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デジタル版・新聞

インタビュー

女子プロレスラー ジャガー横田さん

ご主人との出会い

後輩の紹介といわれているんですが、いわゆるデート的な紹介ではないんです。後輩がやっていた異種格闘技の試合に、リングドクターとして主人が来ていたんですね。主人も自分の後輩に頼まれて来ていたようです。

 

その試合の時に 「お世話になってる木下先生です」、「先輩のジャガーさんです」って言う形での紹介があって、休憩中の 10分くらい立ち話をしてその場は別れたんです。

 

その一カ月後にもう一度同じような大会があって、そこで再開して又同じように立ち話をして、休憩が終わるころ 「じゃあ」って別れる時に、主人のほうから「結婚を前提におつきあいしてもらえませんか?」って言われました。

 

全く意識してなかったので私も本当にびっくりしました。全部でも数十分しかしゃべってないのでね。たぶん今までに会ったことのないタイプの女性だったみたいですね。きっと、なにか気持ちに残ったような考え方があったんじゃないんでしょうか。

 

それで最初はまずお食事に行きまし ょうってことになったんですが、 「いったい医者の食事はどういうところに連れて行ってくれるのか?」なんていやらしい考えでね (笑)まぁ、その時彼氏もいなかったので、純粋にありがたくお食事をご馳走になろうという考えで行きました。

 

それで、2度目か3度目に会った時に、結婚のことを再確認されたんですけれども、「結婚はまだ分かりませんが、重ねて考えて行きます」っていうような感じで交際を続けてきたんですね。

 

私のほうが7つも年上なので向こうの親御さんの反対もあったんですが、主人が説得して承諾をいただくのに1年くらいかかったこともあり、出会ってから1年半後、私が後一週間で43歳になるという時に結婚したんです。

 

 

結婚後、不妊治療をして妊娠にいたるまで

自然妊娠を願ってたんですが、1年以上できなかったので、これは悠長にしていられる年じゃないねってことで検査をしたんですよ。それでその検査で問題が発覚して。

 

大きな筋腫がど真ん中にあるってわかったんです。でもまあ良性なので、閉経が近いから普通なら取らなくていいだろうということなんですが、私の場合は妊娠したかったので、筋腫を取る前提で主人が後輩の産婦人科医にレントゲンを持って相談に行ったんです。

 

最初は自分の妻であることを隠して、年齢や妊娠を望んでることを説明したら、す こいシビアな返事が返ってきたんです。その時は44歳で自然妊娠の確率はとても低く、一番確率の高い体外受精をしたとしても、少し確率があがるだけなんですよ。

 

それでお腹を開けて手術をして筋腫を取っても、体に負担がかかるだけで確率は低くいままで、再発を防止するために、手術をするなら子宮こととってしまうのが普通らしいんですね。でも子宮を取ってしまったら絶対に妊娠はしないんですよね。

 

私の選択肢としては、とにかくいらないものを取ってしまって、少しでも確率があるならスタート地点に立ちたいという思いが強かったんです。筋腫があるままだったり、子宮を全部と ってしまったら可能性は0になってしまうんですよ。そのわずかな確率でも私はかけたいと思ったんです。

 

当時はですね、私の年齢では体外受精も3回チャンスがあるだけだって言われてたんです。その年でお金をかけてまでやる意味がないってことや、確率が低いのに大きなリスクを背負うわけですしね。

 

そのうちの1回がだめになったときには精神的にどん底に落ちました。 「ぁぁ、これで主人には子供を抱かせてあげることができないんだなって」。 でもまあ、主人は年行った嫁を貰うわけですからね、子供ができないかもしれない ってことは判断して結婚してるんですよ、子供を望んでるなら私は選ばないと思いますからね。

 

あの時主人が、 「筋腫を取る手術は高いリスクを背負うから医者としては勧められないけど、あなたの意思を尊重したい、僕はやれともやるなとも言えない」って、悩んで悩んで私に聞いたのに、 「何を言ってるの、筋腫を取ったら確率は0%じゃないんだよ」って私が即答しましたから、主人はび っくりしてましたね(笑)

 

主人は私がもっと悩んだりすると思ったみたいですよ。でも主 人の子供を生めるのは、妻である私しかいませんから。 私自体は子供を持ちたいという願望はそれまで持ったことがなかったんですよ、もしそうなら40過ぎまで独身でいるなんてありえないじゃないですか。

