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デジタル版・新聞

インタビュー

セントラルパシフィックバンク名誉会長 齋藤譲一さん

面白さと奥深さに憑かれて、「スポーツ吹矢」のハワイ総本部長に

スポーツ吹矢を始めたのは、2005年木曜午餐会で紹介されたのがきっかけです。

 

翌年ホノルル日本人商工会議所と広島の姉妹提携25周年の記念行事のために広島を訪れた時、伊東にある日本スポ一ツ吹矢協会の研修道場「ほっとの宿」(現在は 「ほ っと倶楽部」)で青柳清会長にお会いしました。

 

 

「スポ一ツ吹矢」生みの親である青柳会長から協会設立の経緯、スポ一ツ吹矢の未来像、海外支部第1 号としてのハワイ進出の構想を伺って俄然興味が湧きました。

 

「実はハワイにスポ一ツ吹矢を普及させたいので力になって欲しい」と青柳会長の熱 い言葉に動かされ、たまたま研修会に参加 したところ、吹矢の面白さに憑かれてしま いました。

 

難しそうなイメージがありましたが、簡単に当たるんですよ(笑)。あっという間に上達する感じ。長い間やっていてもサ ッパリ上達しないゴルフよりくみし易いかなと思いました。仕事を引退した後だったということもあり、2006年にハワイ総支部の設立にとりかかりました。

 

簡単に考えていた吹矢。実はアメリカではBlowgunで危険銃器の範疇に入り、取り扱いに厳しい制約があることを知りました。州によってはBlowgunを保持することすら出来ません。

 

勿論、 「スポ一ツ吹矢」はBlowgunとは全然違うので、危険銃器と混同されないようにBlowgunの英語は使用せず 「Sports-Fukiya」で通すことを決めました。ハワイ総支部開設に際しては、ハワイ警察署の了承も取り付けたり日本と違 った想定外の仕事にもぶつかりました。

 

もともと吹矢というのはスポ一ツではないですよね、古代から世界各地で狩猟に用いられていたし、日本では平安時代に公家の遊戯に始まり、戦国時代に加賀忍者の武器として使用されたと言われています。そう忍者の世界です。これをスポ一ツに進化させたのが青柳会長の功績です。

 

身体が弱か ったので気功や太極拳など様々なことを試した後にたどり着いたのが吹矢だったのだそうです。ポイントは複式呼吸です。深く息を吸い込むことで内臓の活性化を図ることができます。

 

気功などは意思が強固な方でないと疲れてしまって面白くない、一般受けしない部分がありますが、スポ一ツ吹矢は「的に当てる」というスポ一ツ的な要素を上手い具合に組み合わせています。

 

スポ一ツである以上はルールがあります。剣道、弓道、柔道と同じように吹矢も「礼で始まり礼に終わります」。的に向かっての筒の上げ下げ、正しい呼吸法、吸った空気を一瞬にして吹き出す動作、吹き終わった後の姿勢、一の動作の中の精神集中力、そして美しいリズム感覚を養う「心技練磨」です。

 

スポーツ吹矢は文字通り「吹き矢」です。5〜10メートル離れたい位置から矢を飛ばして点数を競います。的の高さは1.6m、的の中心から7·5·3·1点と得点が決まっています。

 

矢はフィルムでできていて、時速100kmのスピードが出ます。筒はグラスフ ァイバー製で1.2m、リードが長いので当たりやすいと言えます。1ラウンドで3分以内に5本吹きます。

 

20本吹いたら5km歩くのと同じくらいカロリ一を消費するそうです。真剣にやると汗もかきますし、ダイエットや便秘にも効果があります。技術評価基準として、5級から6段まで階級が設けられています。

 

日本の正会員は約25,000人で、愛好家を含めると10万人です。支部は北海道から沖縄まで全国に630以上あります。海外は今のところハワイだけです。最高位6段は ハワイ支部は5名しかいないんですよ。

 

2011年10月に創立5周年を迎えました。現在、週に4回(火•木 ・金・士)練習が行われています。会場によりますが練習には15~20人ほど集まります。

 

ハワイの会員は約100名、ほとんど日系人ですね。平均年齢は68歳。最年長者は85歳です。ハンディキャップの方もいらっしゃいます。ハワイで一番上手い方は5段が2名(男性)おります。女性の最高は2段です。私は2段です。

 

去年の11月に日本の大会ヘハワイから3名を連れて参加したんですよ。絶対優勝すると思っていたのですが(笑)、時差ボケと会場の雰囲気のせいか残念ながら優勝はできませんでした。 上達のコツはやはり集中力とたゆまぬ練習ですね。

 

私共は 「心技練磨」と称しています。筒の先30センチには照準を合わせるためのマークをつけてはいけないので、あくまでも自分の感覚と集中力が必要になります。

 

詩吟をやっている方は発声がしっかりしているからでしょうか、皆さんお上手ですね。ベッドに横になって、鼻から吸って口から出す訓練もなかなか効果的なようです。

 

安全第一に運営してきたおかげで、幸いなことに無事故で今日に至っております。安全面にはとても注意しており、打ってい る間は矢を取りに行かないなどのルールを厳しく決めています。

 

聖路加病院の日野原重明先生、昨年百寿の誕生日を迎えられ今なお世界を舞台に活躍されていらっしゃいますが日本スポーツ吹矢協会の最高顧問を務めております。

 

去年ハワイで講演をされた時も呼吸の大切さを説かれていましたが、「吹き矢」のはしなかったんですよ(笑)。一言「スポ一 ツ吹矢」のことに触れて頂ければ吹き矢人口 がものすごく増えたと思うのですが。

