花火見物がもっと楽しくなる!花火の豆知識

 07/13/2019

毎週金曜日のヒルトン・ハワイアン・ビレッジを始め、独立記念日やホノルル・マラソンなど、ハワイの各行事でもお馴染みの打ち上げ花火。皆さんは、花火の構造や打ち上げの仕方、花火の種類や歴史などをご存知でしょうか? 今回のエキストラ特集では、花火見物がもっと楽しくなる「花火に関するあれこれ」をご紹介します。

 

 

花火の歴史

花火の起源は狼煙(のろし)  

花火の起源は、紀元前3世紀の古代中国で、火薬の素になる硝石が発見されたことと言われています。秦の始皇帝の時代には、戦の際に煙を上げて通信手段とする黒色火薬「狼煙(のろし)」が使われていました。この火薬が13世紀頃までにシルクロードを通ってローマへ伝わり、14世紀にイタリアのフィレンツェで観賞用の花火が作られたと考えられています。

 

 

ヨーロッパではイタリアとイギリスで盛んだった  

13世紀頃のヨーロッパでは、火薬と花火は主にイタリアで生産されていました。初期の花火は大砲などを用いた祝砲として使われ、煙に色がついていたり、より音が大きくなるようにしたものだったと言います。

 

14世紀にイタリアのフィレンツェで始まった観賞用の花火は、キリスト教の祝祭(おそらく謝肉祭)の際に飾られる人形が口から火を吐く仕掛けを作るために用いられたとされています。  

 

16世紀になると、イングランド(イギリス)で花火の技術が発達し始めます。時の国王、ヘンリー8世は、王室の軍隊に花火師を徴用し、誕生日や結婚式、戴冠式など、行事のたびにテムズ川で水上花火を鑑賞していました。  

 

17世紀に入ると、スウェーデンやデンマークなど、北ヨーロッパを中心に花火を学ぶ学校が設立され、より専門的な知識を持った花火師たちが登場します。イングランド王のジェームズ1世は、娘の結婚式を花火で盛大に祝うため、デンマークから花火師を招いたのだそうです。17世紀後半には、花火研究所が設立されたり、花火に関するテキストが刊行されるなど、ヨーロッパの花火技術はますます発展していきました。

 

 

日本の花火の歴史

室町時代  ―  唐人が披露した花火の記録

日本で花火が使われた最古級の記録は、室町時代、公家の万里小路時房が記した日記『建聖院内府記』に見ることができます。それによると、1447年5月5日、法事が行われた後の浄華院境内で、唐人が火を使った「風流事」を行ったとされています。

 

唐人は竹製の枠を使い、それに火を付けて「薄、桔梗、仙翁花、水車」などの形を見せたり、縄を伝う火が行き来する様や、火を付けると走り回る「鼠」、手に持って火を付けると「流星」のように飛ぶものなどを披露したと言います。日記を記した時房は「希代之火術也」と賞賛し、唐人に褒美を与えました。

 

この時代、将軍の足利義教が日明貿易を行なっていたため、多くの輸入品に混じって花火も日本に持ち込まれていたようです。

 

 

江戸時代  ―  花火鑑賞が一般化

江戸時代に入ると、花火専門の火薬屋が登場します。おもちゃ花火も人気があったようで、1712年頃に記された百科事典『和漢三才図会』には、鼠花火や狼煙花火が紹介されています。打ち上げ花火は事故が多かったため、幕府による打ち上げ花火禁止令が何度も出されたものの、隅田川だけは花火を上げることが許されていました。裕福な商人たちにとって、納涼船を出し、「鍵屋」に花火を上げさせるのがステイタスのひとつでした。

 

 

「玉屋」「鍵屋」   

「たまや」「かぎや」の掛け声の由来


日本最古の花火業者は「宗家花火鍵屋」で、現在15代目です。1659年、大和国篠原(奈良県)から上京した初代弥兵衛が、葦の管に練った火薬を入れたおもちゃ花火を売り出したのが鍵屋の始まりでした。  

 

1711年、徳川家宣の命令で、鍵屋は隅田川で初の花火を打ち上げます。そして1733年、飢饉や流行病の死者の慰霊のための水神祭で、現代まで続く両国川開き大花火を創始しました。この時の花火師は6代目弥兵衛で、上げた花火の数は仕掛と打ち上げ合わせて約20発でした。

 

1808年、鍵屋の番頭だった静七が暖簾分けをし、両国吉川町で「玉屋市兵衛」を名乗りました。そして、両国川の上流の花火は「玉屋」が、下流の花火は「鍵屋」が担当するようになったのです。この二大花火師の競演を応援するための掛け声が「たまや」「かぎや」でした。  

 

しかし1843年の5月、玉屋が火事を出し、店を含めた半町(約1500坪)の町並みを焼いてしまうということがありました。江戸時代、失火は重い罪だった上、さらに不運なことに、火事が起こったのは徳川家慶が東照宮参拝に出立する前の夜のことでした。玉屋は財産没収に当たる「闕所」(けっしょ)の上、主人の玉屋市兵衛は「江戸お構い」処分で追放されてしまい、一代で家名が断絶してしまいました。

 

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