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デジタル版・新聞

インタビュー

BRUGベーカリー・オーナー チェ・ミホさん

見知らぬ中国で、プリンを売って年商15億円!

 

皆さんは“なめらかプリン”をご存知だろうか? ふるふると限りなく柔らかな口溶けで、フランスのクリームブリュレにも似た濃厚な生クリームの味わいと、ビターなキャラメルが絶妙のプリン。1993年に発売されるや大人気となり、その年流行ったナタデココとともにスイーツ界を席巻。今なお定番スイーツとしてロングセラーを続けている。

 

「なめらかプリンは今までのプリンとは違った、繊細な柔らかさが魅力です。中国にはもちろん売っていません。それを中国で手に入る原料を使って作れるよう、製造技術の開発をする。できた商品の魅力を確立するブランディングも行う。全く新しいビジネスを中国で一緒に立ち上げようというオファーです。私はこの仕事なら私のキャリアを活かせるかもしれないと思い、快諾しました」

 

ミホさん、快諾したと言っても、なめらかプリンなど作ったことはないし、パティシエの経験もない。中国でスイーツの製造工場を立ち上げるノウハウもないし、当時は中国語だっておぼつかなかった。決心させたのは、ミホさんの中の“やりたい”という情熱だけ。情熱を持って全身全霊でチャレンジしてみたいと思った。なんとも大胆な選択、壮大な挑戦!

 

「向こう見ずですよね(笑)。できるかできないかではなく、損得でもない。私自身が情熱を持ってチャレンジしたいか否か、それだけなんです。これは私たちが後にハワイに突然移住し、ブルクベーカリーを引き受けた時も同じでした」

 

ミホさんの中の発電所で情熱が燃えさかった時、ものすごい行動力と頑張りが生まれてくる。

 

なめらかプリンをやると決めてからのミホさんの動きは早かった。パティシエの修行を始め、同時に中国語の勉強もした。同時に原材料の調達や、同時に製造販売のオペレーションを具体的にシュミレーションしながら、開店準備を進めた。一体いくつのことを同時進行したというのか!? 

 

「寝る時間なんていらないと思うほど仕事に没頭しましたからね。なのでこれも同時になんですが、当時の夫とは離婚に至りました」

 

ミホさん、専業主婦に収まっていられないのは当然だ。外見は華奢で色白で若く見える女性ではあるが、内側には男に勝るとも劣らない、自家発電できるターボ級の強靭なエンジンが装備されているのだから。自分で定めた道に、アクセルを踏み込むしかないのだ。 「結局、起業したのが2009年で、2010年に上海に1号店を出店。2年後の2012年には42店舗にまで伸び、現在の年商は15億円です」

 

困難も障害もあった。なんせ共産党の独裁による市場経済で、賄賂は当然。日本人で女性だなんて、対等に扱われないどころかバッシングの対象でしかない。だから対外交渉など、オモテの仕事はすべて中国人の仕事のパートナーに任せた。ミホさんは裏方に徹し、なめらかプリンの製造の現場で黙々と働き続けた。

 

「あたりには何もない郊外の工場で、朝から晩までプリンを作り、品質維持に細心の注意を払う−−。事業を成功させた自負はありましたが孤独でした。出店にお金を使っていたので、私自身の給料は極力抑えて貧乏だったし(笑)。その頃、現在の夫と出会い、私、初めて子どもを産みたいと思ったんですね。彼はスペイン人で年下でしたけど、とてもニュートラルな考え方をする人で、尊敬できました」

 

ミホさんの姓はフェレナンデスに変わった。

 

パティシエの修行を始めた頃。プリンだけではなく、さまざまなスイーツを学んだ。向かって左がミホさん

上海に初出店した頃のスタッフと。若くて元気で流行にも敏感な彼らのため、ミホさんは制服もデザインした

2010年、上海で“なめらかプリン”1号店をオープン。大ヒットし、今もなお人気!

 
 

 

急転直下、中国からハワイの新天地でブルク経営へ

 

その頃、2013年7月、中国大陸からはるか7万km以上離れたハワイ、オアフ島アラモアナセンターの旧シロキヤ内に、ブルクベーカリーが誕生していた。

 

北海道におけるブルクの創業者と、後を託した社長の共同経営によるBRUG,LLC、初の海外進出。日本とは全く違う、出店の法規制や商習慣に翻弄され、当初の予定より3ヶ月遅れての開店だった。

 

ブルクは予想をはるかに上回る繁盛ぶりで、閉店前に商品が売り切れてしまうほど。現場のスタッフも予想以上の盛況に疲れ果てていた。当時の社長は日本とハワイを行き来しながらオペレーションをしていたが、それにも限界を感じ始めていた。

 

ブルクハワイの躍進を聞いていたミホさんは、私も一緒に携わりたいと名乗りを上げた。ブルクハワイの社長はミホさんの大学の先輩でもあり、英語、日本語、中国語、韓国語、スペイン語を操るインターナショナルな女性で、日本のシンクタンクでの活躍や、中国でプリン事業を大成功させた優秀さをよく知り、個人的にも非常に信頼を寄せていた。

 

「ハワイは航空会社時代から何度も来ていたお気に入りの地で、私は長男を妊娠中でした。子どもを育てるにもいい環境だなって思ったんです」

 

またまた見知らぬ地へ? 国境と太平洋を飛び越えて? パン作りだってきっと初めてだろうし!?

 

「そう、なにもかも初めて! 私、新しいことにチャレンジするのが好きな性分なんですね」

 

妊娠中の環境の激変、心配じゃなかったですか?

 

「ぜんぜん! ハワイで子育てするのも楽しいかもしれないね〜って、夫と話したんです。夫はアルベルトというんですが、私、アルベルトと出会えて本当に良かった。家庭のことも仕事のこともなんでも話し合えるし、お互いに支えながら向上できるんです」

 

夫ラブ! 実はミホさんは無茶苦茶オトメ♥ かくしてフェレナンデス一家は2014年3月、新天地ハワイに上陸したのであります。第一子の長男はその年の7月、ハワイで元気な産声をあげた。

 

2013年、旧シロキヤにブルクベーカリーハワイ初出店。ミホさんも経営に参画し、パン焼き職人として陣頭指揮をとった

 

 

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