BRUGベーカリー・オーナー チェ・ミホさん

 05/11/2019 : 253 Views

日本のおいしさを、そのまま世界へ

 

ブルクベーカリーでは食パン、惣菜パン、スイーツパン、サンドイッチなど、そのラインナップは100種にものぼる。そしてすべてのパンは、一から手作りだ。

毎日、朝4時からパン生地の仕込みを始める。惣菜などの作り置きはせずにその都度作る。効率よく一か所で機械を使って作るセントラルキッチン方式もあえて採用せず、それぞれの店の奥の厨房で、パン職人らがパン生地を仕込み、寝かせ、焼き上げている。

だから店には正真正銘の、焼きたての芳香が満ち溢れているのだ。

1977年に北海道で創業したブルクベーカリーは、北海道産の小麦にこだわり、防腐剤や着色料などを使わず安心安全な手作りパンで、多くの札幌市民に愛され続けてきた。

ハワイオアフ島への初出店は2013年。ハワイでも北海道産の小麦粉を輸入して原料とし、高品質な焼きたての食パンや、日本ならではの惣菜パンなど、“日本のパン屋さん”を前面に打ち出した販売を展開。たちまち日系人の間で大評判になり、ローカルのパン好きにも広まっていった。2018年にはハワイのBest Bakeryにも選ばれた。

現在ブルクはアラモアナセンター内に2店舗、パールリッジ店、マノア店の4店舗があり、本日5月11日にはカハラ店がオープンする。

6年間で5店を開店させることができたのは、顧客の信頼を裏切らないクオリティと、誰もがおいしいと思える、パン作りに対する創意工夫があってこその躍進だ。

その快進撃を牽引してきたのは、BRUG Bakery Hawaiiのオーナーで、2児のお母さんでもあるチェ・ミホさん。正式名は、ミホ・ヨシオカ・フェレナンデスさんだ。国籍不明!? なんともインターナショナルな名前は、ミホさんのボーダレスでダイナミックな半生を物語っているのであります。

 

ブルグで人気のレーズンブレッド、ストロベリーカスタードデニッシュ、モンキーブレッド、ソーセージロール、メロンパン。真ん中は新発売の、絶品 塩トリュフパン!

朝8時の開店とともに終日お客が絶えない、アラモアナセンター・ラナイのブルク

 

 

 

BRUGオーナー、チェ・ミホさんのボーダレスな半生

 

「私は在日韓国人3世として、日本で生まれ育ちました。吉岡美保という日本名はあるのですが、韓国名のチェ・ミホという音の響きが好きで、ずっとこの名前を使っています。9歳の時、初めてマイケル・ジャクソンの歌や踊りを見て感激し、世界は広い、世界にはものすごいタレントを持った天才たちがいるんだって思いました。英語や韓国語など語学を覚えるのが得意で国際的なことに関心があり、18歳の時にはスペインに留学する機会もありました」

大学卒業後は韓国のアシアナ航空に就職した。 「旅客部で営業や収益をコントロールする仕事をしていました。世界を見たかったので会社のベネフィットを利用して、短い休暇でも飛行機に乗って世界中、何十ヵ国も旅していました」

仕事は本当に楽しくて好きだったが、どこかでこれがライフワークだとは思えなかった。

「25歳の頃、国境なき医師団の活動を知り、国際的貢献をしたくて医学部の学士編入を目指してひたすら勉強をしました。でも私立の学費の壁を越えられず、医学部は断念し、早稲田大学大学院商学部でグローバルサービスビジネスの勉強をして、経営学修士MBAを取りました」

アシアナ航空に勤めながら、仕事と勉学を両立した。MBAを取得後、ミホさんはシンクタンクの日本総合研究所に転職。その後、アメリカ人の男性と知り合い結婚。夫が中国の上海に赴任するのを機に、ミホさんも同行した。

「それまでバリバリに働いていたのに、上海では専業主婦に一転でしょう。料理や食べ物のことは以前から好きだったけれど、夫は夜遅くまで仕事だから家で食事をするのも稀で、腕をふるうチャンスも少ない。これから私の人生をどうしたらいいのか、方向を見失ってしまいました」

悶々とした生活を送っていたある日、ミホさんは古くからの友人の北海道ブルクのオーナーから、事業への誘いを受けた。

「日本で人気の“なめらかプリン”を中国でも製造販売したい人がいるのだが、ミホも一緒にやらないか」

 

 

見知らぬ中国で、プリンを売って年商15億円!

