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デジタル版・新聞

インタビュー

【インタビュー輝く人】料理人 本道佳子さん

ニュー ヨ ーク、ロサンゼルスを経て長野の山奥へ

母はいろいろなものを手作りしてくれ る人でした。家庭菜園をしていて、仕事から帰ってくると野菜を収穫してそこからご飯を作るのです。でも、そのときの私は、手作りのものをあまり感謝して食べ ることができず、ファーストフードに行ったり、ジャンキーなものも大好きでした。

 

しかし今は、母が作ってくれていたもの を思い出して作るようになりました。1回 食べたものを思い出して想像して作るの が得意なのです。

 

私の原動力は旅をする こと。様々な人に会って刺激を受けて、想像力が豊かになる。それを料理に生かしています。 最初に行ったのはニューヨーク。世界 の国の人がどういうものを食べている のかを知りたくて、勉強のために、人種 のるつぼと言われる大都会へ行きました。

 

アィリッシュからの移民の人たちは どんなものを食べているのだろうとか、南米の人が食べる豆料理は甘くないとか、興味や関心がありました。そこで知ったのは、世界で食べている主食はたいして変わらないということ。米、じゃがいも、とうもろこし、小麦粉など、地球は命を育むために共存している生命体だと思いました。

 

1990年代は西洋料理を目指す料理 人はみんなフランスヘ行くことを目標に していた時代です。周りからは 「アメリカ にはなにも料理はないのでは?」と言われ、ニューヨークにようやくファンシーなレストランが出始めたときでしたが、いろいろな人と出会うことによってたくさん勉強をさせてもらいました。

 

ニューヨークで、世界のセレブに料理 を出す環境に身を麿いた後、「今度私に 必要なのは、もっとヘルシーな食事を食べている人たちの住んでいる場所だ!」と思い、西海岸のロサンゼルスヘ行きました。

 

ロサンゼルスやサンフランシスコな どは健康志向が高く、オーガニック、ヘルシーな料理を食べている人たちの街で、 ニューヨークとは全く違いました。そこで も多くのことを学びました。

 

その後、ロサンゼルスから日本へ2000年に帰国しました。その時、「日本は食材が豊富でお店に綺麗に並んでいるけれど、そこに命があるようには見えない」と感じたのです。綺麗だけど新鮮に見えませんでした。

 

都会の人たちがこういうものばかりを食べていたら、日本に未来はないような感じがしました。実際に畑に行ってみたところ、新鮮で美味しい命ある野菜ができているのです。でも、流通にコストがかかったり、スムー ズにいかなかったりしたようで。

 

それなら命ある野菜を都会の人たちのところに 届くようにしたいと思い、長野県のオー ガニックの野菜を作る人たちの近くに住 むことにしました。 あるとき、野菜を作っている若い夫婦がじゃがいもを山に捨てているのを見た のです。小さいから売り物にならないと。思わず、 「せっかくできた命を捨ててしまうなんてもったいない!それなら全部私 に下さい」と言いました。

 

ちょうどスキー 場のメニューを頼まれていたので、春までその小さなじゃがいもを使ったメニューを立てました。そこで、じゃがいも の命が、食べてくれた人の中で輝き、エネルギーになった!という経験をしました。料理人が命をバトンし、繋ぐことに よって未来が創造されていくんだなぁと思いました。

 

 

場所を持たない料理人でいたい

その後、ロサンゼルス時代の知り合い の依頼で、長野で行われたハリウッドの 映画へのケータリングをしたり、アイリッシュダンスチームのツアーシェフをしたり、場所を持たずに料理をしていました。

 

さらに、国境なき料理団として 「食で世界が平和になったら」と伝えに行きたいと思うようになって、日本中あちこちに 行っていたのですが、そのうち 「本道さん の料理はどこで食べられるのですか?」 と聞かれるようになったのです。そのたびに 「私は場所を持っていないから、み なさんが呼んでくれたら行きます」と言っていました。

 

そんなときに東京で場所を貸してくれる人が現れて 「私は場所 を持たないで生きていきたいと思っていたけれど、みなさんの集まれる場所、今、私の帰る場所を!」と思い、3年前に湯島食堂をオープンすることになりました。本当は今でも自分は場所を持ちたくないのです。

 

一般的には、料理人は自分 のレストランを持って、みなさんに食べに 来てもらいたいものですが、私は来てくれる人を待っているだけでは満足しなくて。自分から行きたい、そうすればそこに はもっともっとたくさんの人が集まってくれる。昔からそう思っていました。

 

小さな頃から新しいことをするのが大 好きでした。みんながやったことをコツコツと進むよりも、名も無き道をニコニコ しながら進みたい!そういう道が好きな のです。 今していることも 「本道さんがやっているのだから自分もできる」と、ぜひ次へとつなげて欲しいのです。みんな真似してくれていいと思います。ポジテイブなビジョンを掲げた理想家を目指したいと思っています。

 

 

がん患者さんへの食事会「最期の晩餐」

今年の10月、乳がん月間にハワイの ピンクオクトーバーフェストというイベントで野菜料理を作らせていただきました。 私がライフワークにしていることのひとっに、「最期の晩餐」食事会というもの があります。それは会を重ねるうちに、病気とさよならする 「最期の晩餐」食事会 になりました。

 

その会は、がん患者さんとそのこ家族 に向けて野菜料理を思う存分食べていただこうと始めました。患者さんは、ほとんど不安や心配の中で毎日生きています。そんな中で少しでも楽しく安らぎの場を提供し共有できたら、と。

 

「食べることは今を生きること。」

 

美味しい!とか、味が濃いとか薄いとか。それは、その時その瞬間を感じることなのです。だから、食べているときは、毎日の不安な心の状況ではなく、今という瞬間をそこにいる仲間と分かち合えるようになります。

 

がんの方もその家族の方も同じメニューにしています。ご家族が一緒に同じものを食べることが病気の方々にとって嬉しいことだと思うのです。子どもさんがパクパク食べているのを見て 「僕はこれくらいしか食べられないけれど、子ど もがたくさん食べている顔を見られて嬉しい」というお父さんもいらっしゃいました。

 

食べるものを分けてしまったら、そこ に国境があることになります。その人の スピリットは病気じゃないのですから。私がいつも心がけて見ているのは、その 人のスピリットです。もちろん見えませんから、想像して、そこから料理をするのです。食を通してその人のスピリットが輝いていくのを見ていくのです。

 

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