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インタビュー

チョコハウスオーナー 浜野玲子さん

『ちょこっと寄ってね』でお馴染みのチョコハウスが、今年5周年を迎えました。寿司職人歴30年の牧田さんと一緒に、思わぬきっかけで始めた寿司居酒屋ですが、実は玲子さんは飲食店で働くのは初めてだったのだそうです。サービス業が大好きという明るく元気な玲子さんに開業までのいきさつや、5年間の思い出など、お話しを伺いました。

ライター: 相原光

 

 

とても楽しかった会社員生活

私は短大卒業後、旅行会社に務めていました。旅行会社で働きたかったのですが、旅行会社は落ちてしまい、東レに入社したんです。入社して2年後に、東レに旅行部門ができることになり、 「それなら是非そこで働きたい!」と名乗りをあげたらその部署に配属となり、旅行会社で働くことになりました。

 

それから2年ほど経って、団体旅行のセ ールスをやらせてもらえることになりました。自分で売ったら自分で添乗するというタイプのもので、ハワイ旅行の添乗もやりました。団体旅行のセールスなので社員旅行が多く、当時は東南アジアやハワイが人気でしたね。

 

営業ではテレビの仕事も多く手がけました。東レでゲートボールの人工芝を売っていた関係で、ゲートポールをたしなむようになり、その頃日本テレビで放映していた『実践ゲートボール』という番組で 「海外に遠征に行く」というツアーがあり、そのツア ーも担当していました。ゲートボールのツア ーはグアムやハワイが多かったです。

 

団体旅行の営業で仕事を取るのって、最終的には値段になってしまいます。どこが一番安いか?というふうに。大手の会社は例え赤字になるとしても、その仕事を取りたかったら取ることができますよね、他で調整することができますから。

 

私のいた会社は小さかったのでそういうことはできない。そうなると、クライアントと仲良くなるしかないんですよね。私は飲むのが好きだったこともあり、毎晩のようにクライアントと飲みに行っていました。飲みに行って、仲良くなって、仕事を取るという(笑)。

 

そういう時代だったんでしょうね、すこく楽しかったです。会社は三越前だったので、銀座、新橋、六本木に行くことが多かった。

 

会社には同期もたくさんいて、なにかにつけて飲み会がありました。私はテニス部に入 っていて、ラグビ一部でマネージャ一をやっていたこともあり、ラグビ一部の飲み会なんか本当にすこかった。飲み方が半端じゃな ぃ。飲み倒れて出入り禁止になった店もありました(笑)。まったくの体育会系でした。

 

ハワイに来たのは29歳のとき。結婚のために仕事を辞めて引っ越しました。でもビザの手続きに時間がかかり、3年半くらいは日 本と行ったり来たりの生活でした。仕事をしていなかったし、ハワイには友達もいなかったのでホームシックになってしまい、お酒ばかり飲んで国際電話をかけてました(笑)。

 

今までずっと働いてきたのに、ハワイにきたら急につまらなくなってしまった。このままではおかしくなってしまうと思い、語学学校に行くことにしました。そうしたら友達も増えて楽しくなって、そうこうしているうちに子供が生まれ、グリーンカードも取れました。

 

グリーンカードが取れたら、JALパックでパートを探していると紹介され、せっかく旅行会社で働いてきたんだからやってみようかなと思い、働くことになりました。それからこのお店を始めるまでの6年くらいJALパックに勤めました。

 

 

卜ントン拍子で話が進み、チョコハウスをオープンすることに

 

ゴルフを習っていた先生から、レストランの空き物件があるからお店をやらないかと突然言われたんです。 パートナーのマキさんは、ロサンゼルスで30年お寿司を握っていた人で、ドイツで働いたこともあり、ハワイに来る前の3年間は自分のお店をやっていたんです。

 

マキさんと相談して、とりあえず物件を見てみることになりました。 見に行ったら条件が合わなくて、その物件はお断りしたのですが、すっかりやる気になってしまったんです。こうなったらとにかくお店をやりたい。

 

