【インタビュー 輝く人】喋る心書家 岸本 亜泉 さん

 05/24/2014

営業成績を上げるために偶然生まれた心書。相手の心に届ける書は彼女の人生でかけがえのない存在となる。壮絶な過去の出来事から、他人も自分も信じられなかった彼女は、ある夫婦との出会いがきっかけで生まれて初めて人生に希望の光を見出す。自分が自分らしくあり続け、“喋ること”と“心書”をツールとして、少しでも自分らしく生きられる人が多くなるように日本や海外でメッセージを発信する輝く人。

インタビュアー:大沢 陽子

 

 

営業成績No.1になるために心書が生まれた

20歳のころ、呉服屋さんの営業職をしていました。売り上げが一番になると高額の賞金がもらえるトップ賞というものがあり、お金が必要だったこともあって、それを目指していました。でも私の周りには呉服の知識を積んだ大先輩ばかり。私は営業経験も呉服の知識もありませんでした。この人たちと呉服の知識では絶対に勝てないので「私はハートで勝負だ」と、お客さまとハートでつながろうと思ったんです。

 

 そこで、名刺交換をしたら必ずお礼状を出すことにしました。アナログ人間なのでボールペンで書いていました。そのときはお礼状を出せば「若い女の子ががんばっているねぇ。協力してあげよう」と連絡が来ると思って出し続けていたのですが、なんの連絡もありませんでした。考えてみれば1日100通も200通もはがきが届く社長さんたちですから、私のはがきは埋もれているかもしれない、ただ出すだけじゃダメだ、ちゃんと手にとってもらわなくちゃ、目立つようにしないと!と思ったんです。ちょうど隣の営業の机の上に筆ペンがあったので、それを使って「目立つ」をテーマに書いたのが、私にとって初めての書でした。

 

 ところが、出し続けても何もレスポンスがなかったんです。目立つはずでしたし、なぜ連絡が来ないんだろうと思いました。そのときに、手に取ってもらっているけれどもしかしたら相手の心に届いていないのではないか。ということは、目立って、手に取ってもらって、さらに相手の心にメッセージが伝わるスタイルで書かなくては意味がないと感じたんです。 相手を想うってどうやるんだろう?というところからはじまって、ひとりの人を思い、イメージして、伝えたい想いをのせてお礼状を書くようにしました。すると、ものすごい思い入れが出てきて、毎回お礼状を書くたびに感謝の気持ちがあふれてきたんです。そうして生まれたのが、心書でした。相手の心に届くスタイルで書を書くというものです。書道を習ったこともないけれど、自分らしい文字を書けました。そこがはじまりです。

 

 その後、半年で売上ナンバーワンになりました。お客さまからどんどん連絡が来るんです。お客さまが仕事で落ち込んだときに、ふと机にあった私が書いた書に目がいったそうです。そこにはその方の存在そのものを全肯定するような内容が書いてあるわけです。「そのメッセージに救われた」と言ってくださって「僕にできることはある?」とか「あなたは何をしている子なの?」などと連絡をくださるんです。筆一本で、着物の知識は何も勉強することなく、着物の着方も営業の仕方もわからないのに、売り上げを伸ばしてキープできたという経験をさせてもらいました。

 

 

相手の心へ届けるとは 深くその人のことを考えること

相手の心に届けるためには、具体的にはたったひとりの人をイメージするんです。その人を、何会社の代表取締役の山田太郎さんではなく、社名も肩書きも外してひとりの山田太郎という人間として見るんですよね。この人はこういうことを頑張っているけれど、もしかしたら本当はこういうことを悩んでいるのかな、こういう言葉をかけてほしいのかなどと考えてみる。例えば経営者の方なら、いつも強くいなくちゃいけないと思っているかもしれないけれど頼れる場所はあるのかなとか。この人はいつも赤い服ばかり着ているけれどなぜかなとか。その人についてひたすら考えるんです。

 

 その人が何かをしたからよかったというよりも、その人の存在があることで私はこんなふうに思えましたということを言葉にして伝えるだけなんです。出会っていただいてありがとうございますという気持ちで「出会いに感謝」と書いたあとに、「山田さんが後ろで片付けをしてくださっていましたよね。そのお姿を見たときに、私も細かく気配りをできるようになりたいと思えることができました。先日、私もそういうことをしてみたらとても気分がよかったんです。ありがとうございました」。その人は私にそう感じてもらおうと思って動いているわけではないことに対して、そのおかげで自分がこうなれたから「ありがとう」と思いながら書いていました。

 

 

 それを書くということは名刺交換をしている瞬間からその人のいいところはなんだろうとずっと考えているということです。こういうことを繰り返していたら心に届く書を書けるようになっていきました。私、いいところ探しの達人ですよ!

