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インタビュー

【インタビュー輝く人】Kupulau Jewelry & Watches ゼネラルマネージャー  サンジェイ・アローラさん

ハワイヘ移住、ガンの宜告、ホノルルマラソン

1995年に息子が生まれ、1997年に娘が生まれて、彼らが学校へ通う年齢になっ たときに、東京は子供を育てる環境として どうなのかと思うようになりました。 ハワイはもともと大好きで20回近く来て いたところだったので、ハワイで仕事をして いる昔の同僚を通じて、ヘッジファンドの仕事が見つかり、すぐに移住しました。それが2001年です。

 

8月にハワイに引っ越して来 て、9月から子どもたちの新学期が始まった ので本当に慌ただしかったです。 転勤で来ていた方はいましたが、私たち と同じような立場の人が周りになく、すべて が手探り状態でした。今のようにインターネ ットが発達していなかったので、予防注射をするにはどこへ行けばいいかなど、細かいことのひとつひとつがわかりませんでした。でもなんとかなるものです(笑)。今では同じ立場の方にいろいろアドバイスでき るようになりましたから!

 

ハ ワイに来た翌年に、普段は病気をしないはずの妻の頭痛が治まらず、病院嫌いな のですが、見兼ねて病院へ連れて行ったん です。彼女に異常はなかったのですが、私もついでに血液検査でもしようかと検査を したところ、前立腺がんを発症していること がわかりました。38歳のときでした。前立 腺がんのテストは通常50歳からなので、あまりにも早いそうです。

 

診断されても、まさ か自分ががんになるはずがない。間違いじ ゃないの? と信じられない状態でした。 日本でも毎年人間ドックに行っていて、再検査になっても経過観察だったのです が、ハワイの医師は「納得が行かない」と言 ってすぐに組織を調べる生検をしたとこ み初期段階でわかったんです。あのまま日 本にいたら気付かなかったかもしれないで すね。

 

日本と大きく違うと感じたのは、医師に 本を渡されて、自分でどうしたいか考える ようにと言われたのです。選ぶのは自分だ ということです。こういうオプションがある けれどどうしたいかを選択肢の中から自分で決めなさいと。若く、体力もあり、気持ち 的にもがんを取り除きたいと思ったので手 術をすることにしました。

 

担当医が「君が僕の息子だったら、手術 を頼みたいドクターが本土にいる」と言っ て、UCサンフランシスコの大学病院の名医 を紹介してくれ、病院のスタッフにも「良くアポが取れたわね」と言われたくらい、奇跡的に予約を入れることができました。医師になった大学時代の友人からも話をしてく れたようですが、38歳でこの前立腺がんと いうのは聞いたことがないと、医師たちも珍しがっていたようです。

 

最短で手術の予約が取れたものの、自分にとっては手術までの2ヶ月は長く感じました。待っている状態というのは辛いで す。一番きっかったのは手術の直前です。 手術室に入ろうかとしているタイミングで書類にサインをしなくてはならないのです。 何かあっても病院は責任を負いませんな ど、ルールとしてそういうことはわかるので すが、厳しかったです。 約5時間の大手術であっても、アメリカは2日後には退院しなくてはなりません。

 

妹がたまたま近くに住んでいたので、退院後 は2~3週間くらい妹の家に滞在していました。がんのことは妹以外には誰にも言いませんでした。親にも言わず、帰ってきてから「もう大丈夫だから」と報告をしました。 手術をしてもすぐに克服したという気持 ちにはなれませんでした。朝起きて体のど こかが痛いと感じると、それまでは気にし なかったのに、まだガンがあるのではないか? と思ったりもしました。本当に全部取れたかはわからない、どこかに転移してい るかもしれないという不安が常にありました。

 

1ヶ月後に血液検査をして、次は3ヶ月 ことに血液検査、そして半年後、今はやっと 1年に1回の血液検査になりました。がんはひとつの目安として5年と言われていて、5年間何もなかったらそれはそれで終わっただろうと。克服というのは、徐々にそういう気持ちになるものでしたが、次に別のもの が発生するかもしれません。

