【インタビュー 輝く人】ハワイ大学名誉教授 生物学者 柳町 隆造 博士

 10/23/2017 : 1602 Views

私のウースターでの最後の年1964年に、精子が卵子に入る瞬間を捕まえました。それまでは哺乳動物でそれを見た人はいませんでした。それをまとめてチャン博士に原稿を持っていったら喜んでくれましたよ。論文の最初の段階では「柳町・チャン」と名前が載っていたのですが、彼は最後の段階で自分の名前を消し、著者は私ひとりの名前になりました。これからは自分1人でやるようにというメッセージだったのです。彼は私に細かいことは何も言いませんでしたが、よい質問・疑問を持つことが大切ということを教えてくれました。  

彼が1991年に82歳で亡くなる数年前に奥さんとハワイに旅行に来たときに、「なぜ私を日本人で、しかも哺乳動物の研究経験がないのに採用してくれたのか」と聞いてみました。ずっと不思議に思っていたのです。すると「お前は魚を使ってよい研究をしていたからだ」と答えてくれました。もしそのときに「お前のやっていることに興味がない」と言ったらそれまででした。どうなるかわからない男に、彼はひとつのギャンブルをしてくれたのです。

1997年に誕生したクローンマウスの1歳の誕生日のときの足型

 

ハワイだったからゼロ地点からスタートできた

ウースター実験生物学研究所での4年間の研究生活を終えて、36歳のときに帰国しました。その前に北海道大学の教授に「日本に戻ってくれば助手(助教授)のポジションがあるかもしれない」と言われました。その後もう1人候補の人が出てきたそうで、その教授が言うには投票では決まらなかったので、最終的にはジャンケンで決め、「お前は負けた」と。えらい国に帰ってきたなと思いましたよ。

そのうちにアメリカ滞在中に知り合ったバンドビル大学の産婦人科の教授、R.ノイス博士から「ハワイ大学に新設される医学部の副学部長として赴任するから、もし興味があるならハワイに来ないか」と誘いを受けました。「はい」と二つ返事でハワイに行きました。捨てる神あれば拾う神ありです(笑)。  

ハワイ(アメリカ)では、教授でも助教授でも研究に関してはみんな同じ列に並べます。助教授でもボスになって、研究費を自分でとって、教授よりもたくさん人を使って構わないのです。失敗しても成功しても自分の責任です。  

ハワイ大学は、アメリカ本土の裕福な大学と違い、あまり金銭的補助はありませんが、私をゼロの地点においてくれました。日本はこのゼロに達するまでに大きなエネルギー使ってしまう。人間というのはおもしろくて100%のエネルギーを使うと満足するのです。私はゼロに達するためのエネルギーを使わないで済みました。  

ハワイに来たのが1966年38歳のときで、はじめ、我々のグループはカピオラニ病院の2階を間借りしていました。マノアに来たのは2年後です。医学部が創設されたときから2004年の引退まで、そして今もハワイ大学の研究室にいるので、48年間ハワイにいることになります。途中でハワイの外に出るチャンスもあり、考えたこともありましたが、やはりハワイでしたね。この医学部が好きですからね。気候もよく、ハワイでリタイヤできるなんて最高です。

 

クローンマウスがハワイ大学の医学部を救った!?

1997年に哺乳動物で最初の体細胞クローンが羊で成功しました。羊はクローンが難しく、一匹しかできなかったため、誰も追試できなかったのです。本当かどうか疑う人も出てきました。そんな中、同じ97年にマウスの体細胞クローンを誕生させました。2番目のクローンです。大きく取り上げられて、ニューヨークタイムズやタイムマガジンのニュース面にも載ったりしました。  

ちょうどそのころ、ハワイの景気は悪く、ハワイ大学の医学部がコストを使いすぎだ、医学部を閉鎖すべきだとも言われていました。このクローンマウスの誕生でそのような話はなくなり、医学部にInstitute for Biogenesis Researchが新築され、それまでは窓のない倉庫を改造した場所にあった研究室がこの建物に移動しました。クローンマウスが生まれなかったらハワイ大学の医学部がなくなっていたかもしれないですね。このマウスが医学部を救ったのかもしれません。

クローンマウス誕生後、2000年に建てられた Institute for Biogenesis Research

 

周りに笑われても「みんなは気づいていないだけ」

stupidであることが大切だと思っています。馬鹿げていることを考えているから、はじめはみんなに笑われましたよ。哺乳動物の研究をはじめると言ったら、「あんな難しい材料でやるなんてバカじゃないか」と言われました。  

顕微授精といって、精子を一匹ピックアップして卵の中に入れる。哺乳動物の精子は精巣でできた状態では受精力がなく、雌の身体の中に入って生理的な変化を起こして初めて受精能力を獲得する。これは哺乳動物のユニークな現象です。ですが、核そのものはちゃんと受精の準備ができているのではないかと思いました。それを確かめるには卵に精子を入れたらどうなのかと思ったのです。  

ほとんどの人から我々は変なことをやっていると思われていましたが、20~30年経って人間に応用できるということがわかり、不妊治療の強力な手段として用いられるようになりました。  

stupidなことが好きなのです。何を言われても「みんな気づいていない。いつかは大事なことになる」と思っていました。私の発案の10のうちの8つは間違いでしたが、2つは当たっていましたよ。  

だから若い人に言うのです。特に女性は人に笑われるのが嫌でしょう?みんなが笑っていてもみんな気づいてないだけ、今は知らないだけって思えばいい。8の失敗がなければ2の大成功はありません。

 

目標は400の論文

学者は論文を書いて、それが世界中の人が読めるようになってはじめてその仕事が終わると考えます。研究をしてデータを取っただけではその研究は終わっていません。ローカルの新聞ではなく、世界中に分散するようなジャーナルに出すことが必要です。  

私が最初に書いた論文は1953年に日本語で書いたものです。最近のもののひとつに魚と昆虫授精に関わる論文があります。昔、魚の受精の研究をしていたのを思い出して、また魚の研究をはじめたのです。もちろん哺乳動物の研究も続けていますよ。  

今年85歳で体力もなくなってきたので、自分でできることをトライしています。メインランドに行ったり、日本に行ったりして実験させてもらっています。私はゴルフをするわけでもなく、「研究は趣味」と言っては悪いけれど研究が好きなんですね。今年の春には、北海道に行ってニシンとカレイの授精の研究や哺乳動物の研究をしようと思っています。  

今考えると60~70歳の10年間が一番脂がのっていて、1年に14くらい論文を書いていましたね。もちろん数だけがすべてではありませんよ。これまで出した論文の数は392です。まだ哺乳動物の研究でやり残したこともありますからね。少なくとも400になるまで頑張ろうと思っています。

 

ライター:大沢 陽子(日刊サン 2014. 3. 8)

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