戦没者を悼むアメリカの祝日、メモリアルデー

 05/27/2017 : 1032 Views

アーリントン国立墓地

 

5月の最終月曜日はメモリアルデー(Memorial Day)。

日本語では戦没将兵追悼記念日などと呼ばれている アメリカの祝日です。

この日は兵役中に亡くなった人々を追悼する日。

全米で様々な関連イベントが催されると共に、 家族で集まるバーべキューの日でもあります。

南北戦争から始まった伝統を、ここでご紹介します。

 

メモリアルデーの歴史

北部から広まった習慣 

戦死した兵士の墓を飾るという習慣は、南北戦争(1861-1865)で亡くなった北軍兵士を讃えるために始まりました。  

戦没者将兵追悼記念日の公式な発祥地は、ニューヨークのウォータールーで、1866年5月5日に初めての追悼式が執り行われ、それ以降は毎年その日が記念日となりました。ウォータールーの著名人だったジョン・マレー将軍と、その日を毎年祝うことを推奨し、イベントを全国的に広げた主要人物であるジョン・A・ローガン将軍との二人の友情が、祝日を発展させることになった要因といわれています。  

ローガン将軍は、南軍が特別な日に自軍の死者を称える方法に感銘を受け、北軍にも同じような日が必要であると確信しました。伝えられるところによると、ローガン将軍は以下のような式典が追悼記念日に最もふさわしいと語ったといわれています。

「古代ギリシア人は、死者を、特に英雄を月桂樹と花の飾りで称えた。戦没者の追悼記念日を、この地のすべての兵士の墓を飾るための日とするよう命令を出すつもりである。もしできるなら、その日を祝日としたい」  

ローガン将軍は、1866年4月29日、イリノイ州カーボンデールの墓地で行われた市を挙げての記念祝典の主要講演者でした。その日を国民の祝日にするというアイデアが彼の頭に浮かんだのは、このイベントだったといわれています。  

1868年5月5日、北部の退役軍人団体「グランド・アーミー・オブ・ザ・リパブリック」の代表として、ローガン将軍は「デコレーションデー」を全国的に祝うべきであるという声明を発表しました。そしてその年の5月30日に、初めて祝われることとなりました。その日が選ばれたのは、それが戦闘の記念日ではなかったからです。北軍兵士の墓は、この日を祝って飾られました。

 

ジョン・A・ローガン

 

イベントは1868年には27州183墓地で、1869年には336墓地で開催されるようになりました。北部ではすぐさまその日を祝日に制定しました。ミシガン州は1871年に「デコレーションデー」をステイトホリデーに制定。1890年までにその他の北部の州も州の祝日に制定しました。  

1870年には、30万近い北軍の戦死者が、主に南部の戦場に近い73ヶ所の国立墓地に埋葬されていました。最も有名なのは、ペンシルベニア州のゲティスバーグ国立墓地とワシントン近郊のアーリントン国立墓地です。  

メモリアルデーのスピーチは、ベテラン、政治家、司教によって戦争を振り返る機会でもありました。多くの人々が国のために犠牲となったことを悼み、宗教や人種を超えて共に死者を追悼する日になっていきました。

 

南部には独自の追悼イベントがあった

多くのアメリカ連合国の州は、北軍に対して残っていた敵意のため、また、南部に暮らす北軍の復員軍人がきわめて少なかったこともあり、デコレーションデーを祝うことを拒みました。

しかし、1866年当初、南部諸州には独自のメモリアルデーがありました。4月26日から6月中旬までの間にそれぞれの地域で追悼記念イベントが行われていました。  

初代アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイビスの誕生日である6月3日が、1916年に10州で祝日に制定されました。南部では戦後多くの団体が設立され、連合軍兵士の墓を守り、記念式典を行ったり、記念碑を設置するなどの活動が盛んに行われていました。  

最初のメモリアルデーは非常にシンプルなもので、ヴェテランとその家族が墓地を訪れる日でした。1890年代になると、次第に趣を変え、南部の歴史と伝統を表すイベントとなっていきました。  

注目すべき例外はコロンバスで、1866年のデコレーションデーに墓に埋められた北軍及び南軍の犠牲者を、両軍共に追悼しています。

 

ゲティスバーグ国立公園の式典

メモリアルデーのセレモニーとして有名なゲティスバーグ国立公園の式典は、1868年に始まりました。南北戦争終戦50周年記念として、最大の激戦地となったゲティスバーグに、北軍と南軍のベテランが集まり式典が行われました。この日は「ブルー・グレイ・ユニオン」として4日間に渡りパレードやスピーチなどが行われ、南部から初めてホワイトハウス入りを果たしたウィルソン大統領も式典に参加しました。また、アラバマ州の連邦上院議院ジェームズ・へフリンがメインのスピーチを行っています。へフリンはアメリカ史上最も有名な上院議員でもあり、リンカーン追悼式典での演説でも知られています。母の日を祝日に制定したのもこの人物です。

 

 

南北戦争の様子

 

多くの南部諸州は戦没将兵追悼記念日を長い間認めませんでしたが、第一次世界大戦の多くの復員軍人は南部出身であったため、第一次世界大戦以降認めるようになりました。

 

最初はデコレーションデーと呼ばれていたメモリアルデー

最初は「デコレーションデー」と呼ばれることが多かったこの祝日が、初めて「メモリアルデー」と呼ばれたのは1882年でした。しかし、第二次世界大戦の後になるまでずっと一般的にはならず、1967年まで連邦法では公式な呼称としては用いられませんでした。  

1968年6月28日、ハッピーマンデー追加法案 (Uniform Holidays Bill)がアメリカ合衆国議会を通過し、週末を三連休にするために4つの祝日が指定された月曜日に移されました。この祝日とは、ジョージ・ワシントンの誕生日 (発展して大統領の日 Presidents’ Dayとなった)、コロンバスデー、復員軍人の日 (Veterans Day)、メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)です。これによりメモリアルデーはこれまでの5月30日から、5月の最終月曜日に変わりました。  

法律は、連邦レベルで1971年に施行されました。導入時の混乱と州レベルでの反発が多少見られましたが、全50州が数年内に施策を承認しました。(復員軍人の日は結局元の日に戻る)ハワイ州のダニエル・イノウエ上院議員は、第二次世界大戦に兵士として従軍しており、1998年以来メモリアルデーを伝統的な日に戻す方法を繰り返し発表しています。  

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