【インタビュー 輝く人】ハノ・ナカ(Hano Naka Inc.)社長/牧師/校長 中林義朗さん

 10/16/2017 : 214 Views

10歳で母を亡くし、伯母に預けられ、18歳でアメリカに留学。実父の会社が閉鎖し、アメリカで道を拓く決意をする。就職した日系商社の転勤でハワイやロサンゼルス、香港、さらに中国へ行き、2000人の社員を持つ会社社長となるも、ハワイへ戻ったところ、全財産を失う経験をする。その後クリスチャンになり、牧師を目指し、勉強をしながらウェイターから再スタート。47歳でビジネス牧師に就任。本当の意味での『成幸』を実践しながら伝え、それを目指す人と共に歩く、輝く人。

(このインタビューは日刊サンに2014年2月に掲載されたものです)

 

本当の『成功』とは バランスの取れた 『成幸』を手にすること

奥さんのタマーさんと

 

中林義朗(なかばやし・よしろう)

1963年静岡県御殿場市生まれ。10歳で母が他界、横浜の伯母の家に預けられる。関東学院六浦高校卒業後、LAへ留学。日系商社に入社し、1988年にハワイ支店長就任、その後香港へ転勤、30歳で中国支社長に就任。1998年にハワイへ帰国し、2001年から神学校での牧師志願コースをはじめ、レストランで働きながら勉強を続け、2010年47歳でInternational Japanese Christian Churchのビジネス牧師に就任する。2011年にハノ・ナカInc設立、ショールームを開設.。現在50才で100%牧師、100%ホームスクーリング校長、100%経営者。

 

男としてのスタートを切るまで

生まれは、富士の麓である静岡県御殿場市です。朝起きたら目の前に富士山がド~ンとあるところで生まれ育ちました。夏は真っ黒で引き締まって見える富士山も、冬になると雪が降り積り、真っ白くとても大きく見えるのです。そんな大自然の素晴らしい環境で育ちました。  

一人っ子ですが、母は体が悪く、医師にこの子を産めば長生きできないと言われ、それでもいいと母は、私を産んでくれたのです。言われていたとおり、母は私が10歳のときに他界しました。病弱な母が健康な私を産んでくれたことを本当に感謝しています。  

父はテイラーをしていて、御殿場に工場を持ち、ピエールカルダンの革手袋を作ってアメリカに輸出していました。当時1ドルが360円で、日本で物を作る時代だったため、ビジネスはかなり忙しく、母の死後、父の会社は大阪に移転することとなりました。ビジネスと養育の両立に悩んだ父は、話し合いの結果、私を横浜の伯母の家に預けることになりました。そこには18歳と20歳の従兄弟がいて、10歳の私は三男坊のように可愛がられて育ちました。男としての生き方を、従兄弟が良いことも悪いことも、教えてくれました。ハハハ。でもとても楽しかったです。  

18歳のときにアメリカに留学をしました。父の会社はアメリカ人とビジネスをしていましたので、息子には英語を話せるようにさせて、できれば継いでほしいと思っていたのでしょうね。小さいころからアメリカに行くんだと決まっていたような感覚です。  

でも人生そんなにうまくいくものではなく、留学から4年後、父の会社が閉鎖へと追い込まれました。1ドル360円から、260円、180円と円高が進み、日本で物を作る時代から、中国の時代へと移り変わって行ったのです。  

それで、これ以上学費も生活費も送れないから帰ってきなさいということになりました。22歳のときでした。そのとき、男としてどうすべきかと考え、アメリカでチャレンジして、自分の人生を切り拓いて行く道を選びました。それまでは私は社長の息子というだけで、もしもそのまま社長になったとしてもただの2代目だったわけですよ。ここが男としての人生の本当のスタートでした。  

自分は何のために生まれてきたのか、人生これから何をしたら良いのか。

 

中国で社員2000人企業の社長に

アメリカでの生活は厳しいものでした。英語が話せないので、食べたいものも食べられず、銀行に行っても「あなたが何を言っているかわからない」と言われ、自分のお金すらおろすことができないこともありました。ハワイと違ってアメリカ本土での日本人は本当のマイノリティで、偏見もいっぱい経験しましたし、たくさん嫌な思いをしました。  

しっぽを巻いて帰ることもできましたが、背水の陣で死ぬ気でやるしかないと頑張ったものです。人間はそういうときに本当の力が出るものなんですね。必死になって英語を耳で聞いて、口から出して真似し、その反復でどうにか生活に困らない英語を取得しました。ある日、アメリカ本土のスキー場でリフトに乗り合わせた他州からのアメリカ人に、あなたの英語はカリフォルニアアクセントがあると言われて、とても嬉しかったのを今でも覚えています。  

1986年に日本の商社と出合いがあり、働かせていただけるようになりました。1988年25才の時、ハワイの支店長に就任し、1993年30才の時、香港に転勤となり、翌年、中国の新会社設立のタイミングにのって支社長に就任しました。自由市場経済で中国が門を開きはじめた時代で、中国に初めてマクドナルドができた年でもありました。中国での私の仕事は、製造工場と販売代理店の管理がメインの仕事で、商品が爆発的に売れ、2000人の社員を持つ会社へと急成長しました。中国全国に30支店が設立され、どこの会場に行っても1000人くらいの人が集まり、警察官を呼んで会場の整理をしてもらっていた程です。  

