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デジタル版・新聞

インタビュー

医師 日高恒彦さん

ハワイは老人天国

ハワイに来るようになったのは12年くらい前です。現役の頃から「リタイヤしたらハワ イに長期滞在したいな」という思いはありました。色んな面でハワイが良いというのは分かっていましたから。一度来ると何度も来たくなる。 「ハワイ病」みたいなものですね。

 

ハ ワイは基本的に生産性がない消費都市。老人天国というか、ボーっとして過こすには良いけれど刺激はあまりないところですよね。老人には良いけれど、若い人にはどうなのでしょうか。物足りないかもしれませんね。

 

総合的にはとても良い所です。田舎があり都会があり、なにもかも揃っていますから。 僕は年に3回<らいハワイに来ます。1回の滞在は1ヶ月以内。何回か来るうちに友人もできますし、そうすると楽しくなってきますね。

 

シニアライフ協会がきっかけとなって友達も増えましたし。日本では会わないけれど、ハワイではよく会うという人もいます。ゴルフは週3回くらいしています。10年くらい前にコンドミニアムを買って、いつでも来れるように荷物も置いてあります。

 

ここは高齢者に対して非常に良い所。色んなサービスが行き届いている。高齢者が堂々と暮らしていますよね。こういうところ ってあまりないんですよ。高齢者というのは片隅に追いやられて肩身の狭い思いをしている所が多いんです。だいたいどこも若者中心というか、働く人が中心に社会は成り立っているわけです。

 

そうすると、リタイヤした人間は隅っこに追いやられて表に出る場があまりないんですよ。 その点ハワイは消費国ですから、高齢者である程度お金を持っている人が適当にお金を使って楽しく暮らすことができる場所のような気がします。

 

高齢者や障害者が堂々としている。大抵の都市は遠慮してますよ。日本もそうですし。若い人が通る時は道を空けなければならないというような気がしてしまうものです。

 

 

南国暮らしの会

 

僕は「南国暮らしの会」というNPO団体に携わっております。高齢者は日本の寒い冬を過ごすのは大変ですから、リタイヤしたら物価の高い日本で暮らすよりも物価の安い南国でお互いに助け合って暮らしませんか、という集まりで、設立してから10年くらい経っていると思います。

 

2000人くらいの組織で、メールで情報交換をしています。会員が一番多いのはマレーシアのペナンやタイのペナン、インドネシアのバリ。台湾も支部があり、フィリピンはマニラ・ダパオ・ バギオなど。ハワイ支部もあるんですよ。

 

ただ、ハワイは年金生活者が暮らすにはち よっと無理があるのであまり活動していません。もっと物価が安いところが中心です。傑は一通りの国に行っています。 日本は冬が寒いじゃないですか。高齢者は3ヶ月もあの寒さの中で暮らすのは大変ですから、温かい所で過こすのは良いと思います。

 

仕事を辞めて低所得となると、選択肢は 「日本より物価の安い東南アジアの鼠ということになります。以前はオースト ラリアも人気があったのですが、今は物価が高くなりすぎてしまいました。 たまたま今は円が高いので日本から東南アジアには行きやすいですけれども、東南アジアがインフレになって物価が上がる可能性はあります。

 

しかし、急には変わりませんから、この先5年10年は今の状態が続くと思います。その先は分かりませんね。 日本は高齢化社会になった時に、介護する若い人がなかなかいない。若年層が減っていくけれど、高齢者は誰が面倒をみるのか?

 

家族は少ない上に親の面倒をみる時間もない。そうなった時に、東南アジアでしたら安い労働力で介護を頼むことができるわけです。東南アジアなら月l万円で介護をする人を雇えるわけですよ。日本ではこの値段では難しいのではないでしょうか?

 

給料を月に20万円くらいもらっていたとしても、日本では月1万円じゃ介護は雇えない。収入が月10万円の年金でも、東南アジアならば簡単に介護を頼むことができます。 そういうこともね、やっぱり行った人でないと分からないかもしれない。

 

老後が心配で介護をする人もいないと困っている人もね、解決する方法はあるんですよ。ただ知らないだけ。ハワイだって寝たきりになったら困るでしょう?お金を10万20万と払えば介護も頼めると思いますけれどね。

 

日本人は日本にこだわりすぎているから、日本の中だけでなんとかしようとする人が多いけれど、思い切って東南アジアにも目を向けていったらいいと思う。介護の問題なんかは多少解決する部分もあると思う。ひそかにそういう受け皿づくりをしようとしているところです。

 

ダバオでは今回の震災の受け入れも行ったんですよ。これはダバオ市が協 カしてくれてね。 「ジャパン ・ フィリピン•アソシエーション」という団体がダバオにあるんです。そこで被災した人を受け入れまして、今もまだダバオで生活している人がいます。

 

 

病気になったことを非常に感謝しています

僕が経営していた病院は、ベッド80床、従業員70名、医者は5人いました。33歳で開業しまして、25年間続けました。開業した時はお金は全然なかったのですが、バブルでしたから銀行が全額融資してくれました。日本が右肩上がりのいい時代でしたね。

 

初めは小さい病院でしたが、だんだん大きくしていくことができました。 57歳で病気になり、思い切って病院を売却したわけです。医療法人でしたから、それを株式譲渡しました。経営者が代わっただけで、患者も従業員もすべてそっくりそのまま引き継いでいます。

 

本当にトップが入れ替わっただけです。たまたま銀行に相談を持ちかけたら、1ヶ月もたたないうちに買い手が見つかりました。銀行は融資しているので経営責任があるわけですから、親身になって相談に乗ってくれます。

 

買い取ってくれたのは三代前の総理大臣の麻生さんの会社なんですよ。麻生セメントという会社が福岡県で病院を経営しているんです。 病気をしなければずっと仕事をやっていたかもしれない。僕は病気になったことをプラスにとらえています。

 

病気になった時はショックでしたが、後で考えてみると「病気になって良かったな」と思えました。病気になったから仕事を辞めることができたし、今まで味わえなかったことを楽しむことができて、病気になったことを非常に感謝していますね。

 

その時にカテーテルを入れて、心臓の血管を広げる手術をしたんです。もう10年経ちますが、なんともない、元気にやっています。今の生活が体にも良いのでしょうね。 あの時無理して仕事を続けていたら、今頃死んでいたかもしれない。

 

病気の最大の 原因はストレスだったと思います。朝から晩まで働いていましたから。蓄積疲労で過労死という人は多いわけですよ。病気をしたことで人生観が変わってとても感謝しています。

 

 


日高恒彦(ひだかつねひこ)

1945年鹿児島県生まれ。鹿児島大学卒業後、病院勤務を経て 1977年に日高整形外科クリニックを開設。57歳のときに心筋 梗塞で倒れ、リタイヤを決意。以後、東南アジアやハワイで長期 滞在をしながらポランティアにも携わり、地域に貢献している。

 

NPO法人・南国暮らしの会

南国で夢のある暮らしをしようと同士が集い発足した集まり。情報交換をするうちに知識やメ ンバーも増えて、現在はNPO法人として活動している。主な目的は外国(南国)暮らしを勉強・経 験し、健康で安全で楽しい生活のできる国・場所を探している会員が外国情報の交換や友達作 り、生きがい作りをするために、会報の発行・講演開催・現地団体との惜報交換などを行い交流 を図っている。 http://www.minaminokai.com/


 

 

 

(日刊サン 2011.10.14)

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