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デジタル版・新聞

インタビュー

ヨシノヤOAシステム株式会社 代表取締役 蛇澤利良さん・恵明子さん

岩手県北上市でOA機器の販売・メンテナンス業を営んでいる蛇澤さん 夫妻は、東日本大震災で直接地震の被害を受けました。娘家族は仙台に 住んでいたため、地震のすぐ後に真っ暗で寸断している道路を通り、車で 迎えに行ったそうです。 北上市は内陸のため比較的被害は少なかったといいますが、蛇沢さん は現在も所有物件の一部を被災者の方々に提供しています。地震が起こ った時の様子や震災後の東北について、被曝者に効果のあるサプリメント についてなど、いろいろお話しを伺いました。

ライター 相原光

 

 

一番心配なのは被爆した子供たち

 

 

2011年3月11日14時46分18秒、地震が起きたとき何をしていましたか?

利良さんの場合 地震が起こったとき、私は会社で仕事をしていました。社員たちはすぐに外に出て逃げたので全員無事でした。怪我をしたり亡くなった方は経営者が多いそうですよ。

 

経営者は飛び出して逃げないで、無意識にまわりの荷物なんかをパッと押さえて守ろ うとするから。私もそうでした(笑)。 とにかくいままで経験したことがないような揺れで、揺れが止まって1分くらいすると電気が全部消えてしまいました。

 

とにかく妻に電話をしましたが、携帯はつながらない。母の家に行ってみましたが誰もいない。自宅に戻ると、門が電動なので開かない。結局家には入れませんでした。 恵明子さんの場合私は美容院で白髪染めをしていた途中だったんです。

 

震度3くらいなら大丈夫と思っているうちに、美容院のタンスがバンバン倒れ始めました。l階だったのですぐに外に避難しましたが、立てる状態ではありません。膝立ちでかがんで、その状態が10分以上続きました。すこく長く感じました。停めてあった車がぐらぐらと揺れていました。

 

白髪染めは洗わないと髪が溶けてしまうそうなんです。幸いなことにタンクに水が残 っていたのでとにかく洗ってもらいました。最初は熱いお湯で次は凍るほど冷たい水。でも耐えました。乾かすことはできないのでタオルを巻いて、車で自宅に戻りました。

 

母の家か、娘の家か、最初にどこに行け ばいいのか考えたところ、家に娘から預か っているチワワがいることを思い出したんです。信号も全部消えていて街は大渋滞でした。 家の門は開かなかったので塀を乗り越えで中に入りました。もう家の中はごかったです。食器棚のお皿やグラスは全部外に出て割れていました。

 

チワワの姿は見えず、10分ほど探していましたら、どこからともなく震えながら出てきました。 以来チワワは地震予知犬のように地震に反応するようになり、震度 1でも嗚き始めますね。余震は長く続きました、いつも揺れているみたいでした。

 

 

震災後の北上市の生活

自宅は1週間くらい停電しました。市役所の近くにマンションを持っているのですが、そちらは3日くらいで電気がつくようになりました。役所の近くは比較的早くライ フラインが復旧したようです。マンションの1室に家族全員10人くらいでしばらく生活しました。

 

仙台の娘家族はマンションの4階に住んでいたのですが、1・2階の壁が全部崩れてしまって、エレベーターも動かない。ライフ ラインもすべてストップしてしまい、1歳半の子供と親子3人で3日くらい車の中で生活していました。

 

トイレもお風呂も使えない、水も電気も出ないという状態。娘たちはガソリンもない状態で動けなかったので、私たちが車で迎えに行きました。 道路が寸断しているので、通常1時間でいけるところが5時間くらいかかりました。

 

岩手と宮城ではライフラインの状況が違いましたね。岩手は2日くらいで電気が回復したのですが、宮城県に入ったとたん真っ 暗で怖かった。車も走っていない。別世界でした。 北上のマンションはプロパンガスだったので、ガスは普通に使うことができました。

