【特集記事】米の日本史と雑学 脈々と受け継がれて3000年!

 11/14/2019

私たちの食生活に欠かせない米は、小麦、トウモロコシと共にに世界3大穀物に数えられています。日本で稲作が始まったのは縄文時代後期のことでした。以来、約3,000年をかけて脈々と受け継がれてきた日本の稲作ですが、現代でも、より美味しい米を作るための品種改良や稲作技術の開発などにいとまがありません。世界中で日本人ほど米に思い入れのある民族はないと言われていますが、その背景にはどんな歴史や文化があるのでしょうか? 今回のエキストラ特集では、日本の米の歴史や文化を紐解きながら、米に関するあれこれをご紹介しましょう。

 

米の日本史

稲作の始まりは約3,000年前

 稲の原産地は中国中南部。中国北部、南アジア、日本の順で伝わったといわれています。日本での稲作は、約3,000年前の縄文時代後期から行われていました。福岡県の板付遺跡や佐賀県の菜畑遺跡などの縄文遺跡からは、炭化した米や、土器に付いた籾(もみ)、水田の跡、用水路、石製の包丁や石斧、田下駄などの農具、水流をせき止めて水量調整をする柵(しがらみ)などが見つかっています。 縄文時代後期の水田は整備された水稲耕作で、その頃には大陸の稲作民族がその技術を携えて北九州地方に渡来していたことが伺えます。稲作技術が伝わる以前は、麦、キビ(キビ)、粟(アワ)、稗(ヒエ)などの雑穀と稲が混作されていたと考えられています。

 

弥生時代、日本列島各地に広まる

 水田稲作技術は、弥生時代に入ると休息に日本列島へ伝播し始めます。弥生時代の水田跡で最も有名なのが静岡県の登呂遺跡で、木製の柄のついた鍬や鋤などが見つかっています。先述の佐賀県の菜畑遺跡では、弥生時代前期の層から、大型の水路や堰(せき)、排水口、木の杭、板で作られた畦道などの水田遺構物が出土しています。この時代、米1粒当たりから生産できる量は約400粒でした(ちなみに麦は1粒当たり約160粒)。現在は、品種改良や稲作技術の進歩などにより1粒当たり約2,000粒の生産量があります。 米は、麦などの他の穀物に比べて栄養価が高く、ほぼ完全食。しかも大量に収穫できるため、日本の人口増加の原動力になりました。

弥生時代の稲作の想像模型(国立科学博物館)

 

米の脱穀を専門とする「舂米部」

 米を食用にするには、稲穂の種から種皮などの糠を取り除く脱穀作業が必要です。飛鳥時代以降の朝廷では、米の脱穀が専門の職業部「舂米部(つきしねべ)」が置かれていました。この時代の脱穀は、頑丈な臼に玄米を入れ、上から杵(きね)で叩くというもの。この作業は「搗(つ)く」「舂(つ)く」、白米にすることを「毇(しら)ぐ」「研ぐ」と呼ばれ、得られた精米は「舂米(つきしね・しょうまい)」といわれました。精米後の臼に残った糠や米粉、割れた米、小さい米は、水や他の食材と合わせて餅などに調理されていたようです。

 

弥生時代の食事。赤米が食されていた。(出典:『kokusan徒然日記』 http://kokusanlife.blogspot.com)

 

政治経済の中心にあった米

 米は食料として重要である一方、長期保存ができるという特徴があるため、日本では経済的に特異な立ち位置にある穀物でした。江戸時代には年貢として治められたほか、地域の領主や家の勢力を示す指標「石高制」にも使われました。貨幣経済が発達した後は、旗本や御家人の俸禄である蔵米の換金手続きを行う札差(ふださし)業が発達したり、米の保管証明書である米切手が発行されるなど、江戸時代の米は常に政治経済の中心にありました。 このような歴史的背景からも、日本人が持つ米への思い入れの深さが伺えます。

富嶽三十六景より『江戸日本橋』(葛飾北斎・1823年)。江戸時代の蔵と米の仲買人が描かれている。

 

神道との関わり

 

新嘗祭(にいなめさい)

 新嘗祭は、11月23日、天皇がその年に収穫された五穀を天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らもこれを食べて収穫に感謝する宮中祭祀の1つです。天皇の即位の礼の後、初めて行われる新嘗祭は大嘗祭(だいじょうさい)と呼ばれます。日本神話の神の1柱、邇邇芸命(ニニギノミコト)が高天原から国土に降り立った際、天照大神から三大神勅を授かりましたが、その1つに「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」がありました。『日本書紀』には「吾が高天原にきこしめす斎庭の稲穂を以て、また吾が児にまかせまつるべし」と記されています。新嘗祭の起源はこの稲穂を神様に捧げて収穫に感謝するという行事で、一説には弥生時代にまでさかのぼると言われています。

 

神撰の糈(くましね)

 神道の祭で神様に供する飲食物を「神饌」と言います。神饌には、新鮮で清らかな海、川、山、野の産物を奉じます。その中でも重要な五穀(稲・麦・粟・稗・豆)の中心になるのは米。舂米を神前に捧げるため洗い清めた米は糈といいます。五穀はおよそ下記のような形で1番始めに献じられ、2番めに酒類、3番めに餅類の順で献じられます。

◆稲=和稲、荒稲、頴(かい:穂先のこと)、 懸税(かけじから:稲の初穂)など

◆米=白米、玄米、糯米、洗米、染米など

◆飯=白飯、赤飯、強飯、小豆飯、粟飯など

◆粥=米の粥、小豆粥、七種粥、粟粥、 稗粥など

 

鏡餅は一般の食べ物として浸透した神饌のひとつ

 

 

日本の主な米料理

おにぎり(おむすび)

 炊いた米を握って塊にしたもの。米を食べる文化圏のうち、日本だけにある食べ方と言われています。「おにぎり」は本来は手で握ったものを指す言葉で、西日本での主な呼び名でもあります。笹の葉などでくるみ紐で結んだものは「おむすび」と呼ばれていました。東日本ではおむすびと呼ぶことが多いようです。おにぎりは、少なくとも約2,000年前から食べられていました。石川県の杉谷チャノバタケ遺跡の竪穴式住居跡からは、日本最古の炭化したおにぎりが発掘されています。  

 現代のおにぎりの直接の起源は、平安時代の屯食(とんじき)と言われています。屯食とは玄米を卵形に握り固めたもので、平安時代、宮中や貴族の家で催し物があった際、屋敷で働く人々に「ご苦労様」という意味をこめて配られていました。以降、おにぎりは簡単で便利な食べ物として戦国時代の携帯食や農作業の弁当などとして用いられるように。この頃のおにぎりは表面に塩を付けたシンプルなものでした。おにぎりに海苔が巻かれるようになったのは、板海苔が登場した江戸時代中期のことでした。

 

強飯(おこわ)

 蒸した米のことで、「こわいい」とも読まれます。蒸した米が炊いた米よりも硬いため、「硬い」の古語「こわい」から「おこわ」と名付けられました。

 

赤飯

 もち米にアズキやササゲを混ぜて蒸したおこわ。おこわ同様、白飯と比較してカロリーが1.5倍ほど高くなるものの、銅とたんぱく質は白飯の約2倍。亜鉛などの栄養素も含まれています。また、もち米はでんぷんの一種であるアミロースが少ないので腹持ちがよいと言われています。

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