 

日本にはジュニア部門もあり、幅広い世代に広がつています。今年日本の文部科学省が中高校生の体育の授業に「柔道」を必修科目として取り入れることを発表しました。これは特に女子生徒には抵抗があるのではないでしょうか。

 

また、正しく柔道を修得している体育の先生がどの程度揃ってい るのか、精神統ーや集中力を養成するのであれば「スポ一ツ吹矢」が最適だと思いますね。

 

背の高い人、低い人、身体の弱い人、強い人、男女を問わず誰にでも出来るスポーツ吹矢にもっと目を向けて頂きたいです。ハワイでもまだまだこれからもっと広がると思います。

 

オアフ島以外でも要望があるのですが、指導する人材がいないんです。ハワイ島のヒロ、コナとマウイ島などにファンはたくさんいらっしゃいます。

 

来年2013年、多摩東京国体で「スポーツ吹矢」がデモンストレーション種目として初登場いたします。NHK番組で 「サラリー マンの間で最も流行している近代スポーツ」として紹介されましたが、一般の方々にも普及しはじめた証左ではないでしょうか。

 

1日も早く国体の正式種目としての道がひらけ、将来はオリンピック種目にまで成長できれば嬉しいですね。「楽しみながらの健康づくり」ハワイでももっともっと親しんで頂き、健康な体を保持して頂きたいものです。

 

カパフルセンターで練習する、会員のみなさん

 

年を取るとパートナーのありがたさを痛感します

私は台湾で生まれました。父が日本政府の役人で台湾総督府に勤めていたので、戦後両親の故郷に福島県双葉郡浪江町に引き揚げました。昨年3月11日東日本大震災の 被害、特に原発事故が一番ひどい所の一つです。

 

親戚縁者はバラパラになってしまい、去年は大変でした。幸い親戚には津波の被害 にあって命を落とした人はいなかったのですが、精神傷害を受けている方はおります。

 

地震の前の年に、久しぶりに妻と一緒に里帰りをして、昔お世話になった方々も大分高齢になっているのでお元気の内にお目にかかっておきたいと何十年振りに親戚周りとお墓参りをしてきたのです。 まさかあんな大災害が起こるとは思いもしませんでした。

 

ハワイの人たちをはじめ世界各国の方々が我がことのように立ち上がつて下さりありがたいですね。私は福島県・山形県・宮城 県を転々として育ったので、ハワイでは東北の県人会にいくつも入っています。

 

東京都民会にも入っておりますが、各県人会の震災の寄付の金額の大きさには驚き感激しました。親戚知人に送る金額にも勝るとも劣らないような金額を寄付して頂き、ハワイの方は本当に素晴らしいです。

 

子供がアメリカにいるということもあり、日本でリタイアするという気持ちはありませんでしたね。ハワイは気候もいいし、高齢者には快適な場所です。

 

サンフランシスコのピリッとしたところもいいですが、年を取 るとハワイのカジュアルさと暖かい気候、そしてアロハスピリットに充ち溢れた人々の優しさ温かさは ベストですね、日本にも近いですし。

 

年を取ってくるとパートナ一のありがたさを痛感しますね。妻にお願いをする場面が増えてきて、頭が上がらないというか、感謝しても感謝しきれない部分があります。

 

少し前に、血糖値が下がり過ぎてしまつてか、意識不明となりアンビュランスでクィ― ンズ病院事療法などをドクターに運びこまれてしまつてから、食事療法などをドクターに薦められ、厳しく健康管理に注意を払ってくれているので、申し訳ないです。

 

旅をする時も一人よりは 相槌を打ってくれる人がいた方が楽しいですし、何よりも思い出を共有できる人がい ることが人生後半の喜びでしょう。我々も今年は「金婚式」です。

 

 


齋藤譲ー(さいとう じょういち)

1935年台北生まれ。終戦後、母親の郷里福島に引きあげる。のち 山形の移り、山形東高校卒業後、一ツ橋大学に進学。1959年大学 卒業後、住友銀行入行。八重洲通り支店に配属になる。1962年陽 子夫人と結婚、1963年加州住友銀行サクラメント支店へ転勤。

 

1970年日本へ戻り、丸の内・虎の門両支店から国際部勤務。 1976年千葉支店長を経て再び渡米、1978年住友銀行シアトル 支店長に。その後、南加駐在首席副頭取、サンフランシスコ本店首 席副頭取、1988年ハワイヘ移りセントラルパシフィック銀行首席 副頭取に就任。

 

1989年セントラルパシフィック銀行頭取、1996年 セントラルバシフィック銀行会長に就任。2001年全米のミッドサイズ銀行部門でセントラルパシフィックバンクが4位にランクインされる。2002年12期連続二桁増収の記録を残しリタイヤ。名誉会長となる。

 

2006年スポ一ツ吹き矢協 会ハワイ総支部を設立し、総支部部長に就任。地域の人々とのコミュニケーションやボランティア活動 にも夫妻で力を注いでいる。趣味はガーデニング、旅行、観劇、スポーツ観戦。

 

ジャパンアメリカンソサエティ ・オブ・ ハワイ(ハワイ日米協会)/ホノルル日本人商工会議所ハワイ日系人連合協会/パシフィック・アンド・エージアン・アフェアーズ・コンファレンス(PAAC)皇太子明仁親王奨学金/クアキニヘルスシステム/日本クラブ

 


 

 

(日刊サン 2012.02.24)

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