【インタビュー 輝く人】ハワイアンミュージシャン / ウクレレ講師 岡田 央さん

 09/25/2017 : 4944 Views

そんな状態で、コンテストが開催されるマウイ島へ行き、本番を迎えてしまいました。会場はザ・リッツカールト ン。リハーサルの時点で心臓はバクバク。ホテルのスタッフたちが休憩中に僕のリハーサルを見ていたので、さらに緊張してボロボロ。彼らが途中で席を立ってしまったほどでした。

情けないのとショックでリハーサルを途中で止めて外に出ました。ホテルの近くに神聖な場所があると聞き、ブラとそこへ行きました。レイを捧げてブラがオリを唱えました。それからブラは「その場所でつながっていなさい」 と言って僕を残して海に行ってしまったんです。その時、僕にはその意味がよくわかりませんでした。

近くにハラの木があったので、その下で“今日、僕はこの曲を歌います” と心の中で言って歌いはじめました。すると不思議なことにとても上手に歌えたんですよ。そのとき風が吹いてハラの硬い葉っぱが揺れてパチパチパチと鳴って、まるで拍手をしてくれているように聞こえました。今、この芝生の上で歌うことは、大地に歌うこと。それはハワイアンの祖先たちに敬意を持って歌うということ。この拍手はそれに応えてくれた音ではないのか? そう感じた瞬間、急に気持ちが落ち着いたんです。そして思いました。“そうだ、初めてこの場に立つ者として「この場所に歌を捧げよう」”と。

 

「なんでやねん!」

本番が近づく控え室。日本人は自分だけ。周りはライバルですよね。でも、 誰かがウクレレを弾きはじめると、ひとりが歌いだして、気づくと全員で歌って楽しんでいるんです。そして順番が来ると「頑張ってこい!」と送り出す。みんなが仲間になっていて、日本人とかライバルとか関係なくて、誰が優勝しても嬉しいという人たちでした。

ついに僕の順番になりステージへ。 英語で自己紹介をして、課題曲について話し、少し笑いも取れて、決めていた通りのタイミングで演奏をはじめ、なんとか歌い終わりました。

そして全員の演奏が終わり表彰式。もう緊張もないので気楽にしていました。ところが、ハワイ語部門の発表で、 突然僕の名前が呼ばれたんです。とても驚きましたが「きっと遠くから参加したからもらえたんだろう」と思いました。嬉しかったです。その後、4位の発表があり、3位、2位まで呼ばれ、「もう自分には関係ない時間になった」と思いながら「誰が優勝するんだろう」と楽しみにしていました。すると、あり得ないことに「Hiroshi Okada」と言うんです。“なんでやねん!”と思いました。そのときの写真を見ると頭を深々と下げていますが、それは“ありがとうございます”ではなくて、 “なんでやねん!” だったんです。

その日、僕が歌った曲は「He Nani Helena(美しいヘレン)」。作者が自分の歌を聞きに来てくれるヘレンさんという女性を口説くために作った曲でした。僕はヘレンさんがどんな人か、どん な花が好きかを知りたくて、電話帳でヘレンさんと同じラストネームの人を調べて全員に電話をしました。結局見つけることはできませんでしたが、いろいろなミュージシャンに相談して、 コンテストの時に付けるレイやアロハを決めたり、できる限りの準備をしました。

そんなエピソードを歌う前にステー ジで話しました。それが伝わったのか、ハラの奇跡が再び起きたのかはわかりませんが、優勝という最高の賞をいただくことができました。こんな光栄なことはないのですが、どうしても“ハワ イアンでもない自分が優勝するのはおこがましい”という気持ちの方が強かった。だからこそ日本人としてハワイの音楽をするならきちんと演奏しよう、と身が引き締まりました。

 

音楽は“作者の心”を伝えるもの

コンテストでの優勝という重みは、 その後の僕の演奏に大きな影響を与えました。「日本人の自分がハワイの音楽を歌わせてもらうのだから、きちんと演奏しないと失礼だ」という思いが日に日に強くなり、演奏前に胃が痛くな ることも度々ありました。これまで以上に真剣に練習に取り組んだのはもちろん、作者の想いや曲が作られた背景について、さらに時間をかけて真摯に向き合うようになりました。

ハワイの歌にはハワイ語の歌詞がついていますが、ひとつひとつの言葉には実は裏の意味があったり、作者しか知らない本当の想いが隠されていることもあります。例えば、禁断の愛が書かれていて、それが表面ではわからなくて、ある言葉に暗号のように隠されていたり。とても奥が深いんです。

作者が生きていればできる限り本人に会って直接話を聞くようにしています。また、風を歌ったような曲は、実際にその場所に行って風を感じてみることもします。音楽は演じるとか弾くとか演奏するとかいう以前に、作者の思った気持ちをメロディーにのせて伝えるものだと思っています。

