避難指示解除後の新生活に向けて

 12/02/2019

日本政府は、2011年3月の福島原発事故後、住民避難を余儀なくされた原発周辺にある町や村に住民を戻し、活性化させることを決定した。この地域の面積は福島県全体の3%以下と小さいが、原発事故以来この地域は福島に関する多くの否定的な報道の対象となっていた。この記事では、避難を強いられた町のひとつが自分たちの町を再興し、新しく住民となる町民や帰還住民が生活し、働くことができる安全な場所を作るための取り組みについて説明する。

 

双葉町役場いわき事務所で2019年8月29日伊澤史朗町長と面談を行う

 

■双葉町

 山と海岸に囲まれた風光明媚な福島県の太平洋沿岸に位置する双葉町には、第一原子力発電所の5号機と6号機が立地している。原発事故の前には、約7千人の町民同士が強く結ばれながら生活を営んでいた。震災翌日、町民は避難をし始めたが、政府や警察から混乱した指示を受けたため、のちに様々な場所へと移り住むこととなった。現在、避難住民の4千60人が福島県内に、2,802人が日本各地にそして6人が日本国外に居住している。

 

 私は、双葉町の伊澤史朗町長から、新しい町づくりへの考えや2017年に国に認定された、特定復興再生拠点区域復興再生計画についての説明を受けた。双葉町のホームページには、土地の活用、公共事業計画、新事業の誘致、居住区域、交通など、復興を加速させるための計画が説明されている。また、放射線の専門家で構成された町の放射線量等検証委員会の説明、町長への放射線に関する提言が掲載されている。双葉町の除染計画は2015年2月に始まり、現在も継続している。

 

 伊澤町長は、この8年間で双葉町が大きく前進したことを確信しているが、まだまだ大きな課題が待ち受けており、この町の将来が不透明である事を感じている。町長は、双葉町の避難者すべてを今でも大切な町民だと考え、彼らと密に連絡を取り合っていくことが町長として大切な義務だと感じている。避難者同士が親密な関係を維持できるよう、町長は、避難中の町民が双葉町を頻繁に訪れ、元の家を確認したり、引っ越して行った昔の隣人と繋がる事ができるようなプログラムを立ち上げた。また、双葉町17行政区長との間の強い絆を維持し、町民同志が会う機会を設けたり、経費を補助したりするなどしている。

 

 町長は、町民を大きく4グループに分け、各町民のニーズに応えようとしている。最初に、なるべく早く双葉町に戻りたいと考えている町民。2番目は、いずれ町へは戻りたいが帰還の時期を待つ町民。3番目は、町が立地する産業拠点への新規参入者やその就労者。最後に、戻らないと決めたが双葉町との関係を維持したいと考えている住民。避難指示解除後の帰還者数は未定だが、町長は2027年までに7千人いた町民のうち2千人の帰還を目指すとしている。

 

 最初の復興地域として2020年に最初に避難指示が解除される予定地域は、町全体の4%にあたる北東部の2平方キロメートル。同時期に常磐双葉インターチェンジ、JR常磐線双葉駅の再開が予定されている。その後2022年には町域の11%に相当する5.6平方キロメートルが続き、復興第2弾目の地域は最初の復興地域よりはるかに広い双葉駅の西側に位置している。公共住宅も活性化の一環として建設される予定だ。

 

 双葉町北部にある「中野地区復興産業拠点」においては、町が新規事業を始めるために交渉している20社のうち10社が協定を結び、10社のうち8社がすでに協定に署名を行った。原子力発電所に最も近い産業拠点となる中野地区には、廃炉作業員を養成するための施設を建設する計画もある。双葉町には原子力発電所に最も近い工業用地があるため、この点で有利な位置にある。双葉郡の住民8万人のうち、避難指示が解除された地域に戻ったのは1万5千人にすぎないが、産業基盤や住宅が完成し新たな仕事が得られれば、さらに多くの人が戻ってくるだろうと町長は語った。ここ数年、避難地域にあったの商店街も解除後には再開されている。

 

震災で被害を受けた双葉町内の神社。現在は修復工事が進められている

 

 2019年9月、町では原発事故後初めて避難指示解除を見込んで野菜の試験栽培を行い、農業の復興を開始した。農家は、五種類の農作物を栽培し、その収穫された野菜の放射線量を国の基準(100ベクレル/kg)と比較することとしている。もし、放射線量が基準を下回った場合、県は国に出荷制限の解除を求める予定としている。

 

 建設されているインフラ事業には、双葉と南北主要都市を結ぶ常磐自動車道常磐双葉インターチェンジ(IC)や、常磐双葉ICと新産業拠点を結ぶ道路などがある。また、町の産業交流センター、県のアーカイブ拠点施設、国と県の復興祈念公園も新設される予定だ。双葉町は、国の除去土壌等の中間貯蔵施設を受け入れているが、伊澤町長は 「受け入れは非常に難しく、つらい決断だった」 としながらも、福島の町や村が受け入れなければ、福島の再生は進まず、また、貯蔵された汚染廃棄物に悩まされながらも双葉町の町民を助けてくれた多くの地域に恩返しをしたいという思いからの決断だったと、述べた。

 

 


スティーブ・テラダ

日系三世のアメリカ人で、祖父母が112年前に熊本からハワイに移住。ワシントン州シアトルの米国陸軍工兵隊・不動産部門のチーフを退職。在日米軍の不動産部長として東北から広島までの米軍基地の不動産管理に当たっていた。 陸軍を退職後、災害管理援助のため1年間の予定で福島に移住。現在も福島が「悪評」に苦しんでいることを知り、地元の人たちから福島の実態を世界に知ってもらうために、第三者的視点でストーリーを書いてほしいと頼まれたことから事実の伝達者として1年間のビザを取得。現在調査と執筆のため、福島県福島市に在住。


 

 

 

(日刊サン 2019.11.30


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