そうしたら知人の不動産業者が今の物件を紹介してくれました。狭かったのですが格安で条件も良かったので、今まで飲食店の経験はまったくない状態でしたが、始めてしまいました。最初に物件の話が出てから実際にお店をオープンす るまでに半年もかかっていないんです。トン卜ントンと話が進んでしまった。

 

それほど資金がたくさんあったわけでもないので、いい物件が見つかったらやろうかなという感じだったのですが、上手い具合にここが見つかった。準備していたわけではなかったです。即決する方なので、決断は早いけれど、駄目だと思ったら止めるのも早い(笑)。

 

お店の内装はすべてマキさんのアイデアです。業者に頼むとものすごくお金がかかってしまうので、マキさんが全部作ってくれました。マキさんは何でも自分で作っちゃう人なんですよ、大工さんになれそうなくらい。 ハワイって小さい個室がたくさんあるお店があまりないから、こういう個室のお店にしました。

 

マキさんが前に働いていたお店も、ハワイをイメージしてバンブーを使っていたそうです。本当は下に砂を敷きたかったのですが、それはヘルスデパートメントの許 司が下りなかったけれど、イメージは 「海の家」。メニューもマキさんが全部考えました。

 

チョコハウスという名前は私が決めました。 「寿司居酒屋でチョコはおかしいんじゃないの」と皆に言われましたが(笑)、お店をやるなら絶対チョコハウスと決めていた。チョコというのはうちの犬の名前で、なぜチョコかというとチョコレート色だから。

 

 

チョコハウスのトレードマークの犬の絵は、チョコをモデルに知人が描いてくれたものです。すこく可愛い絵を描く人で、前から大好きだったんですよ。その絵を今も使っています。

 

最初はリカーライセンスもなく、週7日休み無しで昼夜やっていましたから、とにかく大変でした。お弁当もやっていましたし。でもあのお弁当があったからこそ、このお店はけっこう広まったんです。あの頃は今よりも魚の値段が安かったとはいえ、あのお弁当は儲けなんてぜんぜんなかったんですよ。

 

あの量であの値段っていうのはなかなかないと思います。あのお弁当を食べて「チョコハウスってどんなとこるなんだろう?」と思 って来てくれた方がたくさんいました。 私はエージェントにいたので、まずはエ ージェント関係にビラを配りました。

 

そこからロコミでどんどん広がっていきました。ピ 一ク時は3人で 700個作るほどになり、お昼に間に合わなかったらどうしようと冷や汗タラタラ。お昼って時間が限られている ので遅れるわけにいかない。とにかく必至で配達してました。

 

うちの規模で700個はちよっと多過ぎるので、少しオーダーをセ ーブするようになりましたね。 朝6時半には起きて、子供を送って、お弁当の仕込をして、すぐにまた夜の準備を始めるという生活で、本当に大変だった。

 

買い物をして、子供を迎えに行くと開店で、お店は11時まで。家に帰るのは1時くらいにな ってしまう。一日中働いているようなかんじだった。他に何かをできるような余裕はなかった。 お店を始めたばかりで、とことんやるしかないときでした。

 

あれがあったから今がある と思いますね。お弁当は2年くらい続けました。体力ももたないし、魚の値段がものすこく上がつてしまつて、やればやるだけ赤字になってしまうような状態だったので、そこでお弁当はやめることにしました。

 

2年やったのでもう宣伝になったかなと思いましたし。今でもチラシを持ってきて、「お弁当ってまだやってますか?」と聞く方が時々います。最初の2年くらいは子供に申し訳なかったですね。あまり遊んであげることもできなかったし。

 

これじゃ子供と触れ合う時間がなくなってしまうと思い、日曜は休みにしました。定休日なしだと従業員も疲れてしまいます。やはり週に1度は休んでリフレッシュしないと。疲れた顔がお客様に見えてしまったら良くない。 今振り返っても、子供には本当に悪かったなと思います。

 

一番さびしい時にあまり一緒にいてあげられなか った。子供の方は 「いいよいいよ、大丈夫」と言ってくれていましたが。一人っ子の友達がいて、よく遊んでいたのでそれは良かったです。友達も兄弟もいなかったら本当にひとりでつまらなかっただろうなと思います。

 

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