 

皆さんは“なめらかプリン”をご存知だろうか? ふるふると限りなく柔らかな口溶けで、フランスのクリームブリュレにも似た濃厚な生クリームの味わいと、ビターなキャラメルが絶妙のプリン。1993年に発売されるや大人気となり、その年流行ったナタデココとともにスイーツ界を席巻。今なお定番スイーツとしてロングセラーを続けている。

「なめらかプリンは今までのプリンとは違った、繊細な柔らかさが魅力です。中国にはもちろん売っていません。それを中国で手に入る原料を使って作れるよう、製造技術の開発をする。できた商品の魅力を確立するブランディングも行う。全く新しいビジネスを中国で一緒に立ち上げようというオファーです。私はこの仕事なら私のキャリアを活かせるかもしれないと思い、快諾しました」

ミホさん、快諾したと言っても、なめらかプリンなど作ったことはないし、パティシエの経験もない。中国でスイーツの製造工場を立ち上げるノウハウもないし、当時は中国語だっておぼつかなかった。決心させたのは、ミホさんの中の“やりたい”という情熱だけ。情熱を持って全身全霊でチャレンジしてみたいと思った。なんとも大胆な選択、壮大な挑戦!

「向こう見ずですよね(笑)。できるかできないかではなく、損得でもない。私自身が情熱を持ってチャレンジしたいか否か、それだけなんです。これは私たちが後にハワイに突然移住し、ブルクベーカリーを引き受けた時も同じでした」

ミホさんの中の発電所で情熱が燃えさかった時、ものすごい行動力と頑張りが生まれてくる。

なめらかプリンをやると決めてからのミホさんの動きは早かった。パティシエの修行を始め、同時に中国語の勉強もした。同時に原材料の調達や、同時に製造販売のオペレーションを具体的にシュミレーションしながら、開店準備を進めた。一体いくつのことを同時進行したというのか!? 

「寝る時間なんていらないと思うほど仕事に没頭しましたからね。なのでこれも同時になんですが、当時の夫とは離婚に至りました」

ミホさん、専業主婦に収まっていられないのは当然だ。外見は華奢で色白で若く見える女性ではあるが、内側には男に勝るとも劣らない、自家発電できるターボ級の強靭なエンジンが装備されているのだから。自分で定めた道に、アクセルを踏み込むしかないのだ。 「結局、起業したのが2009年で、2010年に上海に1号店を出店。2年後の2012年には42店舗にまで伸び、現在の年商は15億円です」

困難も障害もあった。なんせ共産党の独裁による市場経済で、賄賂は当然。日本人で女性だなんて、対等に扱われないどころかバッシングの対象でしかない。だから対外交渉など、オモテの仕事はすべて中国人の仕事のパートナーに任せた。ミホさんは裏方に徹し、なめらかプリンの製造の現場で黙々と働き続けた。

「あたりには何もない郊外の工場で、朝から晩までプリンを作り、品質維持に細心の注意を払う−−。事業を成功させた自負はありましたが孤独でした。出店にお金を使っていたので、私自身の給料は極力抑えて貧乏だったし(笑)。その頃、現在の夫と出会い、私、初めて子どもを産みたいと思ったんですね。彼はスペイン人で年下でしたけど、とてもニュートラルな考え方をする人で、尊敬できました」

ミホさんの姓はフェレナンデスに変わった。

 

パティシエの修行を始めた頃。プリンだけではなく、さまざまなスイーツを学んだ。向かって左がミホさん

上海に初出店した頃のスタッフと。若くて元気で流行にも敏感な彼らのため、ミホさんは制服もデザインした

2010年、上海で“なめらかプリン”1号店をオープン。大ヒットし、今もなお人気!

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