私のもうひとつの大切な仕事は、政府の役人とお酒を飲むことで、毎晩が宴会でした。ハワイアンの妻を一緒に連れて行っていたのですが、彼女は宴会で私の隣りに座って、いつもニコニコしていたんです。彼女が喜んでいるものと思っていました。ところが、彼女は祈っていたというのです。「このまま毎日お酒を飲み続けていたら死んでしまう。この人が1日も早く神を信じてクリスチャンになりますように。このめちゃくちゃな生活が変わりますように」と。聖書には、「神の言葉に従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって旦那が神を見るようになる」という言葉があるのですが、男はガミガミ言っても遠ざかるだけなんですよね。きっと「いつまでお酒を飲んでいるの?」と言われたら、私もうるさいなと思ったでしょうね。  

後でわかったことですが、彼女は笑顔で座っていながら、私のいないときに聖書の前で神様に祈っていたのです。その聖書は涙でぐしょぐしょごわごわになっていました。  

秘書は7人、運転手、カバン持ち、通訳もいて、家にはお手伝いさんもいるという、雲の上のような生活でした。妻は欲しいものはなんでも買えて、なんの不自由もない生活だったのですが、あまり幸せそうではないので「何が問題なの?」と感じていました。でもあまりの忙しさでそれを気にしている時間もありませんでした。そんなある日突然「ハワイに帰ろう」と私が言ったのです。妻は驚いていました。今思えば、神様が妻の祈りに応えて、私の良心に語りかけたのだと思います。

中国に行った当時(1993年)

 

ハワイですべてを失う

妻の家族はハノハノといって、カメハメハ大王の直系で、妻は80%ハワイアンの血を受けています。義父から誘いがあり、ハワイ王朝から受け継がれた土地を開発する手伝いをすることになりました。ところが、約束の資金が動かず一部の土地を失ってしまう災難にも見舞われました。開発準備をしている約5年の間に、私が蓄えていたお金もほとんど投資をして、使い果たしてしまいました。  

中国から帰ってきてからどん底の5年間を経験することとなったのです。収入がないばかりだけでなく全財産を使ってしまったわけですから。今考えてみれば全て失うことも神様の計画であったと信じます。お金があるうちは神の存在はわかっていても、神様の助けは必要ありませんでした。しかし、お金がなくなってしまうと、すがるものがなく、これからどうするのか、将来にも不安を持ち、そこで初めて私は、神様に助けを求め、もっと教会で話しを聞いてみたいと思うようになったのです。日本のビジネスの世界では、儲かれば幸せになれると習い、信じて、頑張ってきました。でもそれはあまりにも偏り過ぎた教えであることに気付かされたのです。

 

人間の成功とは何か

人間の成功とは何か。「成功」ではなく、幸せに成る『成幸』が本当の成功だということを聞きました。この教えは聖書の教えに相通ずるところがあり、バランスの取れた成幸でなければ本当の成功と言わないんですね。  

まずは自分が実践して、それを教える牧師になりたいと思うようになり、中野雄一郎牧師が学長を務められるJTJ神学校で牧師志願コースの勉強をはじめました。中国での妻の祈りがあまりにも強烈で、私はクリスチャンになっただけではなく、牧師にまで導かれてしまったのです。  

勉強をはじめたその間に、開発の話もなくなり、住んでいた家も出なくてはならなくなりました。ありがたいことに、そんな私たち家族を両手を広げて迎えて下さった教会員のお宅にしばらく住ませていただくことになりました。牧師になるために昼間は勉強して、夜はザ・カハラホテル&リゾートのレストラン「TOKYO TOKYO」で働きました。家族を養うために、夜の数時間で1日8時間働くのと同じくらい稼げる仕事ということで、このレストランでウェイターをしていました。  

ウェイターを4~5年、その後2~3年はマネージャーをしました。その店は、世界の大成功者が来られるレストランでした。エルトン・ジョン、ジョニー・デップ、ジョージ・クルーニー、ジェシカ・アルバなど誰もが知るセレブがやってきました。日本からの芸能人、ビジネスの成功者たちもたくさんご来店いただきました。  

ところが多くの方々があまり幸せそうに見えないのはなぜだろうか? お金も名声もあるけれど、何かが欠けている。本当の成功とは? と考えさせられたのです。中国で小さな成功を手にしてハワイに戻り、一文無しになり、ウェイターの仕事ではプライドを砕きに砕かれました。中国ではペンより重いものを持つ必要がなく、周りがなんでもしてくれた生活から、ウェイターでは「早くしろ。いつになったら出てくるんだ」とお客さんに怒鳴られ、すみませんと頭を下げる生活へ変わりましたから。  

それもこれから牧師になるために必要なプロセスだったのだと思います。過去の栄光を引きずるようなプライドなんて、この世の中で全く使い物になりません。特にこれから先生と呼ばれ、人前で話をする立場になる者にとって。  

 

1 2 3

関連記事



その他の記事