 

3月ですので夜は氷点下になりますが、暖 房がガスストーブだったので、それも助かりましたね。水はスーパーで行列してなんとか購入しました。お米とお味噌はあったので、こ飯とおみそ汁だけは食べることができてよかったです。

 

夜はロウソクをつけて過ごしました。お湯が出たのでお風呂も入れましたし。最初の3日間が特に大変でしたね。たまたま家に寝袋が10個くらいあったので、家族全員寝ることができました。

 

先日車を友人に譲ったばかりだったのですが、その友人はちょうどタイに旅行に行くので車を仙台空港に置いていたんです。車は津波で流されてしまいました。車はいまだに見つからないそうです。仙台空港を見たらびっくりしますよ、飛行機も流されたくらいですから。

 

ガソリンがないので行列がえんえんに続いていました。沿岸は津波の被害でタンクローリーなど全部流されてしまって、ガソリンが復旧するまで3週間くらいかかりました。 電気が通じないので仕事もなにも出来ず、最初は片付けばかりしていました。会社も倉庫の生理整頓をしていました。

 

岩手から茨城までは部品の工場がいっぱいあるんです。車だけでなくOA機器もいまだに新しいものは作れない状態です。 天皇陛下にはとても感動しました。自ら被災地を見て回って、それで被災した方たちがどれだけ勇気づけられたか。政治家はそういうことを全然やらないじゃないですか。

 

北上の場合、ホームレスは見かけませんが、家の基礎が傾いてしまった人はたくさ んいます。住めなくなった方もいますが、家が崩壊するほどの被害は北上にはあまりないです。うちのマンションでは、被災した2家族に住居を提供しています。大船渡から来てる方たちです。

 

北上には東芝や富士通の工場があるのですが、部品が揃わないのでほとんど機能していません。夏の電力不足を補うために、 土日を働いて木金を休むというところも多いようです。 北上市の市役所は修理に10億円かかるそうです。

 

しかも古い建物なので修理しても10年くらいしかもたないと言われています。でも新しく市役所を建てるとなると50億円かかるそうです。今この状況で50億円をかけるのは難しいと思います。市民の反対を受けるでしょうね。

 

市役所は冷房が壊れてしまったので、今年の夏は冷房なしで仕事をしなければならない。北上の夏は湿 度80%を越え、35度くらいになります、とても暑いんです。

 

 

東北の被災地

津波の被害を見るために北から下っていったのですが、青森県の八戸から茨城の大洗くらいまでは、全部津波の被害にあっていました。まるで映画の中のような信じられない世界です。

 

岩手県で被害が大きかったのは、宮古、釜石、陸前高田、大船渡など。街がそっくりなくなってしまつて何にもないです。がれきだけ。ホテルの3階くらいまでは、中になにもなくてがらんどうになっています。津波が一番高かったのは岩手県で、48mだそうです。

 

塩釜のショッピングセンターには、3階の駐車場に遊覧船が2隻上がつていました。どうやって下ろすのかわからない、それぐらいの波です。 仙台南部道路という新しくできた高速 道路の海側は全部穀倉地帯だったんですが、すべて壊滅状態です。

 

田んぼの中に船がたくさんあります。海水のために植物がすべて枯れてしまっている。あの田んぼが 元に戻るには、10年以上かかるのではないでしょうか。あの景色を見た時はびっくりしました。 内陸に避難している人は今もたくさんいます。

 

北上周辺は温泉旅館に泊まられている方が多いです。それからビジネスホテル。最初はマスコミの方がビジネスホテルを占領してしまって、被災した方が入れないくらいでした。ボランティアや警察官、自衛隊など日本中から来ていました。

 

海岸沿いは、海に流れ込んで堆積したヘドロが陸に打ち上げられて、匂いがすごい、銀バエもすごいんです。今後あれはどうや って片付けるのか想像ができません。

 

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