白血病の少女と家族が病魔に勝つ! 絶望の淵から奇跡を起こした感動ストーリー

 10/01/2017 : 157 Views

フィオナちゃんファミリー

 

 

妹2人と一緒にはしゃいで遊び回る一人の少女。はたからみれば単なる微笑ましい3姉妹だが、実はその光景を見られるのは、”奇跡”なのだと誰が想像するだろうか? 日本で白血病と診断され、生存率50%と宣告されたフィオナちゃん。アメリカで治療をさせたいと、頼れる家族や友達もいない中ハワイに来ることを決意した両親の覚悟。2年半強に渡る過酷な闘病生活を乗り越え無事白血病を克服したフィオナちゃん一家を、日刊サンが独占インタビューした。

フィオナ・ミックゲイヒーちゃん(5歳)

 

突然2歳3カ月の長女を襲った病魔

「白血病の恐れがあります。大学病院への紹介状を書きますので、すぐに精密検査をして下さい」

当時2歳3カ月になったばかりの長女フィオナちゃん。しょっちゅう足にアザをつくっていたけど、活発な子どもの証とぐらいにしか思っていなかった。発疹もよくあり、何度も病院に連れて行ったが「原因不明」と言われ、そんなに気にすることはないと思っていた。ところが、ある日フィオナちゃんが泣いた瞬間に顔中に紫斑が広がり、「これはさすがにおかしい」と思い、家の近所の病院へ急いで連れて行った。

そこで最愛の娘が白血病かもしれないと告げられたのだ。大学病院に連れて行くと「即入院です」と言われ、そのままフィオナちゃんは家に帰ることなく、過酷な闘病生活が始まった。

フィオナちゃんの母であるユウコ・ミックゲイヒーさんは神奈川県出身。この時から遡ること3年前に座間キャンプに在役していた陸軍兵のスティーブンさんと結婚。長女フィオナちゃんと次女のレイチェルちゃんを年子で出産。そして、3人目の子を妊娠中で忙しいながらも幸せいっぱいの毎日だった。

ご主人のスティーブンさんは、ニューヨークのフォートドラム基地への赴任が決まり、一足先に単身で新天地に渡っていた。ユウコさんもビザ申請中で、そのビザがおり次第ニューヨークへ引っ越す予定で準備をしていたのだ。そこに突然病魔が長女を襲ったのである。

 

5年後の生存率は50%

入院してすぐに骨髄液を取る手術をし、その翌日には検査結果が出た。白血病は大きく2種類あり、慢性白血病と急性白血病がある。フィオナちゃんは「フィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病」という成人には多いが、子どもではごく数パーセントの確率でなるものだと言われたのである。「治癒の確率もぐんと下がり、もちろん治療も他の白血病の子たちよりも長くなります。抗がん剤の量も通常より多くなり、またその病症をターゲットにした薬も毎日飲まないといけません」と告げられた。

このフィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病と診断された場合、以前はほとんど死を宣告されたも同然であったが、近年ではその病気に効く薬も開発されていると医師から説明を受ける。しかし、「5年後の生存率は50%ありますか?」と尋ねると、「そうですね、それくらいと思ってもらった方が良いかもしれません」と残酷な事実が告げられたのである。しかも、フィオナちゃんの場合、白血病とわかった時点ですでに白血球の数値が異常に高かったこともあり、余計に予後不良と診断されていたのである。

 

これでいいのか・・・という疑問

そんな絶望的な状況から始まった治療。まずは、抗がん剤の投与を行うために、右胸から首にある中心静脈にカテーテルを入れる手術が行われた。できるだけ娘のそばにいてあげたいと思いながらも、その大学病院は付き添い禁止。午後の数時間しか一緒にいてあげられなかった。毎日面会終了時間の夜7時になったら帰らなければならず、長い夜をフィオナちゃんは一人で病院で過ごさないといけなかった。「娘も、それが一番つらかったと思います」とユウコさんは語る。

