101歳、百寿インタビュー 畑惠美さん

 09/04/2017 : 1468 Views

「父は私が17歳の時、ガンで亡くなりました。69歳です。母は59歳。日本の病院で治療を受けていたので、母も付き添って、日本で亡くなりました。母はハワイに戻ってきても泣いたりせず、普通に過ごしているように見えた。でも1年ほどして父の友人から、お悔やみの手紙が来て、それを読み出したらものすごく泣いて。ずっとクライング。母があんなに泣いたのは初めて見ました」

エミさんのプライドからすると、この習字も満足できるものではないと、アケミさんはいう。

「母はこのお習字の出来に不服そう。昔みたいにうまく書けなかったので、なんか違うと思っているんじゃないかな」

嫌な思いをさせてしまったのでしょうか?

「いえ、刺激にはなっているのでグッジョブ。母は今、デイプログラムに通っているんです」

日系人向けの施設だが、スタッフはそれほど日本語が話せるわけではないので、エミさんも英語と日本語でコミュニケーションしているのだそう。

「そこでカードを手作りするのですが、母はスタッフに指図されるのが嫌いで、ぜんぶ自分で折り紙を切ったり、絵を描いたり、好きな色を選んでしまう。それがとてもセンスがいいんです。ほら」

エミさんお手製のカードたち。クール!

 

引き出しにしまってあるカードを取り出して見せてくれた。ほんと、色使いもレイアウトも素敵! 細やかな手仕事ですね。

「でも母は満足していないんです。子どもだましなお絵描きとか、折り紙をやらされているような気分になるみたい。だからカードができても、破っちゃったりします」

持ち帰ろうともしないから、アケミさんが黙ってキープしている。 「デイでのランチも口に合わないらしくて、あまり食べないんです。スタッフが心配してくれますが、私は、家ではよく食べているので大丈夫です、本人の自由にしてくださいと話します」

 

エミさんに、アルツハイマーの症状が出たのは6年前のこと

100歳の詩人として人気を博した柴田トヨさんの作品に、こんな詩がある。

 

『先生に』

 

私を おばあちゃんと 呼ばないで

「今日は何曜日?」

「9+9は幾つ?」

そんなバカな質問も しないでほしい

「柴田さん 西条八十の詩は 好きですか?

小泉内閣を どう思いますか?」

こんな質問なら うれしいわ

 

エミさんにアルツハイマーの症状が出たのはいつ頃ですか。

「6年前からです。私はずっとメインランドでソーシャルワーカーとして働いていました。老人ホームやホスピスが職場でした。でも母が90歳になった時、ハワイで一人暮らしをさせるのは心配だったので、私たち一家がハワイに越してきたのです」

よく決心しましたね。

「父が亡くなる直前に、姉と私に言いました。二人が幸せになるように祈っているよ。だけどお母さんのことも見てあげてねって。 オフコース! ってその時は答えたけれど、母が歳をとって、ああ、父はこの時のことを思って私たちに言ったんだなって。私はお父さん子だったから、お父さんの遺言は守りたい。それに父は今も見ていてくれると思うから、裏切りたくない」

アケミさんのご家族も理解してくれましたか。

「夫はカソリックだから、とても愛があります。自分の両親も大切に看取ったので、よく理解してサポートしてくれます。息子は今、メインランドの兵学校に行っていますが、ハワイにいる時はおばあちゃんの世話をよく手伝わせます」

エミさんも喜びますね。

「ノー、母は私が結婚する時に反対したんですよ。フィリピーノと結婚するのって。孫や小さな子へも自分からベタベタ可愛がったりはしません。ドライなの。でも夫や孫が優しいから、今はとても仲がいい」

アケミさん一家がハワイに戻ってきて数年後、アケミさんは広島にあった父のお墓をハワイに移した。

「父が亡くなってから毎年、母は広島に墓参りに行っていましたが、90歳を過ぎてからはだんだん無理になって。それでカネオヘにある平等院に、父の遺骨を移しました。ヒロにあった畑一族の墓も移して、父の横に作り直しました」

ファミリーツリーを大切に守れるように。

アルツハイマーであっても自然体で接する

 

アルツハイマーを、特別な病気とは思わずに

エミさんは今、どんな風に暮らしていますか?

「アルツハイマーだとわかって、私もたくさんの専門書を読みました。施設に入れずにできるだけこの家で暮らしてほしい。70年間暮らしてきた、母の慣れ親しんだ我が家だから。なので私たち家族は、母のダイニングで食事をします。夜は私だけ、母の隣のベッドルームで寝ます」

週に4日は夕方までデイプログラムで過ごす。

「おしゃれな人なので、月曜日は美容院で髪をセットしてもらいます。前は週2回、YWCAのスイミングエクササイズに通っていましたが、ちょっともうプールは危険になってきたので、今は週1回のジムに切り替えました。トレーナーに母のメニューを作ってもらって、バランストレーニングや筋トレ、自転車などをしています」

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