【インタビュー輝く人】Move 4 Japan代表 竹林 篤さん

 06/22/2013

ハワイ在住30年の竹林篤さんは、日本滞在中に東日本大震災に遭遇する。ハワイに帰国後、自身でも初めてのボランティア活動「Move 4 Japan〜今、私たちにできること~」を立ち上げ、チャリテ ィーコンサートを開く。その後、得意の焼きそばの炊き出しをするために東北の被災地へ通い続け、その数は延べ60ヶ所に及び、作った焼きそばは1 万2000食を超えた。復興にはまだまだ時間がかかる被災地とハワイをつなぎ、ボランティアの輪を広めようと動き続ける、輝く人。

 

 

東日本大震災から2年。

まだまだボランティア活動に終わりは見えません

 

 

被災地へ踏み出した最初の一歩

東日本大震災が起きた時は日本に行っていて、埼玉県でゴルフをしている最中でした。日本人として地震は何度も体験していましたが、あんなに激しい揺れは初めてで驚きました。

 

交通機関が麻痺していたので東京に戻れず、帰宅難民になって、その場で一夜を明かしました。そういう意味でも自分にとってインバクトが大きい出来事でした。

 

ハワイに帰って来ると、すでに各団体が日本に対していろいろな行動をしていました。ハワイのみなさんは温かい、すごいなと感じたと同時に自分も何かやらなくてはという気持ちが高まってきたんです。そこで 「Move 4 Japan~今、私たちにできること~」という名前で活動を始めることにしました。

 

もともと落ち着いていられないタイプで常に動き回っているので、人のため、被災地のために動きたいという意味を込めて Moveを使いました。 まずは4月下旬に、パロロ本願寺をお借りしてチャリティーコンサートを開きました。

 

ハワイのミュージシャンや他にポランティア活動をしている方など多くの方々が集まって協力してくれ、バザ ーで義援金を集めたりして、盛大なコンサートになりました。これがボランティアとしての最初の活動で、自分が発起人として企画から主体となって動いたのは初めてでした。

 

こうして集めた義援金や必要なものを日本に持って行きました。 初めて行った被災地は福島県の新地町です。

 

福島県に本社を持ち、全国展開している幸楽苑というラ一メン店の社長さんがハワイでのゴルフ仲間なので、震災の後すぐに大丈夫なのかどうか電話をしたんです。

 

店舗は使えなくなってしまったところもあるけれど、幸いl人も死傷者が出なかったということを聞きました。その時に被災地で何かをしたいので調べていただけない かと伺ったんです。

 

その後、秘書の方から福島県にある避難所とそこに避難している方の人数が書いてあるリストをいただきました。自分ができるポランティアの範囲は80~100人だと思 い探したところ、見つけたのが新地町でした。

 

秘書の方に問い合わせをしていただき、 FAXなどでやり取りをしました。どういう団体かなど聞かれたのですが、団体といってもハワイから私l 人と日本で2人加わった3 人だったので、先方は半信半疑だったかもしれないですね。

 

5月のゴールデンウィークの連休中だったので、日本全国からボランティアが集中した時期で、高速道路の東北道が大渋滞になった時でした。東京から首都高速道路に乗れず、埼玉県の川口まで行って、ようやく東北道に入ったのですが、通常なら5時間で行けるところを 10時間かかりました。

 

被災地の方に、電話で 「午後4時か5時に行きます。着いたらすぐに焼きそばを作るのでみなさん召し上がってください。」と伝えていたのですが、着いたのは午後6時を回っていました。お年寄りが多い町なので、すでにご飯が終わっていて、謝ったのを覚えています。

 

でも、10人くらいの方が「食べようかな。」と食べてくれて、美味しい美味しいと言ってくれたんです。 被災地では、焼きそばを作る時に、お待たせしないで食べていただけるように、早く火が通るひき肉を使うのですが、そのひき肉がそばに絡んでいるのを見て、「肉だ。」と言った方がいたんです。その言葉で肉を食べていないということに気づく印象的な出来事でした。

 

行ってみないとその状況はわ からないんですよね。当時はまだ仮設住宅もなく、体育館や市民ホールのような避難場所の脇で、布団がないのでダンボールを敷いて休んでいらっしゃった状態でした。水も持って行ったのですが、水はたくさんあって、むしろ東京の方が水不足だということも知りました。

 

たけちゃんの焼きそば

人生っておもしろいなと思うのですが、私は大阪出身なので高校時代に、行きつ けのお好み焼き屋さんでアルバイトをしていたことがあるんです。

 

家でも焼きそばやお好み焼きをよく作っていたので、作り慣れていたこともあって、アルバイトに行き始めて2日目には、7~8人前分の焼きそばの焼き方を教えてもらって、早速お客さんに出したという経験がありました。

 

ハワイでは、お世話になったパロロ本願寺の盆ダンスで、焼きそばを作ることを提案したところ、お祭りらしくなるということで、それ以来盆ダンスの時に焼きそばを作っています。

 

ハワイのローカルの方にと っては塩焼きそばが普通なので、ソース焼きそばは馴染みがなかったようで、最初は 辛くて色も黒いなどと言われましたよ。でも 「大阪の味はこれなんですよ!」と言って焼き続けていくうちに、みなさんがその味に慣れて好きになってくれ、最近は長蛇の列ができるようになりました。

 

以前は5~ 6人分ずつを焼いていたのですが、東京に行った時に20人前を同時に焼ける大きなサイズの鉄板に買い換えました(笑)。こうした経験もあって、大量の焼きそばを作ることには慣れていたので、震災の後に自分ができることといえば、まずはこれかなとすぐに思い浮かびました。

 

焼きそばの麺はハワイから持って行くんです。サンヌードルの社長の夕比木さんと は、昔ニューヨ ークヘ松井の野球を一緒に観に行って以来の友人なのですが、私のボランティア活動に協力してくれ、コストの半額くらいで麺を譲ってくれるんです。これは日本の4分の 1 の値段なのですが、ポケットマネーでやっていることなので、本当に助かります。

 

太麺でもちもちしていて美味しくて、しかも、ハワイから持ってきた麺ということで、被災地の方々は「ハワイの麺だ!」と喜んでくれるんです。 日本へ運ぶ量は、ひと袋2キロ弱のそばを50袋、合計100キロ近い重さになります。

 

他にも荷物があるので大変な作業なのですが、JALのご協力で、本来ならかなりの額のエクセスチャージがかかるところを無料にしてくれています。羽田や成田空港に蒼いて、1 人でカート3台の荷物を運んで いると、今度は日本のJALの方や税関の方が手伝ってくれるんです。

 

ぎっくり腰になってしまい、車椅子で行ったことがあるのですが、車椅子で迎えてくれ、その時はカートが4台もあったので、大名行列のように JALの方が5人がかりでフォローして車のところまで連れて行ってくれました。

 

荷物に は支援物資と大きく貼っていくのですが、ボランティアをしていることに、みなさんが 「お疲れ様です。」と言って気持ちよく手伝 ってくれるのは本当にありがたいことです。 ソースやキャベツなどは日本で用意しています。

 

野菜などはできるだけ現地で調達しています。産地で採れたものは新鮮で低価格なんです。作る量は、80人前くらいの時もあったり、200人くらいのこともよくあります。

 

400人とリクエストされたこともあるのですが、量的には可能でも20人分ずつ作るため、お待たせすることになってしまうので200人までが現実的だと感じています。

 

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