毎日のお茶の時間をもっと楽しく! 発祥、歴史、種類、効能 etc. お茶の雑学

 05/20/2017 : 2055 Views

餅茶 https://www.amazon.co.jp/marumero/ 

 

 

私たちの生活の中で、気分転換やリラックスの時に欠かせないお茶。その発祥は、紀元前2700年頃の中国南部と言われています。人類の歴史上、初めてお茶が登場するのは、古代中国の伝承に登場する「神農」のエピソードです。漢方と農業の始祖、神農は、人々の健康に役立てるため、一日100種類弱の野草を噛んで薬効を研究していました。野草が毒だったときは、解毒のためにチャノキの葉を噛んだと伝えられています。また、鎌倉時代以前の日本でも、茶は健康を維持し長寿を促す薬として珍重されていました。今回は、お茶が薬から嗜好品へ変化した経緯や、茶の効能、種類など、毎日のお茶の時間がもっと楽しくなる歴史や雑学をご紹介します。

「茶」とは、ツバキ科の常緑樹「チャノキ」の葉や茎で作られる飲み物の総称です。チャノキの原産地は、インド、ベトナム、中国西南部と言われています。野生化した木も多く、熱帯から暖帯アジアまで広い範囲に分布しています。

 

チャノキ(ウィキペディア)

 

中国の茶の歴史

スープ感覚で飲まれていた茶 – 三国時代(3世紀)  

三国時代、茶は、ショウガやネギ、ミカンの皮などを加え、スープのような感覚で飲まれていました。朝廷では、茶は酒と同じものとして扱われ、社交には欠かせない飲み物でした。

 

上流階級の嗜好品 – 唐の時代(7~10世紀)  

世界最古の茶の本『茶経』が記された唐の時代、茶葉は中国全土で広く栽培されるようになり、上流階級の人々に嗜好品として愛飲されるようになりました。この時代の茶は、生の茶葉を蒸し、餅のようについて型に入れ固め、日干しをした上で火であぶり、乾燥させた「餅茶(へいちゃ)」というものでした。飲む時は、茶の固まりを削って粉にし、塩を入れた湯に入れて煮出しました。

 

役人や文人も愛飲 – 宋の時代(10~13世紀)  

宋の時代には、貴族に加え、役人や文人も社交の場で茶を飲むようになり、何種類かの茶を飲み、味を当てて勝敗を競う遊び「闘茶」も流行しました。この頃の茶は、茶葉を擦って粉末にしたものを茶器に入れ、湯を注ぎ、竹製の茶せんで混ぜて飲むという日本の抹茶に似たものでした。

 

一般庶民へも普及 – 明の時代(14~17世紀)  

明の時代になると、茶を飲む習慣は、一般の人々へ広く普及していきました。この頃のお茶は、茶葉を蒸して作る方法から、釜で炒って作る方法が一般的になりました。また、花の香りを加えた、ジャスミン茶などの「花茶」が登場しました。また、17世紀に入ると、福建省の武夷茶(ぶいちゃ)など、稀少価値の高いお茶に高値が付けられ、上流階級の人々が愛飲するようになりました。

 

文化大革命による茶の制限 – 中華人民共和国の時代(20世紀後半)  

1966~1976年の文化大革命により、茶は贅沢品とされ、茶の配給やチャノキの栽培が制限されました。そのため、台湾や香港でチャノキの栽培や茶文化が発展することになりました。

 

日本の茶の歴史

茶を楽しむ人「高雄観楓図屏風」狩野秀頼 16世紀 東京国立博物館蔵

 

茶の伝来 – 奈良~平安時代(8~12世紀)  

奈良~平安時代の日本では、当時最先端だった唐の文化や制度を学ぶため、遣唐使が派遣されていました。最澄と空海は、遣唐使で等に渡り、日本に帰国する際、茶とチャノキの種を持ち帰りました。これが日本史における茶文化の始まりです。平安時代初期に記された『日本後記』の中には「近江の梵釈寺で大僧都永忠が茶を煎じ、嵯峨天皇に奉った」というくだりがあり、これが喫茶に関する日本史上初の記述と考えられています。この頃の茶は、中国の唐の時代に一般的だった「餅茶」でした。当時、茶は大変に珍しく貴重なもので、僧侶や貴族など、上流階級の人々だけが味わえるものでした。

 

茶園の誕生 – 鎌倉~南北朝時代(12~14世紀)  

臨済宗の開祖・栄西禅師は、宋で禅宗を学んだ際、禅寺で行われていた飲茶の習慣を知りました。日本に帰国した栄西は、1211年に『喫茶養生記』で茶の製法や効能を記し、茶葉と共に、当時の将軍・源実朝に献上。実朝は、その茶を二日酔いの薬として愛飲しました。この頃は、餅茶に加え、蒸して粉にしたものを器に入れてお湯を注ぎ、茶せんでかき混ぜた「散茶」も飲まれていました。栄西からチャノキの種を譲り受けた華厳宗の僧、明恵上人は、京都栂尾(とがのお)高山寺でチャノキを栽培し、日本初の茶園を造りました。その後、チャノキは、伊勢や伊賀(三重県)、駿河(静岡県)などでも栽培されるようになりました。その後、武士の社交の場でもてなされる飲み物となり、南北朝時代には「闘茶」も行われるようになりました。

 

「茶の湯」の完成 – 室町~安土桃山時代(14~16世紀)  

この時代、室町幕府の三代将軍・足利義満は、宇治茶を特別な茶として保護し、1379年には「宇治七名園」と呼ばれる七つの指定茶園を作りました。安土桃山時代になると、宇治七名園で覆下栽培(一定期間チャノキを覆って遮光し栽培する方法)が始まり、抹茶の原料である「てん茶」に加工されました。15世紀後半、茶人の村田珠光が「わび茶」の様式を創始。千利休によって受け継がれたことで「茶の湯」が完成し、大商人や武士たちの間へ浸透していきました。

 

「玉露」の誕生 – 江戸時代(17~19世紀前半)  

江戸時代、「茶の湯」は幕府の儀礼に正式に取り入れられ、武家社会に欠かせないものとなりました。また、この頃には、一般の人々も茶葉を煮出したお茶を飲むようになりました。1738年、宇治の豪族、永谷宗円が、それまでよりも丁寧な煎茶の製法「青製煎茶製法(宇治製法)」を考案しました。その後、この製法は全国の茶園に広がり、日本の緑茶の主流となりました。1835年には、茶商の山本嘉兵衛によって、煎茶に覆下栽培を応用した「玉露」の製法が生み出されました。

 

江戸後期の闘茶道具(横浜文化教室)http://school.cha-cafe.jp/toucha.htm

 

茶が生活に根付いた時代 – 19世紀後半~20世紀 – 明治~昭和時代  

明治初期、士族授産事業などを契機に、平坦な土地に集団茶園が形成されるようになりました。しかし、茶園開拓をした士族たちは次第に離散していき、代わりに農民が茶園を継承するようになりました。また、茶の製造の機械化が進み、茶の品質や消費量が安定していきました。今日のように、茶が庶民の生活に根付いたのは昭和の初め頃でした。

 

1 2 3

関連記事

関連記事はありません。



その他の記事