自分の体調管理も怠りません。以前、ある有名なミュージシャンの家で食事をした時、熱い食べ物をテーブルに運ぶ手伝いをしたら「ミュージシャンなんだから手を大事にしなさい」と注意をされたことがありました。それ以来、運転をする時も荷物を運ぶ時も手袋をしています。また、喉の調子を最高状態に保つために辛いものはなるべく避けて、ステージの前日はお酒も飲みません。万全の体勢でステージに向かうこと、それが僕の使命だと思っています。

イオラニ宮殿で演奏

 

偉大なミュージシャンから教わったこと

世界でも有名なハワイのアーティストのジェノア・ケアヴェさんと何度か一緒に演奏をさせていただく機会がありました。彼女に影響を受けた若手シンガーは数知れません。僕もその1人です。愛ある厳しい評価で僕を成長させてくれた人でした。ステージに立つ時は、彼女が笑っているかどうかが自分の演奏のバロメータで「あぁ、ちゃんと演奏できているんだ」とホッとしたものです。

2008年2月、彼女が89歳で亡くなった時、僕は日本にいたのでお葬式には行けないと思っていました。それから随分時間が経ってハワイに来た時のことです。車に乗っていたら、ラジオから「ジェノア・ケアヴェの人生のお祝いをやっているからみなさん行ってくださいね」と聞こえてきたんです。お葬式とは言わず、すばらしい人生だからお祝いなんですね。すぐに直行しましたよ! たくさんのミュージシャンが楽器を持って集まって、みんなで演奏をしながらフラをしました。僕は「泣いたらあかん」と思いながらも泣いてしまったのですが、そのときに知ったんです。

以前のようにステージ上で振り返って、自分の演奏の評価を確かめることはできないけれど、これからはいつでも空から見てくれる。だから、毎回きっちり演奏をして頑張っているのを見てもらおうって。音楽家だった父が他界した時もそう思いました。音楽家であり続けることで、たくさんの苦労と努力をした父は、僕が音楽をやることを最初は反対していましたが、そんな父にも安心してもらえるように。

そう思えた時、誰かが亡くなることに対して悲しいという気持ちはなくなったんです。ちゃんとその方とお付き合いをしていたら悲しくない、より近くなるんだと知ったから。

 

命には限りがあるから“今”伝えたい

現在は、ウクレレと歌のレッスンやワークショップを日本全国16カ所とハワイ、アメリカ本土、韓国やタイなどでしています。ハワイの人が僕に与えてくれた知識を自分だけが持っていても仕方ない。世界中の人に伝えたいと思っています。僕はこれまでの人生で2 回、死ぬ目に遭いました。最初は家が火事になった時。あの時もし家で寝ていたら僕は今ここにはいないはず。2度目は、アメリカでスリップ事故を起こして、ガードレールをなぎ倒して雪の下に突っ込んだ時。すぐ下は崖で、奇跡的にそこから落ちずに命拾いをしたんで す。人間はいつ死んでしまうかわからない。せっかく教えてくれたものだか ら、伝えるのは“今”と思っているんです。この知識を全部持って行ってもらいたい。そんな気持ちで毎日必死になってレッスンをしているんです。

ハワイは、ウクレレ以外にも、フラ、レイ、サーフィン、ハワイ語などみなさんが興味を持っているたくさんのものがあります。そして、知るほどにそれぞれ奥が深い。これまでに200回以上ハワイに来ていますが、来た回数だけハワイの魅力を感じています。ウクレレと歌に限らず、 そういう魅力も含めてすべてを伝えられたらと思っています。

ウクレレピクニックの一環で行われたアラモアナセンターでのコンテスト

 

ウクレレは絶えず嬉しい瞬間がある

僕は今40代後半。この歳になると、心から感動して喜ぶことは少なくなるなんて言われますが、ウクレレをしていると絶えず嬉しい瞬間があるんです。例えば10回演奏して、完璧に演奏ができて、それに合わせて踊る人が気持よく踊ってくれたら10回嬉しい! 1曲ごとに嬉しさがある。レッスンをしていても、生徒さんが何かひとつ覚えてくれたり、ウクレレが好きになってくれたり するのは、どれも嬉しいことです。

こうして日本人としてハワイの文化であるウクレレをできるのは、日本からの移民の方たちの頑張りがあったから。その恩返しもしていきたいと思っています。ハワイ島ヒロやラナイ島に多くいらっしゃる日系の方たちの前で 「川の流れのように」を演奏した時、とても喜んでいただきました。それを見て僕の方が嬉しくてたまりませんでした。

振り返ってみると、学生時代にレーサーをしていた時はスポンサーのために頑張って、今は踊ってくれる人と、曲を聞いて喜んでくれる人のために演奏しています。目の前で喜んでくれるのを見たい。それが自分にとって一番嬉しいことなのです。

僕が今できることは音楽。今後もハワイのよさ、深さをいろいろな人に知ってもらうために、音楽を通じてたくさんの人に喜んでもらえるように演奏をしていきたいと思います。

 

インタビュアー:大沢 陽子(日刊サン 2014. 8. 23)

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