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デジタル版・新聞

インタビュー

障害を乗り越え再び海へ戻った不屈のサーファー

 

2016年8月20日から28日までの1週間、クヒオビーチにてサーフィン、SDパドルボード、タンデムサーフィン、水泳、ビーチバレーなど毎年恒例のドューク・オーシャン・フェストが開催された。また同大会の中で、23日から3日間に渡り障がい者のサーフィン大会も行われ、世界9カ国から約60名が参加した。その中に、日本から参加した小林征郁さん(37歳)がいた。2000年9月に交通事故に遭い脊椎損傷のため車椅子生活に。幾多の苦難を乗り越えサーフィンへの道を再び歩みだした小林さんにお話を伺った。

 

小林征郁(こばやし まさふみ)さん

 

一瞬にして変わってしまった人生、両親への謝罪

18歳の時にサーフィンに魅せられ虜になった小林さん。父親の跡を継いで大工の仕事をしながら、毎週のように茨城や千葉の海へ行き夢中でサーフボードに乗った。

「サーフィンをやり始めて海に入るようになってから、自分の世界観がガラッと変わりました。視野が広くなって、海外に飛び出したいと思うようになりました」  

こうなると想いは止められず、本格的にサーフィンをするために、メッカであるオーストラリアにワーキングホリデーを利用して渡航する準備を始めた。  

渡航を1カ月後に控えたある日、いつものようにサーフィンに行き、満喫して帰路に向かう途中、交通事故を起こしてしまう。

脊椎を損傷し車椅子の生活を余儀なくされ、一瞬にして奈落の底に落とされた。  「病院のベッドで、いったい何が起きたのか、僕はこれからどうなるんだろう。と、言い知れない恐怖と、痛み、現実を受け入れられない苦しみに毎日もがきました」  「ちょうどその頃、シドニーオリンピックがテレビで放送されていたんだけど、精神的な落ち込みに苦しみながら観たのをよく覚えています」

これまでの人生で、自分が障がい者になるなんて考えたこともなかった。スノーボードやサーフィンなど身体をフルに使ってただやんちゃに生きてきた。  

「10代のころは、親にたくさん迷惑をかけたけど謝ったことはなかった。だけど交通事故に遭って、しかも自分が起こした事故で、突然障がい者になってしまったことに、”自分はしてはいけないことをしてしまった!最悪の親不孝だ!! ”と思い、生まれて初めて両親に謝りました」  

 

家族と仲間たちの励ましに支えられ

当時、日本では肉体的なリハビリの治療はあっても、カウンセラーなどの心の治療はなく、精神的な部分のケアは自分で何とかしなくてはならなかった。そんな彼を支えたのは、家族や友達、サーフィン仲間だった。  

「落ち込む僕を立ち直らせたいと毎日必死に励ましてくれました。投げやりな自分を決してあきらめず辛抱強く。本当に感謝しています」  

「また、リハビリセンターの中で自分より重度の障がい者たちが頑張っている姿に、刺激を受け、励まされ、”このままじゃいけない。何とかしなければ!!”という思いに変わりました」  

事故後、たったの数週間で気持ちを切り替え前に進むことを決意できたのも、元々持っていた前向きな性格ゆえだろう。  

 

初めての海外、そして運命を変えたニースタイルの出会い

事故に遭う前、オーストラリアに行ってサーフィンをしようと計画していたことを思い出し、海外への想いを再び蘇らせた。  

2002年、サーフィンの先輩に連れられ、初の海外となるサンディエゴへ。  

憧れていた広大な青い海、美しい夕陽、しかし、自分は二度とサーフィンはできない。海に入ることさえ…..。先輩がサーフィンする姿を、羨ましさともどかしさを抱え車椅子に座りながら見ていた。  

そんな矢先、サンディエゴで”ニーボード”を使ったサーフィン競技があることを知る。

ニーボードとは、サーフボードより短い板でボードの上で正座してライディングするサーフィンのこと。  

「ニーボードは通常、足にフィンをはいてやるもの。でも自分は足が利かないのでフィンは使用できない。でもその時、もしかしたら、これなら乗れるかもしれないと予感がしました」  

これまで障がい者サーファーに会ったこともなければ、ニーボードを紹介してくれたサンディエゴの地でさえ、それを使っている人には会わなかったため、半分夢を見るような気持ちでニーボードを買って日本に戻った。  

 

帰国後、さっそくサーフィン仲間に助けられながら挑戦が始まる。しかし、障がい者になって初めて入る海は、今までに味わったことのない恐怖にあふれていた。足が動かないため今までの感覚とは全く違う。海の中で使えるのは手だけ。海に入るのも、ボードに乗るのも、そして海に落ちた時もどうやっていいのか全く分からない状態だった。仲間たちが助けてくれるが、彼らもどうしていいのかわからない試行錯誤が続いた。やること全てがチャレンジだった。  

それでも諦めず何度も何度も挑戦し続けるうち、自分なりのやり方で少しずつボードに乗れるかたちを発見していく。そして遂に、自分スタイルでボードに乗ることを習得する。再び海に戻ることができたのだ!!

