オールブリードハンドラー 井上耕盛さん

 12/08/2012

 

世界各国のドッグショーに出場し、ハンドラーとして豊富な経 験を持ち、数多くの犬を優勝に導いた実績を持つ。2011年には、 llio O Hawaii (ドッグショウマガジン)主催の年間アワードにお いて、ハンドラーとして初ノミネートにて、Best Male Handler を受賞。現在はこ夫婦で、グルーミング店中ur Love」を経営し、ドーベルマンをスペシャルブリードとし、プードルのブリーディングを手がける傍ら、年間30以上のドッグショーに出場。オールブリードハンドラーとして、BISをはじめ数々のタイトルを取得している。

 

 

犬たちが教えてくれたことを最大限に活かし、ハワイの犬文化の向上に役立てたい

 

動物たちからは大切なことをたくさん教わった

生まれは日本の熊本です。生まれたときか ら犬に限らず、たくさんの動物がいました。

 

父は普通のサラリーマンだったのですが、母が農業をやっていて、とにかく田舎でとっても大きな敷地に住んでいたのもあり、敷地内には馬や羊、ロバやヤギ、それに豚もいました。もちろん犬や猫や鳥もたくさんいたので、生まれたときから動物に囲まれた生活をしていました。

 

ただ自分の犬として飼い始めたのは小学校の低学年のころでした。近所で捨て犬を拾ってきて、それを自分の犬として飼い始めたのが最初の僕の犬でした。 でもそのうち、捨て犬を見つけるたびに拾って帰ってくるので、それを親父がまた捨てに行ったり、どこかに持っていったりしてしまったんです。

 

そのうちたくさんの犬を拾って くると捨てられてしまうというのが分かってきたので、次からは、拾ってきた犬をまず近くの空き家でしばらく飼って、その犬たちが遠くへ捨てられても帰ってこられるように躾をしてから家に持って帰りました。やっぱり親父はその犬たちをどこかへ連れて行ってしまったんですが、その犬たちは帰り道が分かっていたので、ほとんどが家に戻って来ました。(笑)

 

そのうち親父もあきらめたようで、多い時は20頭くらいの犬がいました。田舎で広い士地があったので、柵もなく、鎖にも繋がずに広い土地の中で自由に飼っていました。そんな生活が19歳のときまで続いたのですが、動物たちからは子供ながらにたくさんのことを教わりました。

 

もっともたる事は生きていくことです。彼らは強いですからね。自分の力で生きていかなければいけないですし、自分のいる群れの中では相手を尊重しないとはじかれてしまうことが、彼らを見ていて分かりました。

 

群れからはみ出してしまった子を見て、「こいっ性格悪いんだな~」って言うだけではな く、性格が悪くなってしまったのには必ず原因があって、それに対して群れの中で、みんながその子に対してどう対処してい<かって言うのを観察するのが面白かったんです。

 

そのころは知らずにただ見ているだけだったんですが、今思うと、現在自分のいる社会の中で起きている事が、同じように動物の日常の中 でも起こっているんですよね。 そのまま犬に囲まれた生活をしていて、15歳の時に最初のショードッグを飼い始めました。

 

昔から、土佐犬やドーベルマンのような強い犬にあこがれて、近所に土佐犬を飼っている友達と一緒に土佐犬の喧嘩を見に行ったりしていました。たまたま友達のところに土佐犬の子犬が産まれて、その子犬をくれるって言うんで家に持って帰ったんですが、親に反対されました。

 

理由は言ってくれないんですが、とにかく返して来いといわれ、仕方ないので泣く泣くその子犬を返してきたということがありました。

 

土佐犬は喧嘩をさせるからいけないって言う人もいるんですが、あの犬たちはものすごく 手をかけて世話をしてトレーニングするんですよね。そのせいで、命令には絶対服従です。

 

喧嘩中に「休め」と命令をすれば、相手を睦えた状態のまま、ぴたっと動きを止めて休みますし、何をしていても飼い主の命令には従うんです。そういう戦罰心と服従心を兼ね備えているところに惹かれたんです。

 

ちゃんと社会性を養って訓練さえすればとてもいい犬なんですが、おそらく戦闘的なところだけを見て、親はダメだって言ったんだと思います。 そんなことがあったすぐ後に、ショーに出せる純粋種がどうしても欲しくって、ドーベルマンを探し始めました。

 

愛犬の友という雑誌に戦っているブリーダーさんに片っ端から電話をして子犬を探したんですが、僕が子供ということもあり、誰も真剣に相手にしてくず、「大きくなったらね」ってあしらわれてしまいました。

 

それでも最後には名古屋のブリーダ さんが真剣に話を聞いてくれてました。僕の両親が了解しているのならばと、親父と電話で話をしてくれて、最終的にそこからドーベルマンの子犬を買うことになりました。

 

子犬の価格は15万だったのですが、僕がアルバイトしたお金や、貯めていたお年玉をたして購入費用に当てました。ドーベルマンの子犬を買ってきてすぐに獣医さんで耳を切って立たせるんですが、その後2週間後の抜糸まで毎日手入れをして、その後も耳の軟骨が固まるまで獣医さんで 習ったテーピングを毎日していました。

 

その子犬が5ヶ月の時に、私がハンドラーとして生まれて初めてのドッグショーに出場しました。もちろんそのドッグシヨ ーでは入賞できなかったですね、そこからドッグショウの世 界にのめり込み、ドッグショウの仕組みや、犬種スタンダード、ハンドリング技術の勉強を始めました。

