【インタビュー 輝く人】スターツ・インターナショナル・ハワイ代表 畑 華子さん

 10/09/2017 : 174 Views

海外で働きたいという夢を持ってスターツに就職。優秀な営業成績を収め、入社3年でハワイに赴任し、20代半ばで代表となる。アメリカで不動産業に携わることの厳しさを体感し、「まずは自分自身が頑張ること」と次々に不動産の免許、MBAを取得し、会社の成長に貢献。結婚、子育てを経て、スターツ・インターナショナル・ハワイがハワイ進出31周年を迎える今も全力で走り続ける、輝く人。

(このインタビューは日刊サンに2014年2月に掲載されたものです)

 

会社というより、まずは自分が頑張ることが大切

畑 華子(はた・はなこ)

東京都小平市生まれ。7人兄弟の3番目。青山学院文学部英米文学科卒業。90年、スターツ株式会社(現:スターツコーポレーション株式会社)入社。資産運用部で営業担当に。宅地建物取引主任者免許取得。93年、優秀営業マン賞を受賞後、Starts International Hawaii, Incへ異動、ハワイ赴任。同年、ハワイ州不動産セールスパーソン免許取得。96年に日本人女性として最短期間、最年少でハワイ州不動産ブローカー免許取得。現地責任者に。97年ロサンゼルス現地法人の責任者も兼務。社会人MBA取得。02年に台湾人と結婚。さらに、スターツの海外進出として2004年グアム、06年のニューヨークも成功させる。04年、地元紙Pacific Business News主催の“40 under 40”(40歳以下ビジネスマン40人)に選ばれ、州知事から表彰を受ける。現在、3児の母。

 

「海外で働きたい」という夢

もともと不動産業界に就職しようと決めていたわけではなく、青山学院大学時代に英米学科だったということもあり、海外には興味がありました。就職活動をするにあたって、海外に接点がある会社がいいと思い、旅行会社も見ましたが、旅行は好きなのでサービスしてもらう立場にいたほうがいいなと感じました。そうした中で、開発や不動産という言葉が気になるようになり、不動産業に惹かれていきました。長期スパンと短期スパンの仕事を同時に自分で身につけられるような感じがしたからです。  

当時のスターツがそれほど大きな規模ではなかったのもよかったですね。大手企業に入って新聞で自分の会社が何をやっているかを知るというのは嫌でした。それから、採用前にスターツのトップ3(当時)に会う機会もあり、現在の村石久二代表取締役会長兼グループCEOらが、学生がピントの合わない質問をしてもその目線になって返してくれたのが印象的でした。トップの人が魅力的な会社はおもしろそうだなと思いました。  

入社後は東京の葛西にあった当時の本社で3年間、資産運用部で営業を担当。まだ自分に何ができるのかがわからない中、たまたま配属された部署で所得税や相続税対策の不動案相談・販売をしていました。  

「新人です。よろしくお願いします」という初心者マークを胸につけて、いきなり一人で営業に行くという毎日。90年の入社直後バブルが音を立てて弾けていくのが聞こえるというような社会人スタートの日々でした。 人と会って、話を聞いてもらうという営業職は、自分にとっての挑戦でした。すごく辛い時期ではありましたが、なんとか頑張って成果を出していました。  

与えられたことは一生懸命やるタイプなので、試行錯誤しながら、とにかく夢中に働いていました。不動産というのはいろいろなケースがあって、どんなに勉強しても知識が足りず、完璧がない世界。お客様のために知りたい、知らなくてはならないという思いで、税理士さんや保険業者の方、上司などを捕まえては質問をしていましたね。  

93年に社内の優秀営業マン賞を受賞したころ、ふと「私は海外に行きたかったんじゃなかった?」と思い、転職も含めて考える時期に来ていました。ちょうどそのときに社内のエレベーターで村石会長に会ったんです。そこで「独身時代に一度海外で働いてみたいという夢があって、それを叶えてくれる会社だと思ったからスターツに入ったんです。いつ海外に行けるんですか?」と直談判。結果、営業として成果を出していたこともあったのかもしれませんが、希望が通って、ハワイへの赴任が決まりました。  

ハワイと聞いて、私としては3年間相当頑張って優秀営業マン賞ももらっていたので、「ここで一息できるのかな」なんて思いました。しかし、実はハワイで知っていることといえばホノルルマラソンだけ。もちろん行ったこともありませんでした。

日米ビジネス会議で、ご逝去前年のダニエル・イノウエ上院議員と

 