 

私はプロレスをや って好きなように生きてるから、結婚や出産は別になくてもいい、そういう人生もあるのかなって思って生きて来ました。でも結婚して好きな人の子供を生みたいって気持ちになったんですね。

 

 

45歳で自然妊娠、自然分娩

ハワイで長男の大維志(たいし)を出産しました。オバマさんが生まれたカピオラニ病院で出産したんですよ。結婚する前からハワイには何度も来てますし、結婚後も主人と一緒に2度くらいハワイに来てたんです。やっぱりハワイの気候とかがよくて、す こく穏やかな気持ちになるんですよね。

 

ハワ イの皆さんの心があたたかいって言うのを感じ取ったときに、こういう場所で子供を産んで、ここを我が子の故郷にしたいなって、我が子にも穏やかで優しくて、あたたかい子になって欲しいって思いが強かったんです。 生まれ故郷になれば年中行き来するようになるんで、そういう環境のもとで育てて生きたいなって言うのがありました。

 

それは私たちに経験のないことじゃないですか、だから我が子にはそういう経験をさせたいなって思ったんです。大維志が生まれてからは、年に1回は必ず来てるので、大維志も既に6回は来てるんじゃないでしょうか。

 

 

出産に対しての喜び

喜びはどこの親御さんも同じだと思うんですけれども無事生まれたときは、安堵感しかなかったんですよね。子供も私も無事で、 「オギャー」って子供が泣いた時に、 「あー生まれたんだ、よかったー」って言う安心感しかなかったんです。

 

私自身がもっと泣いたり乱れたりすると思ったら、主人が先に大維志を抱いて泣いてるもんですから冷めてしまって、人が酔ったら酔えないのと一緒で、主人に先に泣かれたら、泣けなくなって。私の場合テレビカメラが回ってましたからね、「お前のせいで泣けなかったじゃないかよ~、それは私の役だよ~」って感じのふざけた雰囲気が現場にはあったんですが (笑)

 

「生まれてきてくれてありがとう」って言いながら泣いてる主人をベッドから見ながら、 「それは私のセリフだろ~、私に産んでくれてありがとうって言ってくれよ~」つ て思いましたね(笑)

 

 

51歳の今も不妊治療中

私の場合は年齢的なことだけで、どこが悪いって事はなかったんですが、どこかが悪い人や、原因が分からないのにどうしてもできないっていう若い人のほうが、私より悩みが大きいと思うんですね。今でも不妊治療はしてるんですが、お医者さんから「もう無理ですよ」って言われるまでは続けようと思ってるんです。

 

大維志を生んだときより、今のほうが不妊治療の技術は進んでると思うんですね。なので当時より可能性が高いと思うんですよ。私は今50を過ぎてしまつて生理があがるかどうかの瀬戸際で、 2ヶ月に1回卵子が出来て、その卵子をやっととって体外受精させるんですが、それが成長途中でダメになってしまうんですね。

 

それは年齢の問題なんだろうと、何度も肩を落としたり、涙をウルウルさせた時もありましたけれども、今はちょっと慣れて来てしまったりもしているんです。

 

もういつ止めてもいいのかも知れないんですけれども、せ っかく今までがんばったのにって思う気持ちや、つい最近53歳で妊娠されている方がいるっていうニュースを聞くと、今、可能性は0.0いくつかも知れないですけど、0になるまでやらなければ私じゃないなって言う気持ちでいます。

 

やらずに後海したくないんです。人生に悔いを残したくないんです。 たとえばプロレスも復帰するときに、悩む人もいるんですけど、今しかないこのチャンスを逃して、後でやればよかったと思いたくなかったんですよ。だから後海のないようにやってたし、やったことを今でも後悔はしてないし、だからやらずの後悔は私の人生においてはないんですね。

 

性格的にいろんなことを考えて、抑えてる人ってた<さんいらっしゃると思うんですよ、仕事だけじゃなくて。だけどそれって自分の人生だから、やっての後悔より、やらずの後悔のが悔やむんじゃないかなっていう風に思うんですよね。女性も強く生きる時代になってきてるんです。

 

子供のことだけじゃなくって、最初からダメって思ったらダメなんですよ。ダメと思った地点で可能性が0になってしまうからね。何に対してもがんばろうって気持ちが大切ですよね。

 

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