【インタビュー輝く人】カザマ・エンタープライズ社長 ウォーリー・カザマさん

 11/23/2013


ハワイに2回移民したカザマ・ファミリ ーの歴史

カザマ・ファミリー のハワイとの関わりは、1世紀以上前まで遡る。新潟県の農家だったウォーリーの祖父母、風間芳三郎とハナは、1910年、不況にあえいでいた日本を脱出し、家族の困窮を救うためにハワイに渡航した。

 

カウアイ島のサトウキビプランテーションで職を得た二人は、早朝から日が暮れるまで、重労働に耐えて働いた。二人の間には、長男の芳一郎と次男の勇が誕生。1915年、苦労して貯めたお金を持って、 二人は日本に帰り、二人の子どもを親に預けて、再 びハワイに渡った。

 

芳三郎はホノルルで洗車の仕事 をするかたわら、ベレタニア・ ストリートで風間物産店を開き、ホノルル港に寄港する船に卸売りをして働いた。ハナは隣で散髪屋を出し、二人で一生懸命に働いた。そして1916年に生まれたのが、ウォーリーの父である勝美である。

 

その後、妹の千代美、操、弟の寓夫が生まれる。 そして1923年に、夫妻は子ども達を連れて日本へ帰国した。ちょうど関東大震災直後であったため、 船は横浜に寄港できず、神戸に上陸し、そこから新潟に帰郷した。当時、勝美は7歳であったが、その後9年間、勝美は新潟で少年時代を過こした。

 

ところが徴兵で兄が軍隊に入隊したため、息子すべてを軍隊 に入れることを避けるため、芳三郎夫妻は1932年、 16才の勝美を単身でハワイに送り返した。英語のできなかった勝美は、仕亭をみつけるのに大変苦労したが、アイエア・シュガー・ プランテーションに職を見つけ、両親と同じように働くことになった。

 

プランテーションで2年間働いた後、中島雑貨店という店で勤務する。その間に、同じ新潟出身の日系2世であった治子と結婚し、えみ子、勝一(ウォーリー)、はるみの3人の子どもを設けた。

 

6年後、中島店主の勧めも あり、勝美は独立して中古車を買って、豆腐の行商を 始めた。その頃から不動産に興味を持ち、行商して固るうちにアイエアのダウンタウンで、風間商店を要 のえみ子が営むようになった。

 

そして勝美はアイエアの芹畑(ウォータークレス)を請け負って、芹を栽培してホノルルの店に卸し、帰りには卸問屋から缶詰類を仕入れてアイエア・ パールシテイの店に卸す商売を始めた。

 

勝美の毎日は、朝4時から働きに出て、毎日15時間から18時間働くという厳しいものだった。そのかたわら、日本に残った弟の富夫への送金を 続けた。寓夫は後に勝美の誘いにより、ハワイに 移住した。

 

勝美夫妻は、1950年にはアイエアにカザマス ーパ一マーケットを開き、1952年にはアィエア、ワイマル、カパラマにも店を開いた。それを機にビジネスは順調に成長を続け、1963年には、ワイマル・ショッピング・センター、1965年には風間エンタープライズ会社、スーパージェット旅行社を創業した。

 

1972年には3か所のスーパ一マーケッ トを売却し、その土地に地下2階、地上7階のアイ エア・メディカル・ビルディングを建設した。今のアイエアの基礎を築いたのは勝美・ カザマだ」 と言 われるほど、地域社会に敬愛された勝美は2004年にその生涯を閉じたが、彼の始めた事業は、息子のウォーリー(勝一)に受け継がれ、さらに 成長を続けている。

 

また、ウォーリーの子ども達も家 族経営の事業に参加している。 ワイマル・ショッピング・ センターは、今年、50周年 を祝った。

 

(風間勝美小史より/敬称略)

 


 

 

(日刊サン 2013.11.23)

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