日本と大きく違うアメリカの不動産業

ハワイはカジュアルなイメージがありましたが、不動産業という面で見れば非常に厳しいプロフェッショナルな世界。まず感じたのは、たくさん勉強しなくてはならないということでした。例えば、日本では宅地建物取引主任者免許(以下、宅建)の保有者は5人に1人でよいのですが、ハワイでは免許がないと不動産について何も説明してはいけないのです。一人ひとりが不動産業のプロという世界で、日本とは感覚が全く違いました。日本で宅建の免許は取得していたのですが、ハワイでは不動産免許がないと仕事にならないこと知り、ハワイに来て3カ月以内に免許を取ろうと決め、すぐにハワイ州不動産セールスパーソン免許を取得しました。  

ハワイに来てからすぐにやらなくてはいけないことがあったので、遊ぶ余裕はありませんでした。プロ意識だけは強かったんです。若かったので「舐められちゃいけない」という気持ちもありました。  

不動産セールスパーソン免許取得後に、2年間の経験がないと取得できない不動産会社の総合責任者の証であるハワイ州不動産ブローカー免許を取りました。96年のことで、ハワイの日本人では最短期間、最年少での取得だったようです。  

男性の多かった日本の不動産業界に比べて、ハワイは女性が多いと感じました。当時、ハワイでスターツは知られていませんでしたが、まずは会社を大きくするというより、畑華子がプロにならないと会社にも貢献できないんだということを知りました。アメリカでは自分、本人なんですよね。

ハワイ最初の家族、14年連れ添った愛犬Kuroと

 

20代半ばで代表に。精一杯背伸びをした

ハワイに来て以降、インターネットの時代になっていったので、日本から孤立するという感じはありませんでしたが、それでも「このままハワイにいていいのだろうか?」と考えたこともありました。なんとなく日本から取り残されるような感覚もあり、何もかも順調なようで、不安を覚えるところがあったのも事実です。  

ハワイに赴任後1年くらいで代表というポジションにつきました。まだ27、28歳で何も知らなかったころ。高いヒールを無理して履き、よちよち見栄を張って歩いているという感じでした。自分の未熟さをひしと感じることがいっぱいありましたね。アメリカ社会のエグゼクティブたちと話をすると、英語力のなさということより、土台が違う。これで私が代表というのはおかしいなと感じていました。  

身の丈ではない地位に背伸びしなければならなかったときに、「舞台が人をつくる」という言葉を聞いて、せっかく舞台があるなら自分が見合う舞台にすれはよい、思ったんです。そのためには日本のスターツに頼るというより、ハワイのスターツ代表だからこそ、自分が実力をつけなくてはならないと。アメリカ人と対等に、とはいかなくても、自分で舞台底を5センチくらい上げて、8センチのハイヒールから3センチくらいのヒールで話すようになれたら楽だろうなと思いました。  

そんなときにエグゼクティブが持っているMBAというタイトルが気になり出しました。そういう学位って必要なのかなと。私の英語力では難しいし、時間がないと思いながらも、ハワイ大学の先生が週末だけの社会人クラスもあると教えて下さったので、約2年間通ってMBA(経営修士号)課程を卒業。本当に辛かったけれど、挑戦してよかったと思っています。社会人MBAクラスだったので、入ってみたら私よりも年上の方が大半。「アメリカ人はいくつになっても学ぶんだ。私は遅いどころか、まだまだじゃない」と思えましたし、そのときの人脈は私の宝になっています。

ハワイ大学修士号の卒業式

 

今、仕事をしていく上で大切にしていることは「等身大でいること」です。精一杯背伸びをしていたときから少しずつ経験を重ね、それなりに力がついてきましたが、まだまだ足りないところもあります。今は、自分は自分。できないこともあると認められるようになりましたね。

 

アメリカに恩返しをしたい

こうしてアメリカで働くようになったきっかけは、学生時代にロサンゼルスでホームステイをしたことでした。7人兄弟の子宝貧乏家族の中で育ったので、旅行すらなく、海外旅行なんて夢の環境でしたが、大学3年生の夏、アルバイトで貯めたお金で、初めて飛行機に乗って行ったのがロサンゼルス。せっかく行くのなら現地での生活を体験してみたいと思ったのです。ホームステイの家族に恵まれた1カ月間でした。彼らとは今も連絡を取っていて、ハワイにも遊びに来てくれているんですよ。  

ホームステイのときの印象やアメリカでお世話になったという想いが今の仕事にすごくつながっています。なぜ、なんの義理もない小娘の私にこれほど親切にしてくれるのだろうという素朴な疑問があって、「アメリカに恩返しをしたい」という気持ちから今があるのです。  

一方で、日本人として日本の役に立つ仕事がしたいと思っています。ハワイでの不動産の仕事は、人を通じてアメリカと日本を結びつける仕事。自分がこうなりたいというのではなく、両方の国の役に立ちたい、期待を裏切ってはいけないと思って仕事をしています。  

不動産は長いお付き合いです。一度お世話した方がいらっしゃって、今度は娘さんが買うなど、世代を超えたお付き合いになります。自分に携わっている人がステップアップして成功していくのを目にするのは嬉しいですね。  

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