 

当時私が所属していた熊本ドーベルマンクラブの仲間から、「うちの犬を引いて見ないか」と言われ、その人のドーベルマンを引いて、ドッグショーに出場したのですが、それがFCI九州インターナショナルショウと言う大きなドッショーで、みごと優勝を果たしました。

 

僕にとってはハンドラーとしての初優勝 (BOB)だったんです。ワーキンググループでは2位に入賞しました。この時高校の2年生だったのですが、友達と遊びに行っていても、犬の散歩や餌の時間になると必ず帰っていたので、友達にはバカにされていました。どんなにやんちゃをしていた時でも、犬の世話のためには家に帰っていたんですよね。

 

 

ケネルでの修業時代が今の自分の基礎となった

その後高校を卒業して進学か就職かを考えたとき、獣医になりたいと思ったこともあったのですが、地元の科研会社に研究員として就職をしました。でもそこは30分で辞めてしまいました。

 

その会社は動物実験を行っている会社で飼育部署に配属され、育てた動物が実験使われる事を受け入れることがどうしても出来なかったんです。 その後定職にもつかず1年以上が経ってしまい、長男ということもあり家族会議にかけられました。

 

家族や親戚が集まって僕のことを話し合ったのですが、「犬の事だけは唯一 続けられているから、犬のお店を出してやるからやらないか」と伯父に言われました。

 

でもその前にとりあえず修業に行って来いといわれ、熊本のドーベルマンクラブの会長さんに紹介してもらい、東京にあるプロフェッショナルなドッグショ一を生業にしているケネルにアシスタントとして入ることになり、その翌日には東京へ出発しました。

 

プロフェッショナルハンドラーのアシス夕ントとは言っても、要はケネルボ一イ、アメリ カで言うウォーターボーイです。住み込みで働いていたのですが、毎日やることといった ら犬舎の掃除のみ、最初の1年はほとんど犬に触ることすら出来ませんでした。

 

とにかく毎日忙しくて、犬舎の掃除と餌つくりに明け暮れていました。その後犬を洗ったりトイレに出したりもさせてもらったのですが、そのころの生活というか仕事が今の基礎になっているんだと思います。

 

ここのケネルを紹介してくれたのがドーベルマンのクラブの会長だったので、ドーベルマンがいるケネルだと思ってきたのですが、ドーベルマンは2頭だけでがっかりした思い出があります。

 

後は72頭のアフガンハウンドという大きくて毛の長い犬でした。72頭のアフガンハウンドは全部お客さんの犬を預かっていたのですが、おしっこする時に毛が汚れないようにタオルを持って行ったりと、とても大変な犬種でした。

 

そのケネルにはボスとチ ー フがいて、他に4人の先輩アシスタントがいました。来る日も来る日も掃除と犬のお世話だったのですが、先輩もみんな当たり前のようにやっていたので、それが特に嫌だとか、辛胃とか思ったことはありませんでした。

 

既にドッグショーに出た経験を持っていたので、ドッグショーに向けての犬のケアーや、 コンディションを整えるのがどれくらい大切なことかも理解していました。

 

2年ほどして、ボスのアシスタントとしてドッグシヨ ーについていくようになったのですが、とにかく一週間のうち6日半は犬の世話や掃除で、ドッグシヨーに実際に出るのはほんの10分程度なんです。その10分のために6日半準備するといわれてるのがドッグショーなんです。

 

1 回のドッグショーに多い時は20頭くらいの犬を連れて行くんですが、ボスが 1 頭ハンド リングしていて引けない犬を、アシスタントハンドラーとして引かせてもらうようになりました。最初はドーベルマンではなくてがっかりしたアフガンハウンドでしたが、この犬種をやったことがとてもいい経験になったと思っています。

 

アフガンハウンドという種類はとても神 経質な犬種で、その時レーガンという名前の4年連続日本一のアフガンハウンドがいて、その犬は今思うと嘘みたいな性格の子でした。 犬舎にいる時はいつも唸っていて、犬舎か ら連れ出そうとしてリードをかけると噛みつ いてきたりするんです。

 

ショーに出る日の朝も用意をしてる間中ずっと唸っているんですが、ボスがリードをかけてリンクに入った瞬間、颯爽としてすばらしい歩きを見せ、ジャッジがどこを触ってもスタンデイングポーズを崩さずギャラリーからはため息が漏れるほど素晴らしいショウをしていました。

 

でもショウが終わって帰ってくると、スタッフに対しては唸っているような犬でした(笑) ボスとレーガンの間には確実にコミュニケ ー ションが取れていて、信頼関係が出来上が っているからこその行動なんですよね。だか らその犬にとっては、ボス以外の人は自分より下の存在だったんですね。

 

こうやってドッグシヨーに出た犬達の中には、大会で優勝したのか負けたのかが分かっている子が居るんですん。負けたときは犬もしょんぼりするんですよ。逆に勝ったときは飛び跳ねながら喜ぶんです。フイジカルやメンタルを時間をかけて知育することで、素晴ら しいショウドッグ(パートナードッグ)が育つ ことを学びました。

 

当時ケネルでボスについてアシスタントハンドラーとしてドッグショ一に出場していた時期は、年間100回くらいド ッグショーに参加していました。

 

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