 

 

藤田夫妻との出会い 初めて人生に希望の光が見えた

今は講演やセミナーなどをしていますが、かつての私は全然話なんてできませんでした。家庭環境に恵まれていなかったり、ひどい事件に巻き込まれたりして、人間不信になって、自分も信じられず、自分が嫌いで、今すぐ自分は死んじゃえばいいのにとずっと思っていました。

 

 でも、あるご夫妻との出会いをきっかけに人生が変わりました。沖縄の渡嘉敷島にダイビングの勉強で行って、ダイビングショップの宿で働いていたときに、たまたまご家族でいらっしゃったのが藤田ご夫妻でした。ご主人が体を治す先生で、私を見たときに「もうすぐ倒れる」とわかったそうなんです。

 

 ご主人が「なにかあったら言っておいでね」とひと言残されて帰って行かれたのですが、実際にまもなくして、倒れて、身体が動かなくなったんです。まったく働けない状態なので、そのダイビングショップには出て行くように言われました。帰る家もお金も、頼る人もいなくて、どうしようと思ったとき、藤田さんを思い出し、夜中にダイビングショップの宿帳を調べて藤田さんに電話をしました。「今、動けなくなってしまいました。助けてほしいんです」と生まれて初めて助けを求めました。彼らは「いいよ」と言ってくださいました。お金がないことを伝えると「これもご縁だからいいよ、治療してあげるよ」と。「家もないんです」と言うとさすがに驚かれましたが、ちょっと時間を置いて、すぐに「とりあえずおいで」と言ってくださったんです。それで大阪に行きました。藤田ご夫妻は、私の住む家と日用品をそろえてくださっていました。その後、食事から何から本当に面倒を見ていただいて、治療も無料でしてくださって、しばらくしてからは藤田ご夫妻の自宅に住まわせてくださったんです。

 

誰も信じられなかった頃。渡嘉敷島で藤田さんと

 

 そんなときに言われた彼らの言葉が私を変えてくれました。「亜泉ちゃんが今までどんな人生を生きてきたとしても、どんな過去があったとしても、私たちは全部受け入れるよ」。「亜泉ちゃんがこれから先、どういう人生を歩んでいったとしても、どういう人になったとしても、何をしたとしても、私たちは亜泉ちゃんのことをずっと愛し続けるからね」と言ってくれて、初めて愛というものを感じました。私は両親からはそういう形で愛情というものを感じられなかったので、生まれて初めて「私、愛されている」と溢れてくるものがありました。そのとき、とても小さいけれど希望の光が人生に見えたんです。もしかしたら私、まだいけるかもしれない。もうちょっと自分の力を見てみたいと思えて、そこからいろいろチャレンジしてみようとか、自分に向き合ってみようと思うようになりました。25歳のときでした。

 

 藤田ご夫妻には申し訳ない気持ちでいっぱいで「なぜなんの価値もない私にこんなことをしてくれるんですか?」と言ったら「そうじゃないよ。君はすごい人間になるからもっと自分を信じて」と言ってくださいました。「私は何をお返ししたらいいんですか?お金もないし何もできません」と伝えると「もし僕たちに何か返したいと思ってくれているのなら、亜泉ちゃんが亜泉ちゃんらしく輝いて、周りの人たちに光を照らしてあげなさい。それが僕たちへの恩返しだよ」と言われました。彼らとの出会いが今ここにつながる大きなきっかけでした。

 

 

最後にたどりついたのが あるがままに生きたいという気持ち

それから自分と向き合うようになりました。まずはたくさん付箋を買ってきて、自分は何がしたいのか、今心の中にどういう気持ちがあるのか、なぜこれがしたいのか、これをして何ができるのかなど、1つのテーマに対して30個くらいずつ自分の気持ちを書いて、部屋中に貼って、また書いて、ということを繰り返しました。

 

 最後に究極に出てきたのが「私はあるがままに生きたい」ということでした。当時息子が2歳で、この子みたいに泣きたいときに泣いて、笑いたいときに笑って、怒りたいときに怒って、また2秒したら笑っている。笑うことに理由はいらないですし、拗ねていてもすぐに楽しいことを見つけたら機嫌が直っている。こういう姿っていいな。私も昔はこういうふうにシンプルに生きていたんだなと思いました。それ以来「あるがままに生きたい」が人生のテーマです。

 

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