【インタビュー輝く人】レースドライバー / 実業家 田嶋伸博さん

 08/24/2013

転倒後、 総合優勝という劇的なデビュー

ーそこからレースドライバーとしてデビューされたのですね。

アルバイトを続けながら、そこの工場長 の車を借りて公式戦に初出場しました。 午前と午後の2回出られるようになって いたのですが、午前の1回目で、スタートラインに行ったら頭が真っ白になってしまって、いきなり第 1 コーナーで転倒してしまったのです。屈辱ですよ。

 

それで、午後もう 1 回走らせてくれといって、車体を叩 いて直して、ガラスがないので二輪のゴーグルをつけて、ぬれタオルで顔をまいて出 たら、今度は総合優勝したのです。

 

それをマーシャルランプの人が見ていて、とんで もないのが出て来たということで、スポンサーするからチームに入らないかと誘わ れて、それからずっと休学して、レースをしていました。

 

 

ーご両親は反対されませんでしたか。

父は最初は猛反対でした。でも、学校を卒業してから態度が変わりましたね。僕が 出ているレ一スに、内緒で応援に来てくれたりもしていたようですから。僕は、親のい うことを聞くのもいいけれど、自分の信念を貫いて頑張っていくことのほうが、本当は 親孝行なのだと思います。

 

何でもかんでもレールの上に乗っかっていくだけの子供は、あまり幸せじゃないと思います。自分でチャレンジして、いろんな問題が起きても、その困難を乗り越えていく喜びというのは、モータースポーツと一緒だと思います。

 

僕は自分の道を歩ませてもらったので、そう いう意味では自分の人生に悔いはないし、また、母はそれを認めてくれたので、とても感謝しています。その父親からは、大学中退はまかりならんといわれて、僕自身も、入ったからには出なければという気持ちもあったので、復学して大学は卒業しました。

 

卒業する時に、教授から大手自動車メー カーに入るように言われて僕はラリーをやりたかったので嫌だったのですが、 「どうしても入れ」と言われ、しかも入社するための 支度金までくれたのです。それをすべてガソリン代に使ってしまい、お金も返せなくなっ てしまい観念して会社に入ったのです。

 

 

車づくりを目覚して入社した大手自動車メーカーでトップセールスに

ー大手自動車メーカーには、エンジニア として就職されたのですね。

僕は車を作りたかったので開発部門を希望していましたが、入社して営業研修に回された時に、6、7 月の全国のキャンペーンで営業成績がトップになったのです。そ れで、 「君は営業のセンスがある」と言われ て、そのまま営業に配属されました。

 

営業をやっていると、週末もイベントがあって、セールスしないといけないじゃないですか。それでもモータースポ一ツをやりたい から、 週末は営業せずにモータースポ一ツに行く。平日は営業。

 

だから、お客さまのところには夜討ち朝駆けで、何時であっても出向きました。週末はいなくても、ほかの人に負けない数字を上げようと思ったので す。海外ラリーに行く時は、出発前に車を売って、向こうからお客さまに絵はがきを送っていました。そうしたら、喜んでくれて、ファンクラブみたいになってしまってね。

 

そ うこうするうちに、お客さまがお客さまを紹介してくれて、どんどん広がって行きました。 今もその当時のお客さまで、車を買ってくれ る人たちがいるんですよ。40年ぐらい前から ですから、本当に有り難いです。

 

 

—セールスとして苦労されたことは?

あの頃の車は、まだ性能的に問題も多か ったのです。最高級車に乗って箱根の山に行ったら、坂道が登りにくくて軽自動車が 抜いて行くという苦情も来たりしていまし た。僕は謝りに行くしかない。

 

だめなものは だめなわけだから、勘弁してもらうしかない。謝り方と誠意しかないですね。そのかわ り、下取りでは、どこにも負けない値段で、そのお客さまの車を買い取ってあげて、決して裏切らないようにしたのです。それでまた次の車を買ってもらうようにしました。

 

 

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