、レストランは人間の気持ちを扱うものだから。

 

僕のアイデアはオーセンシティティをお客様に提供すること。例えばタイレストランに行ったらタイにいる雰囲気を味わえるように、日本食レス トランでも日本に行った気分を味わって欲しい。だからといって、着物に畳の日本となると、僕のお客様には合わないと思う。そこが日本人が考える日本食と違うのかもしれない。

 

ア メリカ人のお客様にとって、本格的な日本のスタイルは少し居心地が悪いと思う。畳に座ったら足が痛くなるし(笑)。味はシンプル過ぎるので、 「味がない」と感じる。

 

日本食は素材の味を大切にするけれど、白人はソースがもっと大切。日本の素材を使 って少し変わったソ一スを作ると喜ばれる。

 

今アメリカにある日本食レストランは約 14,000件。その中で日本人が経営しているのはわずか20%しかない。アメリカで一 番多いレストランはチャイニーズ。以下、イタリアン、メキシカス日本食と続いています。日本食の知名度は上がっているけれど、日本人にとっての日本食と違うというのは、そういう事情があるからだと思います。

 

でも昔に比べてお客様がエデュケートされているので、最近は状況がだんだん変わ ってきています。うちでも前は白いお皿を使 っていたけれど、最近はもっと和風なものをオリジナルで作って使うようになりましたし。10年後はもっと変わっているでしょ うね。

 

日本のベ一スが一番大切なので、僕はよく日本に行ってアイデアを集めています。例えば、マイアミの2店舗では酒樽を20個設置して、酒蔵のような演出をしています。全体の雰囲気はそれ程変わらないけれど、ディテールはそうやって変えています。

 

僕は注文が細かいので、設計の人は僕のことをあまり好きじゃないと思います(笑)。だから最近は僕のアイデアを理解してくれる人と仕事をしています。その彼と一緒に新しいコンセプトで作ったのが、紅花ビレッジです。

 

 

世界展開

「紅花ビレッジ」はインドネシアのジャ力ルタに作った350席の大規模なレストランです。2010年の3月にオープンしました。客層はほとんど現地ローカルです。 全体のイメージは京都。京都の通りを歩くと小さなお店がたくさん並んでいるでし ょう、そういうイメージです。

 

全体はビレッジで、鉄板焼き、天ぷら、焼き鳥、などをコ テージのように小さな部屋で楽しめるようになっています。 ジャカルタのシェフは、まずDorakuで2 ヶ月ほどトレーニングしてからジャカルタに戻ります。その時に、ハワイかマイアミのシ ェフが一緒にジャカルタに行き、今度はジ ャカルタでトレーニングをします。

 

それから、今クアラルンプールにDorakuを作っていて、10月にオープン予定です。こちらは80席で、雰囲気もハワイやマイアミと似た感じです。現地のパートナーはまだ 若いので、自分が行くようなレストランを作りたいということでした。 中国も考えているけれど、まだ決まっていないです。他の国も行きたいけれど、時間がなくてなかなか行けないです(笑)。

 

 

父・ロッキー青木について

お父さんはすごい人だから、誰とも比べることはできない(笑)。お父さんのスピリッツでDorakuを大きくしたい。僕が子供のころのお父さんは、紅花を大きくするために一生懸命だった。僕は長男なので、その頃のことを一番良く知ってる。

 

最初の紅花が1964 年オープンで、僕は1967年生まれ。若い頃のロッキー 青木 は、クレイジーだった。父親としては、いつでも一緒にいてくれたけど、父親というよりは仲間みたいな感じだった。お父さんの息子であることを、とても光栄に思います。お父さんには誰よりも感謝しています。

 

僕は色んな人からお父さんの色々な話 を聞いてきました。お父さんはたくさんの人を助けてきました。直接ではなくてもお父さんの本を読んで勇気付けられた人もた<さんいると思います。お父さんは良い人と悪い人を見分ける力があった。

 

お父さんはインスピレイショナルリーダ ー で、アイデアマン。プロモーター的要素が強かった。僕はお父さんよりもおじいちゃん(青木湯之助)に似たタイプだと思う。オペレーターというか、エクスキューターというか、ディテールにこだわって、プロモーシ ョンを心配するタイプ。

 

おじいちゃんは、お店の何から何まで細かく携わっていた。僕が小さい時にこんなことがあった。お店に行ったら、トイレが詰まっているっていう。おじいちゃんは自分でトイレに行って、なんと溢れているトイレの便器に手を突っ込んだ(笑)!

 

自分のお店のことは、とにかく大切で、自分の子供のように思っていたんだと思う。おじいちゃんがいたからお父さんも才能を発揮できたんだと思う。 お父さんはレスリングの全米チャンピオンで、パックギャモンの全米チャンピオンで、メンズマガジンの創始者で、気球で太平洋を横断した冒険家で、たくさんのレベルの人を知っていて……、どうやってそんなにたくさんのことができたのかわからない。

 

お父さんは69歳で亡くなったけれど、ハ ッピーだったと思います。 「たくさんのことができた」と僕に言ったことがありました。お父さんは子供たち全員に扉を開いてくれた。子供たちは全員お父さんのことが大好 きでした。

 

 


ケビン・アオキ

1967年11月25日ニューヨーク生まれ。9歳で両親が離婚し、母親と暮らしていたので、カルフォル ニアとマイアミで少年時代を過こす。父の影響で、レストランビジネスの中で成長し、6歳の時にはレ ストランの道に進むことを決めていた。ハイスクールと大学ではレスリングをやっていた。大学後、紅 花でマネージメントなどを担当し、30件以上のオープンに携わる。 10年前にDoraku 1号店をマイ アミでオープン。その後独立し、現在ハワイに2店舗、クアラルンプールに出店と展開中。ジャカルタ では紅花ビレッジをマネージしている。 7人兄弟の長男。DJとして活躍しているスティーブンは弟、スーパ一モデルで女優のデポン•アオキ は異母兄妹。

http://www.dorakusushi.com/


 

 

 

(日刊サン 2011.06.09)

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