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インタビュー

【インタビュー輝く人】R246 うつみ富土理さん 古賀義弥さん

日本のテレビ界でタレントや司会、作家として広く活躍するうつみ宮土理さんとグループサウンズで人気を博し、その後ボイストレーナーや音楽プロデューサーとして活動する古賀義弥さんがR246としてユニットを結成。10月にハワイで披露したデビュー曲「あの道この道」のように、いろいろな道を辿り、今もあの道この道を歩み続ける、輝く人。

ライター :大沢陽子

 

 

失敗した時、迷った時は戻り道もいいじゃない

 

ボイストレーナーと生徒から仕事仲間へ

古賀さん

私は歌を教えていまして、15年くらい前にうつみさんから歌を習いたいというこ依頼を受けたことが私たちの出会いでした。うつみさんが、テレビの子ども番組 「ロンバールーム」で歌っていたという噂は聞いていましたが、初めて彼女の歌を聞いたとき、思ったより上手だったのでびっくりしましたよ。

 

まずは発声から始めるのですが、私のレッスンは途中で辞める人が多いんです。なぜなら、歌うためには基礎体力が必要で、私は 「腹筋を最低100回できるようにならないと教えませんよ」と言っていて、み なさんそこにたどり着くまでに辞めるのです。

 

ところがうつみさんは「普段からジムに行って鍛えているから大丈夫です」と。彼女はどんどん上達していきました。 5年前くらいに、アルバムを作りたいという相談があったんです。西麻布の高級なお寿司屋さんに連れて行ってくれて、美味しいお寿司をご馳走してくれたのですが、食後に 「私はCDアルバムを出したい」と切り出されたという経緯がありました(笑)。

 

さ らに、堺正章さんが大好きだから彼とデュエットをしたいと言われました。堺さんはレ コ ード会社と契約していますし、プロダクションもきっちりしているので、難しいという話をしたのですが、「なんとかしてほしい」と言われてね。 私は堺さんに歌を教えたり、一緒に仕事をしたりとご縁があったので、本人に相談してみました。

 

彼は誰が作曲をするのかと聞いてきたので、彼の好みに合わない作曲家にならないことを考えた結果、私が作曲すると言って本人の了承を得ました。その後レコード会社とプロダクションを通してOKをいただきました。このアルバム「花の行方」を作ったのが、一緒に仕事をするようになったきっかけです。

 

カハラモールでのR246のCDデビューイベント

東日本大震災後の活動

うつみさん アルバム「花の行方」の後にCDを出したのは、東日本本大震災が起こった後でした。毎日小学生新聞という、毎日新聞が発行している子ども向け新聞があり、その中で東日本大震災が起きた日に小学生が書いた日記を目にしたのです。

 

岩手県山田町にある大沢小学校の男の子が書いたもので、震災当日から始まった日記でした。「3月11日、地震の後にお父さんが軽トラ ックに乗って行ってから津波があった。お 父さんどうしているんだろう。僕はずっと 心配していた。」

 

さらに2週間後、 「お父さ んらしい人が見つかったという連絡があ って、そこへ行ったらお父さんが眠っていた。驚いたことに、お父さんは息絶えてもお父さんが腕にしていた時計だけは動いていた。」という内容でした。

 

この日記を読んで、涙が止まらず落ち込 みました。震災で両親を亡くした子どもたちは中学校へ行けるのか?高校行けるのか?などと考えました。でも、落ち込むのではなくて元気をつけられるようなことをしようと思い立ったんです。私たちにできることとして歌を出そう、音楽を通して活動 しようと。

 

シンガーソングライターの加藤登紀子 さんに連絡をして、毎日小学生新聞を読んでいただいたところ、彼女も賛同してくれました。加藤さんが曲を作り、私が歌うことになり、レコード会社は私が交渉してエ イベックスに決まりました。

 

そこでできた曲が「青いこいのぼりと白いカーネーション」です。青い鯉のぼりは男の子のイメージで、白いカーネーションは、家がなくなった場所に白いカーネーションを指している女の子の後ろ姿の写真を新聞で見て、印象 的だったことから、このタイトルにしました。

