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デジタル版・新聞

インタビュー

【インタビュー輝く人】新風義塾塾長 チャコ 瀬戸山 さん / トロント日系文化会館 松本 ジェームス 眞一郎 さん

戦う相手からパートナーへ

チャコさん  

ブティックのオーナーに言われてホテルに来たものの何をしてよいかわからない。そんなときにリンカーンのリムジンがホテルに着き、登場したのがジェームスです。私は「日本人だ!」と嬉しくなって「こちらのブティックで働かせていただくことになりました。よろしくお願いします」と名刺を渡しました。

 

 そこに大きなバスが到着して日本人観光客が降りてきました。すると、お客様の前にジェームスがパッと立って「みなさん、私はこちらで毛皮の工場をしております松本と申します。ご存知のようにトロントは毛皮の発祥の地です。お食事までお時間がございます。リムジンも用意しておりますので、ぜひご興味のある方は私と一緒に毛皮の店までいらしてください」と言ったのです。そのあと「ブティックから来られているお嬢さんのお話も聞いてあげてください」と私に振ってくれ「ジェントルマン!」と思ったのを覚えています。

 

 私は「トロントで一番ファッショナブルな街角でいろいろなものを売らせていただいているブティックでございます」と挨拶をしながら、そういえば私はリムジンがない。お金ももらってきてないということに気づきました。そこで「みなさま、トロントに住んでいるという体験をしてみたいと思われませんか?サブウェイに乗って、バスに乗るという体験をされたい方は、どうぞこちらでお待ち申し上げております」と言ったらみなさんついてこられたのです。乗り物のチケット代わりになるトークンというコインについて「みなさま。こちらをトークンといいます。トークンは1ドルです!」と言って、それぞれで買っていただきました(笑)。よくあんなことをしましたよね。同時に「こうやってやるんだわ」と思いました。  

 

ジェームスさん  

「この客泥棒」と思いましたよ。これは気をつけなくてはいけないなと。それからの1年はし烈でしたね。限られたお客さんの取り合いですから。  

 

チャコさん  

私に用心棒がつくほどでしたよ。敵対関係にある人だとわかったときは、徹底的にジェームスと戦うべきだと思いました。一方で、ひたすら真剣に「ひとりでも多くの人に毛皮を売るんだ」という執念で毛皮を売っていたのは彼くらいだったので、敵ながらあっぱれと思っていました。私は自分のためには頑張れない性分ですが、誰かのためとなると力が出るので「店に一銭でも多く入れられるように」と必死でブティックのために働きました。  

 

ジェームスさん  

チャコがあまりにお客さんを取るものだから、私は考えました。「喧嘩するより一緒にやれば売上は倍になる」と思ったのです。最初に会ってからちょうど1年が経ったときに声をかけました。  

 

チャコさん

 泣くような喧嘩をしてきたのに「一緒に商売をしましょう」と言われたときは驚きましたが、「学ばせてもらいます」とお願いしました。というのも、日本からトロントに来たときは両親から自立したいと思いましたが、今度は「自分の家庭から出してもらう」ことが大切だったのです。

 

 

自社ブランド「CHAKO for JME」 ファッションショーで。写真提供:e-nikka

 

成功の秘訣

ジェームスさん  

最初に考えたのは、お客さんは突然「毛皮を買いませんか」と声をかけられるより、ガイドさんの紹介があるほうが安心感を持つため、ガイドさんに私を紹介してもらうようにしました。 そのうち、コミッションよりもっといい方法はないかと考え、毛皮屋さんに「私に値段をつけさせてくれませんか?」とお願いしました。例えば1500ドルで売っている毛皮を3000ドルで売る。つまりその毛皮屋さんのショールームを借りて、問屋で仕入れて売るというディーラーになったということです。それでも日本の3分の1の価格、ちょうどバブルの時代でしたし、よく売れました。

 