白血病というと隔離された無菌室に入れられているイメージがあるが、それは骨髄移植の手術を受ける場合の時だけで、それ以外は他の病気の子ども達と同部屋だという。ただでさえ免疫力が弱っている娘が、院内感染で他の病気に罹ったらどうしようという不安が加わり、また、入院時はぽっちゃりだったのが、たった1カ月半の間にガリガリにやせ細り、しかもベビーベッドに寝かされていたため歩行もできなくなってしまったという。そんな姿をみて「本当にこの状況が娘にとってベストなのか?」と疑問が起こり、ニューヨークにいるご主人と相談し、お互いの地で他に良い方法はないかと調べ始めた。

 

 

アメリカで治療させたい!

ちょうど妊娠中で米軍基地の産婦人科に通院していたユウコさんは、ドクターに事情を説明した。すると「アメリカで治療した場合、入院ではなく通院になると思いますよ」と教えてくれた。それを聞いた瞬間に「アメリカで治療させたい!」と思い、即行動を開始した。 日本の病院からアメリカのどの病院に転院させるのが良いかなど、それに伴う手続きも含めて、キャンプ座間の人たちも必死になって調べ協力をしてくれた。

米本土に転院となるとハワイ経由になるだろうということで、ハワイの小児癌のドクターに相談することになった。「ご主人の赴任先は冬は大雪が積もる地域。もしフィオナちゃんが高熱など緊急な事態になった場合、1時間以内で病院に到着できる距離にいないと危険であり、それが無理な場所だろう。それを考えたらハワイに転院するのが良いのでは」とアドバイスをくれ、ハワイの病院に転院することを決意した。

そこで最初の奇跡が起きた。

フィオナちゃんが入院中に受けたビザの面接。早くビザを発行してもらえるようにアメリカ大使館にお願いをしていた。それが、ハワイに行くと決めた時にちょうど届いたのだ。さらに数日後、三沢基地にいる家族でやはり子どもが白血病の疑いがあり軍用機でハワイに移動するので、横田経由で飛んでもらい一緒に乗せてもらえると連絡を受けたのだ。その時すでに妊娠8カ月(日本の計算)で2週間以内にハワイに飛べないと飛行機にはもう乗れないと言われており、まさにこのチャンスを逃したらアメリカでの治療は断念せざるを得ないという間一髪のタイミングだった。このドラマの様な展開は全て2週間の間に起きた出来事で「本当にラッキーでしたね」とユウコさんは言うが、単なる「ラッキー」という言葉では片づけられない。夫婦の娘を救いたいという強い一念がこの奇跡を起こしたと言えるだろう。

 

ハワイで治療開始

2014年の8月1日、ユウコさんとフィオナちゃんは2人でハワイにやってきた。着いてすぐにトリプラー病院に行き、住むところも決まっていないので、病院内にある無料の宿泊施設フィッシャーハウスに身を寄せることに。その約1カ月後にご主人もやっとニューヨークからきて、7カ月ぶりに娘と再会。さらにその2週間後にユウコさんの母親が次女のレイチェルちゃんをハワイに連れてきてくれた。そして、無事3人目のキャスリーンちゃんも出産したが、その直後一旦スティーブンさんはニューヨークに戻らないといけず、正式なハワイ基地赴任の辞令がおりる11月まで、ユウコさんがまた一人で全てをこなさいといけなかった。

ご主人のスティーブンさんにフィオナちゃんが白血病と聞いた時どう感じたのか尋ねると、「Numb (無感覚)でした」と返ってきた。あまりにもショックが大きすぎた状況だったのがよくわかる一言だ。夫として、父親として家族を守っていかなければいけないのに、そばにいてあげられない、何もできない悔しさが沸き起こりもした。でも、その後気持ちを切り替え「娘に一番良いのは何か」とニューヨークで調べたという。「妻が本当によくやってくれました」と心の底から感謝をする。他の子どもたちの面倒も見ながら、それこそ頼れる家族や友達もいない中、一人でやり抜いた母の力は本当に偉大だ。