 

今も年に1回 の検査に行く時には不安はあります。その反面宣告されたときから開き直り もありました。自分に酎えられないことは起 こらない。なんとかなるさと。 がんの家系でもありませんでしたし、一 般的にがんになりやすいと言われるリスク として考えられる条件は私には全くなかっ たので、医師も驚いていました。

 

今は、息子 や親戚などに検査をするようにと注意して います。早く見つけることが大切ですから。 その次の年にホノルルマラソンを走りました。前にできなかったことをできるように なったこと、立ち直ったことを証明したいと いう自分への挑戦でした。参加すると決め てからはプランを立ててトレ ーニングをし て、初めてのフルマラソンでしたが4時間43分で完走しました。

 

ゴールには大好物 のビールを持って妻が待っていてくれました(笑)。 がんによって人生観は大きく変わりました。今日を大事に生きようと毎日思います。 人生何も保証されない、明日どうなるかわからないですからね。

 

 

ビジネスをはじめて3年の壁

子どもが大きくなってくる と、学校などの用事が増え て、そのたびにボスに休みの 希望を出すのは気が引ける んです。会社勤めではなく、自分がボスなら気兼ねすること なく、子どもたちのいろいろ なサポートができるというこ ともあり、自分たちでビジネ スをしようかと妻と話すようになりました。

 

ビジネスブローカーなどを通じて約1年間にたくさんのビジネスを見ました。レストランからファッション関係の店やスパなど。そしてご縁あって、今の店 を引き継ぐことになりました。全く知らない世界に無謀にも飛び込んだと改めて思います。年齢的にも新しいことができるのがギリギリかなと思いましたし、体力も気力もあるタイミングでした。

 

2007年の11月1日に前の店を引き継ぎ翌年の9月に現在の店名であるKupu­lau Jewelry & Watchesに看板を変更しました。Kupulauはハワイ語で春という意味で、妻であり、オーナーである春子の名前から決めました。経験のない仕事だったので、最初は前のオーナーに基本的なことを教えていただきました。その時言われたのは、最初の3年間はとにかく大変だけれど頑張って3年の 壁を乗り越えるようにということでした。

 

何もわからない状態からスタートして、休み もなく働きました。365日無休という仕事 を持つ経験も初めてでした。ようやく慣れ てきた頃に、ファクシミリやレジ、在庫チェ ックや買い付けなどをコンピュータ化した り、クリエイテイブな部分やジュエリー・雑貨の買い付けは妻がまとめて、日々の事務や時計の買い付けは私が担当するように なったり、少しずつ自分たちのやり方というものが見えてきました。こうなるまでに3年かかりました。

 

日本より30%安いG-SHOCKなど、アメリカ限定や日本未発売の腕時計が並ぶKupulau Jewelry & Watches

 

オバマウォッチとの出合い

時計の買い付けをする中で意識している のは、アメリカ限定品や多くのレア物を扱うようにしていることで、、仕入れの段階から こだわっています。 そんな中でたまたま出合ったのがオバマ ウォッチといわれるヨ ーグ・グレイ6500クロノグラフでした。インターネットで見つけ て、これだ!と思い、すぐに問い合わせをしました。

 

毎年6月にスイスなどで時計のトレードショーがあるのですが、問い合わせをしたのはその前のタイミングでした。でも、オバマウォッチの会社の社長が、トレードショーの前に特別に置いていいと許可をくれたんです。そこでハワイで初めて正規取扱店としてこの時計を売ることができました。就任式という歴史的な日に大統領が着けていたこの腕時計は、大反響となって、一躍話題になりました。

 

民主党ということもあり、価格も300ドル代ということもよかっ たのかもしれません。 一旦落ち着いた後、オバマ大統領の2期 目の任期になった今年、また人気が盛り返しました。最近プライベートで知り合った 人たちが、私たちの店でオバマウォッチを 買っていたことがわかったりすることもあっ て、そういう出会いも嬉しいですね。

 

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