 その後、ショールームの鍵をもらって、時間制限なくお客さんを連れて行くようになり、ついにはショールームにある毛皮では間に合わなくなって、ほかの毛皮屋さんから毛皮を買ってきて売っていました。  そんな右肩上がりの状況だったので、自分のショールームを毛皮の問屋街に作ることにしました。さらに、お客さんをホテルからショールームに連れて行くのに、自分の車では人数に限りがあるため、日本へ行って旅行会社にツアーバスが着くように交渉して契約をしました。ツアーバスがショールームへ次々とお客さんを運んできてくれるようになりました。  その後、ショーフレックスというツアーの会社を設立しました。日本の大手旅行会社と契約を結び、空港にお客さんを迎えに行き、ナイアガラの滝、モントリオール、ケベックを中心に東部カナダ方面へご案内しました。旅行会社のパンフレットによい毛皮が買える店と掲載され、大手旅行会社が薦めるということでお客さんが安心する状況で、ツアーバスがショールームにも寄るようになりました。日本で300万の毛皮が100万で買えるため、よく売れました。卸売と小売の間にはそういう商売の流れがあったのです。  

 

 「力・運・時」。この3つが私の成功の秘訣です。「力」というのは自分の持っている力を最大限発揮するということ。自分が10持っているのに2しか発揮できない人がほとんどです。人生の間に5回、10回くらいの「運」があると思うのですが、その「運」を今だと見極める「時」。つまり、自分の持っている100%の「力」を、「運」を見つけた「時」に有効に使うことで初めて成功できるのです。「自分の力が運と共鳴する時を知れ」。これが私の座右の銘でもあります。

 

 

2013年日本で旭日単光章受章

 

お金は人のために使うもの

チャコさん  

私は自分で夢を描けない人間で、人のためには実によく頑張れるのです。ジェームスは野心家ということが見えていました。ショーフレックスというツアー会社を作ったときに私が最初にした仕事は「社長を作る」ということです。2人だけの会社でしたから勇気がいりましたが、みんなの前で「社長!」と大きな声で呼んでいましたよ。

 

 あるとき、ジェームスのお母さまが話してくれたのです。「“彼にはお金を持たせてあげたい。そうすれば周りの人が喜ぶから”といつもおばあさまが言っていたのよ」と。私は、松本家は全員がよい人たちだと感じていたのですが、それを聞いて確信しました。彼を応援したい。おばあさまのおっしゃるとおりになるように、彼をヘルプしたいと心から思いました。  最初に絶対にやらなくてはならないことは、社会に出ていくということ。仕事が忙しくても、仕事だけをしているのでは孤独。儲かっても歪みが出てきます。お金を作るだけではなく、社会に対してつながらせていただくツールを早くつかまないといけない。それが本当の社会人、商売人と思っていました。

 

 ジェームスさん  

一生懸命働いて、ある程度のお金を持つようになって「お金は自分のために使うのではなくて、人のために使うもの」という考え方になってきました。小学校のときの先生が「よいことをすればよい人になれる。悪いことをしたら悪い人にならないわけにはいかない」と教えてくれました。わかりやすいことですが、実行できない人は100人中99人なのです。こうした教えがあったことと、近くでチャコがヘルプしてくれたことで、そういう考え方になったのだと思います。

 

 1994年に新企会の会長になり、現在も会長を務めています。新企会というのは、自分で商売を起こした日系移民の人たちが集まった企業主の会です。カナダと日本との友好と経済促進という目的を持っているカナダの学生さんたちへの奨学金を20年間続けるなど、チャリティー活動をしています。

 

 東日本大震災が起きたときは、新企会としても寄付をしましたが、東北のサポート・アワー・キッズという組織とともに、震災被災児童を対象に「カナダ呼び寄せの計画」をはじめました。昨年は子どもたちをカナダに呼んでホームステイとキャンプをしました。今年も各機関と協力して企画しています。若い人たちを勇気づけ、国際的視野を持たせることが目的です。カナダと日本のために将来役立ってほしいのです。この計画は10年間続ける予定です。

 

2013年、震災被災児童を呼んだサポート・アワー・キッズの活動

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