そばでずっと助けてくれた仲間たちに感謝の気持ちでいっぱいだった。そして、人間はやればできるんだということを実感した。

 

 

ハワイの魅力に虜となり何度も訪れるように

翌年2003年には、初めて一人でハワイを訪れた。2週間の滞在中、ローカルの人たちと親しくなり、安い場所を見つけて滞在しながらサーフィンを満喫した。まだその当時はハワイでも障がい者のサーファーに会うことはなかった。でもそれ以来、ハワイの素晴らしい気候、優しいローカルの人々、美しい海と山の虜になりよく訪れるようになった。  

そしてある日、ワイキキビーチでサーフィンをしていた素敵な女性と出逢い一目で恋に落ちた。運命だったのかも知れない。やがて現在の奥さんとなる。  

「ハワイでのお気に入りのサーフィンスポットは、ヒルトンビレッジのラグーン側のアラモアナボウルです。障がい者用の駐車場もビーチに近く、車椅子から降りるとビーチが短いので気合いと腕の力で板を引きずってハイハイしながら海に入ります。ローカルの人たちはみんな優しいので、”ボードを持ってあげる”と気軽に声をかけてくれるけど、基本的には一人でエントリーするのが好き。誰かに合わせるのではなく、自分のしたい時に海に入りたいし、海に入ったらこっちのもの。海に入れば自由になれる、ということも障がい者になって初めて感じた感覚でした」。  

 

障害者サーフィン大会へ参加

2008年にはリハビリと語学留学のためフロリダ、ハワイ、サンディエゴと2011年の震災後の6月に帰国するまで約3年半アメリカに滞在していた。その3カ所のなかでも滞在期間が長かったのはハワイ。

今回のドューク・オーシャン・フェストの共催でもあるNPO団体アクセスサーフは、障がい者へのサーフィン指導やオーシャンスポーツ、海でのレクリエーション活動の支援をしており当時活動をスタートし始めたところだった。 その団体の発起人の一人に障がい者サーファーがいることを知った小林さんは、知り合いに紹介してもらうと、サーフィンのイベントやレクリエーションに参加するなど、新たな道が開けていった。

そして初めてドューク・オーシャン・フェストの障がい者サーファー大会に参加する。 「まさか自分がサーフィンの大会に参加するようになるとは思いもしませんでした。一人で海外生活をしたことや、さまざまな経験の中で自身がついたのだと思います。今年は2度目の参加でしたが、お世話になったアクセスサーフの創立10周年という記念の年でもあるし、2020年の東京オリンピックでサーフィンが正式種目にもなって、まだパラリンピックでどうなるか分からないけど、今回ダメだとしても近い将来それが実現した時に、日本人障がい者サーファーがいないのはおかしいのではないか、という気持ちで今回はハワイに足を運びました」

 

 

カフェを営みながら週1回サーフィンを楽しむ

現在は、奥さんの実家がある愛知県東海市で、ピースカフェという喫茶店を経営している小林さん。

「週1回地元の伊良湖でサーフィンを楽しんでます。日本では、真冬は海水が冷たく身体に良くないので、サーフィンができるのは春から冬の初めまでと期間が限定されるけど、種子島、宮崎は波が良く気候も良いので、奥さんと一緒に行ってサーフィンをするのが楽しみ」と語る。

「今後は今年(2016年)12月にサンディエゴで行われる国際サーフィン協会の世界大会をはじめ、世界レベルの大会に顔を出して、障がい者サーフィンを広めていきたい。日本の障がい者サーフィン界は大会ができるほどの競技人口もレベルも、社会の理解度もまだまだだけど、自分が何かのきっかけになればいいなと思ってます」。

 

日本とアメリカでは障がい者を取り巻く環境、法律、周りの人の配慮など何もかもが違うが、東京オリンピック、パラリンピックを機に、日本、東京の多くの設備が整うであろう。そうなることを期待すると同時に、チームジャパンの一人としてパラリンピックに出場することが小林さんの現在の大きな目標である。

 

障害を乗り越え、ただ、「そこに海があるから僕は海に入る」と果敢に前へ進む小林さんに心からのエールをおくりたい。

 

(日刊サン 2016/9/22)

取材・文 桑名敦子

 

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