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デジタル版・新聞

インタビュー

サウンディングジョイミュージックセラピー代表 梶原恵子さん

3オよりピアノを始め、10織よりピアノの英才教育を受け、ドイツの大学に音楽 留学する。その後ニューヨークで音楽療法士の資格を取得し、2000年にハワイ に移り住む。ハワイでは音楽療法士として活羅し、2002年には非営利福祉団体 のSounding Joy Music Therapy, Inc. を創立し代表となる。現在はコンサルテーションや音楽療法のセッションのほか、ホームレスシェルターや特別支援学級、高齢者施設や病院を訪問し音楽療法を行うかたわら、ハワイ州観光局が推進するKANI KA’OLIプロジェクトに携わり、9月9日(日)にはミッションハウス ミュージアムでのチャリティーコンサートを予定している。

ライター :ケイコ ・ ジョンソン

 

 

音楽療法士としての自分の使命を全うするために、出来ることを精一杯続けていきたい

 

音楽療法って何?

音楽療法とは、音楽を聞いたり演奏したりする際の生理的・心理的・社会的な効果を応用して、心身の健康の回復、向上をはかる事を 目 的とする、代替医 療 (Alternative Medicine) あるいは補完医療 (Complementary Medicine)で、歌唱や演奏を行う能動的音楽療法と音楽を聴くなどの受動的音楽療法も含め、人間 のあらゆる機能や能力を維持、向上させるために音楽を使って働きかける療法です。

 

セッションでは実際に楽器を演奏したり、歌ったり踊ったり、または音楽を作ったり聴いたりして、セラピストとクライアントの関係を基礎に、望ましい成長や変化を促す環境を提供し、クオリティー オブ ライフ (生活の質)の向上を目指します。

 

また、音楽は誰にでも親しみやすく、自閉症と診断された子供から、アルッハイマー病を持った高齢者まで、さまざまな状況や 病理、年齢に対応できます。その結果、想像し得なかったものを音楽によって引き出すことが可能になります。

 

たとえば歯磨きが自分で出来ない子がいました。その子と一緒に歯磨きの歌を作って、「麿こう、磨こう、さあ磨こう~?」って歌いながら歯磨きをしていたら、いつの間にか一人で歯磨きが出来るようになりました。

 

また、体を動かすのが億劫になってしまったお年寄りがいました。一緒に音楽を聴きながら、 「ゴローン、ゴローン」と言いながら体 を動かしていたら、いつの間にか自分で着替えをしてしまったということもありました。

 

 

音楽の持つ影響力を再確認したとき、音楽療法士の道しかないと思った

私が音楽を始めたのは、まだ自分でも記憶のない3歳前後の時でした。私の両親は無類の音楽好きだったんですが、時代的に 音楽が習えない環境にいたので、子供の私に音楽をやらせたかったようでした。

 

近所のピアノ教室に習いに行ったのですが、なぜか最初の頃は何の努力もなく、あっという間にピアノが上達して、周りの人たちもびっくりするくらいだったんです。

 

そんな風 に才能を発揮してしまったものですから、ますます両親が期待し、厳しいピアノのレッスンの日々が始まりました。

 

10歳の時に、親の仕事で東京に引っ越したのをきっかけに、英才教育で有名な桐朋学園大学音楽学部付属の学校に通い始 めました。周りの子供たちはみんなすごい 上手で、今までが井の中の蛙だった事をそこで思い知らされました。

 

それでもずっとピアノは続けてたんですが、自分以外の周りの人たちみんな、有名音大に入るのが目標のようになっていて、音楽が楽しめなくなってしまったんです。

 

なのでこのままじゃピアノは続けたくないって親に言ったら、親は驚いて、すぐに先生に相談しに行ったんですね。そしたら私のピアノの先生は、「恵子さんのピアノはユニークだから外国向きだ」って言って、西ドイツにいる先生を紹介してくれて、大学からドイツに留学する事になりました。

 

私はただ、音楽が続けられる事が嬉しくって、言葉の壁も若さであっという間に克服しました。それでも音楽以外の大学の勉強はすごく難しくて、何度もくじけそうになったんですが、唯一の日本人の友達と励まし合って、なんとか卒業する事ができたんです。

 

その後3年ほど、ドイツで子供たちにピアノを教えてたんですが、作曲とジャズの勉強がしたくて、ニューヨ ークに移りジャズの勉強を始めました。

 

その学校では、今では信じられないようなジャズ界の巨匠と言われる人たちが教えていて、何年かそこで勉強していたのですが、今までずっとクラ シックしかやってこなかった私には、ジャズの壁って言うのはとてつもなく高かったように感じました。

 

学校を辞めてからは、バイトをしながら、その学校で知り合った友達とパンドを組んで、ジャズ喫茶でセッションをしたりしてたんです。

 

そんな事をしていたある時、音楽療 法士って言う仕事があるのを耳にして、興味を持ち始めたんですね。そしたらニューヨーク大学で音楽療法士の勉強が出来るって知ったので、さっそく大学に行きました。

 

内容を聞きに行った先で、音楽療法のセッションのビデオを見せてくれたんです。それを見た瞬間、言葉では言い表せない感 動で、自分でも知らないうちに涙が溢れ出していて、そのまま涙が止まらなくなってしまったんです。

 

私が長年携わってきた音楽がこんな風に人の心に響いて、こんなにも強い影響を与える事ができたなんて、考えても見なかったんです。

 

その時のビデオには、小児麻痺の子供が 音楽療法のセッションを受けている姿が映っていたんですが、うまく動かせない体 を使って、なんとか音楽を表現しようとして 体を動かそうとしたり、太鼓をたたこうとしてる姿には、音楽に接している喜びが溢れているように見えたんです。

 

それを見た瞬 間、今までの音楽に対する常識とかが一掃されたような衝撃が走って、とにかく涙が止まらなくなってしまって、センターの人に感想を聞かれたんですが、ただただそのビデオにショックを受けてしまったこともあり、その日は何も言葉が出ずに無言のまま帰りました。

 

過去には有名な演奏家のすばらしい音 楽を聴いて感動した事もありましたが、そんなのは比じゃないって感じて、その後は、もうこれ以外ないって思ったので、次のセメスターからすぐに大学に通い、音楽療法 士の勉強を始めました。

 

 

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