 

笑顔を取り戻す長女

妹キャスリーンを抱っこできた日

 

ユウコさんがそれでも頑張れたのは、フィオナちゃんが日に日に変わっていく姿が見られたからだろう。日本の病院で入院していた時は、面会にいくたびに顔がどんどん無表情になっていってしまったのが、ハワイに来て通院という形になってからは笑顔を取り戻してきたのだ。ウォールマートに行った時には、あの子ども用の小さな乗り物に乗って、まるで大きなカーニバルに遊びに行ったかの様に大はしゃぎしたという。「日本では見たこともないものだったし、他の子どもたちには些細なことがフィオナにとっては大きな幸せだったんです」。家族と一緒にいられるようになったことで、フィオナちゃんも精神的に強くなっていくのがわかり、本当にアメリカに連れてきてよかったと両親は語る。

それでも、過酷な治療は続く。基本的に家からの通院ではあったが、骨髄に直接抗がん剤を投与する治療は全身麻酔で行われるため、その度に入退院の繰り返しだった。ただありがたいことに、トリプラー病院では個室が用意され、付き添いも認められている。さらには、下の妹たちの分のベビーベッドを部屋に用意してくれたという。 しかし通院治療となると、今度は看病する家族の負担が大きくなるのも現実だ。胸から突き出ているチューブからばい菌が入らないように細心の注意を払い、シャワーを浴びるのも一苦労。クリーニングも毎日必須だった。さらには、治療が始まると食事ができなくなるだろうからと、胃に直接水分や栄養分を流しこめるようにおへその上に穴をあけてチューブをつける手術もした。

実際食べられなかった時は、夜フィオナちゃんが寝ている時にミルクを流し、数時間おきに起きて薬も流した。一番大変だったのは、血液培養の検査でバクテリアが検出された時。抗生物質の投与を病院で受け、退院後も10日間ユウコさんが数時間おきに投与をしたという。

目の前にぎっしり投与する薬などが書き込まれた1カ月のスケジュール表も見せてくれた。まさに看護師の仕事もこなし、緊急で病院に連れて行った際には、本職の看護師たちも、フィオナちゃんの様なレアなケースを扱ったことがないため投薬量などが分からず、ユウコさんがドクターに伝えたこともあったそうだ。

またある時は、他の癌で抗がん剤治療を受けていた成人男性と会い、長年ミリタリーで鍛え上げられた体で、精神的にもタフなはずの軍人が、治療後痛みに苦しみながらやっとの思いで歩いているところ、フィオナちゃんが笑顔ではしゃいでいる姿を見て、「あんな辛い治療受けていながら、笑顔でいられるなんて!」と驚き、男性に勇気を与えたという。

 

奇跡! 131週間の闘病生活にピリオド

一番過酷な治療が一通り終わり、落ち着いたところで昨年チューブからポート埋め込み式に変える手術が行われた。治療が必要な時だけ針を入れれば済むようになったのだが、巨大注射針が自分に向かってくる恐怖、しかも激痛を伴うことから、最初は嫌がって大変だった。だがそれに変わってからは普通に入浴ができ、またビーチにも行けるようになった。

そして本当の奇跡が起こった。

2017年1月30日、医師から無事「治療終了」を告げられたのである。 131週間、年数にして2年半強の闘病生活にピリオドを迎えたのだ! もちろん喜びもあったが、それ以上に「やっと終わった!!」という安堵感が大きかったという。

Overcome宣言をしたフィオナちゃん

 

ボランティア団体の支援に感謝

ユウコさんとスティーブンさんは、この長く辛かった闘病生活を乗り越えることができたのは、ボランティア団体のサポートがあったからだと力説する。

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