玉子屋会長 菅原勇継さん

 03/23/2012

 

 

玉子屋とは、東京のオフイス街を中心に1日7万食を越える弁当を届 ける「日本一の弁当屋」です。約700人の従業員の見事なチームワークは、アメリカの大学が視察に来るほどの高度な組織力を誇り、メテ ィアでも多数取り上げられています。玉子屋がこれほど成功した理 由はいったい何なのか? 人を惹き付ける魅力にあふれる菅原会長 にお話しを伺いました。

ライター:相原光

 

 

人の心に火をつける

 

玉子屋の企業理念〜事業に失敗するコツ〜

1.旧来の方法が一番いいと信じていること

2.餅は餅屋だと自惚れていること

3.暇がないと言って本を読まぬこと

4.どうにかなると考えていること

5.稼ぐに追いつく貧乏なしとむやみやたらに骨を折ること

6.良いものは黙っていても売れると安心していること

7.  高い給料は出せないといって人を安く使うこと。

8. 支払いは延ばす方が得だとなるべく支払わぬ工夫をすること。

9.  機械は高いと云って人を使うこと。

10. お客は我がまま過ぎると考えること。

11. 商売人は人情は禁物だと考えること。

12. そんなことは出来ないと改善せぬこと。

 

 

「玉子屋」という屋号の意外なルーツ

私の父は陸軍士官学校を卒業している 職業軍人で、母は教師でした。父の仕事の ために満洲で暮らしていたのですが、親子7人で茨城県の水戸に引揚げることになり ました。

 

満洲ではかなり優雅な生活をしていたのですが、父は軍の関係の仕事から離れたいということで、生活が一変しました。 家がないので地面に穴を掘り、ウサギ・ヒヨコ ・ ブタを飼うという生活です。

 

玉子やウサギの皮、豚肉などを売って生計を立ててい ました。でも家族全員でやっていましたからそれを苦労とは思わなかったですね。あ の頃はまわりも同じ生活をしていました。

 

そうしているうちに、父はなかなかのやり 手だったので養鶏所は成功して大きくなり ました。ところが蝙されてしまって、またお金が失くなってしまった。

 

これからどうする かと家族で相談し、東京に親戚がいたので 東京に引っ越すことになりました。最悪の 場合は東京の地下道で生活できるという考えがあったようです(笑)。当時は地下道で生活している人がた<さんいたんですよ。

 

父は水戸から担いで持ってきた玉子や鶏狗を東京で売るようになりました。いわゆる担ぎ屋ですね。玉子を売っていたので「玉子屋」と呼ばれるようになったわけです。

 

「玉子屋」という屋号はそこがルーツです。父は30貫もある荷物を担ぎ、夜も寝ず に働いていました。玉子も豚肉も新鮮なのですぐに評判になりました。 両親は教育には熱心だったので姉2人 はとても優秀でしたが、私は東京の中学に 進学してからも全然勉強しないで悪戯ばかりしていました(笑)。

 

高校は、銀座で遊びたいという理由で、銀座の真ん中の都立 京橋商業を勝手に選びました。 高校時代は番長だったので、毎日喧嘩の 日々です。

 

銀座のシマ争いみたいなもので、 決闘場所は日比谷公園。必ず一対ーで、刃 物は禁止、素手で勝負します。そんなことを 毎日のようにやっていましたね。

 

それから、ウェイトリフティングに出会い、 「これは面臼い」と思って部を設立しました。野球などに比べると用具にお金がかからず割と手軽にできたんです。

 

力のありそうな人 を集めて活動していったところ、なんとインターハイに出るほど強くなってしまいました。私の一期下は国体で優勝したんですよ。

 

ウェイトリフティングのスポーツ推薦でどこでも好きな大学に進学できたのですが、大学に行くとまた先生が現れる。先生は嫌いでしたから(笑)、4年間だけお金をもら って勉強しようと思い、就職することにしま した。

 

就職するなら富士銀行か日本航空が一番良いと聞き、富士銀行を選びました。銀行はいろんな人との出会いがあるので勉強になると思ったんです。就職試験では希望者25人のなかで一人だけ受かりました。

 

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