 

みなさんのご協力もあり、このCDは5000枚売れました。その売上金をすべて被災した子どもたちへ寄付しました。一般 的にこのような場合は印税だけを寄付するらしいのですが、そんなケチなことは言いたくない(笑)。

 

レコ ード会社にはそんなアーティストは初めてだと言われましたが、寄付というのはまるごと全部をするものだと思うのです。 この義援金を大沢小学校へ直接お届けしました。本来の道がなくなっていたので、ところどころ崩れた山を越えて行きました。

 

学校では先生の話や私の声を聞けるように「マイクとスピーカーがほしい」というリクエストもいただいたんですよ。大沢小学校には3回行きました。日記を書いた男の子にも会うことができました。彼の住む仮設住宅を訪ねたのです。

 

地面の上にベニア板のような薄い板を 1 枚敷いただけの建物で、岩 手県の寒い気候の中で暮らすには厳しい環境を目の当たりにしました。今、彼は中学生になっていますが、文通を続けています。

 

今年の7月には、東京の中目黒でチャリティーコンサートを行いました。夫、愛川欽也と私の愛称をつけたキンケロ劇場で行なったのですが、古賀さんが演出をして、橋幸夫さんや小林幸子さんらが無料で参加してくださいました。お弁当代だけは差し引きましたが、それ以外の売上金は全て寄付させていただきました。

 

 

目からウロコが落ちた歌詞

古賀さん

うつみさんのご主人の愛川欽也さんが 「kinkin.TV」というインターネットテレビ局を立ち上げたので、一緒に番組をやらないかと誘われ、うつみさんと番組をすることになりました。

 

その番組でうつみさんと2人で歌おうということになったのですが、愛川さんがよく詩を書かれる方で、紙に赤ペンでサッと書いてくれたりするんです。その詩に曲をつけて歌ったりしていました。 震災の後、これからの自分の進む道に ついての曲を作りたいと愛川さんに言ったところ、すぐに歌詞を作ってくれたんです。

 

それがR246の曲「あの道この道」です。誰もが人生の中でどっちの道に行こうかと迷 ったりしますよね。愛川さんが書いた歌詞は、振り返ってみたら戻る道もあるんじゃないか?戻ってみたらどうなのかという内容だったんです。

 

「四角まで戻っていた」「これでいいのさ戻り道」と。道を戻るということを考えたこともなかったので、目からウロコが落ちたというのでしょうか、こんな考え方ができたら楽だよねと感激しました。すぐにメロデイーを作って、曲が出来上がったときは、愛川さんもとてもいい曲ができたとおっしゃっていました。

 

実はそのときにすでに2曲目と3曲目の 「明日に生きる~Way To Tomorrow ~」 「うつむいて歩こう」をレコーディングするのは決まっていたのですが、突然「あの道この道」という曲ができたので、急逮追加することにしました。

 

この曲の基本は、震災のすぐ後に作った 「青い鯉のぼりと白いカーネーション」です。今回は、さらに愛川さんの想いも入りました。ミュージシャンになりたかったけれどなれなかったという歌詞は彼自身の人生でもあるのです。

 

kinki.TVでうつみさんとデュエットをしているうちに、 「ミドリと義弥のR(ルート) 246」という番組が立ち上がったんです。このR246は愛川さんが決めた名前で、理由はうつみさんも私も国道246号線沿いに住んでいるから(笑)。

 

この番組内で 「あの道この道」を歌っているうちに評判がよくなって、エイベックスからCDを出すことになりました。 今年7月10日発売の記念パーティーをしたときにハワイのラジオ局KZOOの方が取材にいらして、ハワイでこの曲をかけていただいていることを知って、ハワイでも発売イ ベントをしよう!ということになったのです。

 

10月に実現し、ハワイで高齢者センターへ慰問に伺ったり、カハラモールでイベントをしたりしました。フラとの共演など、ハワイならではの曲として披露できました。

 

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