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インタビュー

2019ホノルル歌舞伎:満員御礼で御座りまする

三代目 鳥羽屋三右衛門 さん Tobaya San’emon

歌舞伎の伝統のあるハワイで成功!熱い拍手を感謝し、次に繋げたいです

 

 歌舞伎というと、芝居や踊りを想像しがちだが、歌舞伎には“音を鑑賞する”魅力があることを伝えてくれたのが、当代一の長唄の名手、鳥羽屋三右衛門さんだった。 「歌舞伎の“歌”は唄や楽器の音色、“舞”は踊りや芝居の演技、“伎”はすべての技能の集大成ということ。歌舞伎は音楽と俳優の演技や景色が一つになる、日本を代表する総合芸術です」

 

ホノルル歌舞伎では『音で観る歌舞伎』と題し、三右衛門さんが歌舞伎で使われる三味線や太鼓など、和楽器の音色の使われ方を紹介。 「歌舞伎では“黒御簾(くろみす)”と呼ばれる、客席からは見えない舞台の端で三味線や大太鼓、笛などを奏でています。ちょうどオペラのオーケストラボックスのような存在です。楽器は曲目を演奏するだけでなく、人の心模様、雷や海の波など自然界の音なども表現します。映画やテレビでズームアップするような場面の変化も、歌舞伎は音で伝えます。歌舞伎が始まった400年前から使われてきた、音の演出は実に多彩で知れば知るほど面白いものです」

 

映画やテレビが始まるずっと前から、歌舞伎は効果音の数々や場面変化の演出を表現してきたのだ。 「長唄も歌舞伎の中では重要です。唄と三味線による音曲で、主人公の心情を唄ったり、ストーリーを唄ったり、芝居の場面を盛り上げたり、とても多様な使われ方をします」

 

ホノルル歌舞伎では三右衛門さんの父で、人間国宝の七代目鳥羽屋里長(Tobaya Richo)さんの長唄も披露された。芝翫さん同様、親子共演である。里長さん一家は娘も長唄の師匠。三右衛門さんは3歳から祖母に長唄を習い始め、長唄一筋に邁進してきた。

 

「長唄の世界では40歳50歳は若造と言われます。歌舞伎の公演は25日間休みなしで上演され、若い頃は年に数日休みがあるだけのハードワークで、年間350日は唄っていましたね。私自身、50歳を過ぎてようやく、自分の芸が見えてきたかな、っていうところです。でもこの世界は80歳代も現役ですからまだまだこれからです」

 

リハーサルでも本番同様100%の声量で唄いきる鳥羽屋さん親子。相当の体力だ。御歳82の里長さんに聞いてみた。 「全身を使って唄いますからね。足首あたりからエネルギーが入ってきて、腹から喉へ音が生まれて伝わっていくんです。確かにね、60歳でも70歳でもまだもっと上手くなれるという感じでしたよ。80歳を過ぎたら声質がね、無駄な力が抜けて逆に良くなってきたかな。芸にこれでいいなんて到達点はありませんからね、毎日違うんです。一曲を完璧に唄えることなんか、なかなかありませんよ。だからやめられない(笑)」

 

里長さんは52年前、ハワイで歌舞伎が上演された時にも来ていた。 「私の父の二代目芳村五郎治と一緒にね、あの時も親子で唄いました。それでハワイに一目惚れしてしまって、家族でハワイに来るようになったんです。息子の三右衛門を初めてハワイに連れてきたのは5歳の頃だったんじゃないかな」

 

 

 

 

 

三右衛門さんはカマアイナのサーファー、だからこそハワイに恩返しをしたい

三右衛門さんが初めてワイキキの海でサーフィンをしたのは8歳くらい。 「今でもロングボードに乗っています。40代の頃に喉の手術を受け、しばらく舞台に上がれない時期があったんです。その時、ハワイ大学の英語コースに3ヶ月通いました。早朝にサーフィンをするのが日課でね、一度、沖のポイントで怪我をして、ローカルのおじさんが応急処置をして助けてもらったことがあります。20針も縫う大怪我でしたが、ドクターからファーストエイドが良かったから大事に至らなかったと言われました」

 

翌朝、三右衛門さんはビーチに行き、お礼を言った。おじさんはライフガードの元キャプテンだった。以来、三右衛門さんは“BOON”と呼ばれ、ローカルの仲間からオハナ(家族)として深い付き合いが生まれた。

 

「ハワイでは親身にしてもらった思い出がたくさんあります、だからいつか恩返しがしたいという思いが強かった」  2019ホノルル歌舞伎は、BOONさんのハワイラブから生まれ、自ら実行委員会を立ち上げた。そしてスポンサー探しから諸々の許可、日本での根回しや大道具や和楽器の運搬の段取りなど、献身的に貢献し、3年掛かりで実現することができた。

 

そして驚くことに、ホノルル歌舞伎の幕開け直前まで、三右衛門さんはハワイ大学の演劇学部で歌舞伎の授業を受け持っていた。

 

「150年前に日本からの移民が始まり、ハワイの入植地に芝居小屋が建てられ、日系人による地歌舞伎が生まれたそうです。ハワイ大学の演劇学部では100年近く前の1924年から学生と日系人で、英語による歌舞伎トレーニングが行われ、上演会が催されてきました」

 

日本以外の地で、こんなにも歌舞伎の伝統が根づいているとは、ご存知だっただろうか!? 現在は、歌舞伎研究者であるジュリー・イエッツィー教授が中心になって授業が行われ、2021年の春にケネディーシアターで『青砥稿花紅彩画(白波五人男)』を上演する予定だ。

 

「今回は2回、授業をすることができました。歌舞伎公演での白浪五人男の映像を見ながら、三味線や笛、太鼓がどんな使われ方をしているのか勉強したり、実際に長唄を唄う練習もしました。学生は興味深そうに学び、質問もいっぱい。本当は日本の授業にこそ取り入れてほしいんですけどね。僕にとっても貴重な体験で、これからも継続して教えていきたいと願いっています」

 

またすぐハワイに来なければなりませんね。

 

「はい、カマアイナですから(笑)!」

 

 

 

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