和製スーパーフード 大豆の健康効果と 豆知識

 04/18/2018 : 538 Views

 

•••••• 大豆栽培の歴史 ••••••

 

大豆の原産地は東アジアで、その原種は日本にも自生しているツルマメと考えられています。

【中国】  

大豆について記録された世界最古の書物は中国の医薬書『神農本草経』で、大豆については紀元前2800年頃に書かれたと言われています。黒竜江省や吉林省などの遺跡からは紀元前1000年頃の炭化した大豆が発見されており、また、周の時代(前1046〜前256年)の『逸周書(いつゆうしょ)』、前漢武帝の時代(前141年〜前87年)の『史記』にも大豆についての記述が見られます。

 

【日本】

縄文時代中期(3400年前〜)最近まで、日本の遺跡で出土した大豆で最古とされていたのは、弥生時代前期のものとみられる炭化した4粒の大豆でした。これらは、1972年に行われた山陽新幹線の工事中、山口県宮原遺跡で発見されています。それから35年後の2007年、山梨県北杜市にある酒呑場(さけのみば)遺跡から縄文時代中期の井戸尻式土器が出土したのですが、その取っ手からは大豆の圧痕(練り込んだ跡)が発見されました。これにより、縄文時代中期(約5500~4500年前)に日本の中部地方から西関東で大豆の栽培が始められ、その後西日本へ拡散していったことが明らかになりました。弥生時代には稲作を中心とした農耕文化が発展しましたが、この頃の人々の食生活を支えていたのは、米と大豆でした。

 

飛鳥時代(592年〜)  

奈良時代に入ると中国との交易が盛んになり、仏教と共に味噌、醤油など、大豆の加工品や加工方法が伝わりました。日本最古の歴史書『古事記』にも「豆」という字が記されています。当時大豆は珍しいものだったため、一般庶民には普及していませんでした。

 

鎌倉時代(1185〜)  

日本で大豆の栽培が普及したのは鎌倉時代頃と言われています。仏教が広まり、僧侶たちは肉食が厳しく禁じられていたため、仏教寺院を中心に多くの大豆料理が考案されるようになります。また、武士たちが戦の際に持っていく兵糧として味噌が使われていました。  当時、味噌は調味料であり、貴重なたんぱく源でもありました。保存が効く栄養食だった味噌は、干したり焼いたりして携帯しやすく加工され、戦場に持って行かれました。

 

江戸時代(1603〜)

江戸時代に入ると、農作物に関する多くの書物の中に大豆についての記述が見られるようになります。武士たちの兵糧、味噌も庶民に広まり、各家で自家製造されるようになりました。豆腐も徐々に広まっていったのですが、江戸時代中頃までは、村祭り、お盆、結婚式などで「ハレの日」の特別なご馳走として食べられていました。また、仙台藩主伊達政宗は、戦の際の味噌を自給できるよう城内に味噌の工場を作ったのですが、これが仙台味噌の起源になったと言われています。

 

(日刊サン 2018.04.18)

 

 

 

 

 

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