酉の市

 11/19/2018

江戸の風情を感じさせる「酉の市」は、鷲や鳥にちなむ寺社の年中行事です。毎年11月に行われ、「お酉様(おとりさま)」、「酉の待(とりのまち)」、「大酉祭(おおとりまつり)」とも呼ばれます。酉の市といえば、縁起熊手を売る露店。縁起物で煌びやかに装飾された熊手が高く積み上がるように並び、威勢のいい手締めの音がその賑わいを盛り上げます。今回は、日本の年末の風物詩、酉の市と縁起熊手の由来や歴史をご紹介したいと思います。

 

酉の日とは?

中国の十干十二支の考え方は、年だけでなく、月、日、時間にも当てはめられます。酉年、酉の月、酉の日、酉の刻があり、そのうち「酉の日」は日に当てはめたもの。12日ごとに巡って来るため毎月あるのですが、11月の酉の日には酉の市が開催されることから「酉の日といえば11月」というイメージをお持ちの方が多いかもしれません。  1ヶ月にある酉の日の回数は、最初の酉の日が月始めに来た月は3回、10日頃の時は月に2回になります。それぞれの酉の日は「一の酉」「二の酉」「三の酉」と呼ばれ、一般に最も重んじられるのが「一の酉」。11月に三の酉まである年は火事が多いと言われていました。  ちなみに、今年2018年11月の酉の日は11月1日、13日、25日になります。 火事が多い? 三の酉の年  「三の酉の年は火事が多い」とされたのは、普段は夜に鳴かない鶏が鳴くと「火事が出る」といわれた俗信によるものです。当時、鶏は神の使いであり、時を知るために飼われていました。三の酉の時期になるとますます寒くなり、火を使うことも増えるため、火の扱いには気をつけなければ、という戒めの意味があったのだそう。

 

発 祥

農民の収穫祭から門前市へ

 関東だけでも40カ所以上で開催される酉の市ですが、特に関東で盛んな理由として発祥が江戸の神社だったということ、関東には酉を祀る寺社が多いということがあります。  江戸の酉の市は、武蔵国南足立郡花又村(現在の東京都足立区花畑)にある鷲大明神(大鷲神社)の門前市が発祥と言われています。酉の市の始まりは、産土神(うぶすながみ)での花又鷲大明神を信仰する近郷農民の収穫祭「酉の祭」でした。いつしか祭りに門前市が出されるようになり、江戸時代初期、応永年間に酉の市と呼ばれるようになったといいます。  

 

歌川広重『名所江戸百景』より「浅草田圃酉の町」 吉原遊郭から、鷲神社へ参詣する人々の賑わいを望む

 

鷲大明神は鷲の背に乗った釈迦とされ、鶏大明神とも呼ばれていました。そのため、氏子の農民たちは鶏肉を口にせず、社家は鶏卵も食べなかったといいます。氏子は神社に生きた鶏を奉納して開運を祈り、祭が終わった後、その鶏を浅草寺観音堂前に放つという仕切りがありました。

 

『続・江戸砂子』に見る江戸時代の酉の市

江戸時代中期、俳人の菊岡沾涼(きくおかせんりょう)が著した江戸の地誌『続・江戸砂子』には、こんな一節が見られます。  「鶏大明神、花又村にあり、毎年十一月酉の日市立つ。三つある時は三日ともに市なり、初めの酉の日を専らにす。近在より集まりて繁盛の市なり、当社神事の心なり。当所の者鳥類食すことはならず。鶏を食すれば即死すという」 花又の大鷲神社から浅草の鷲神社へ  社に面している綾瀬川の水運により、人や物が集まりやすかった大鷲神社の酉の市には、やがて氏子の農民たちだけでなく、江戸市中からも多くの参詣人が押し寄せ、賑わいを見せるようになりました。彼らの目的は、1年の運を賭けて神頼みをしながら行う辻賭博。しかし、1773年(安永2年)11月に賭博が禁じられた後は、年々参詣人が減少。代わりに浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)へと賑わいが移っていきました。

 

現在まで続く酉の市

江戸時代後期、酉の市が盛んに行われたのは「上酉」の大鷲神社(花又)、「中酉」の勝専寺(千住)、「下酉」の鷲神社と酉の寺長國寺(浅草)の3カ所でした。特に、祭神の鷲大明神が鷲の背に乗る妙見菩薩とされていた浅草の鷲神社の酉の市が最も盛んなものとなりました。当時、鷲神社の東隣には吉原遊郭があり、酉の市御例祭の日には遊郭が一般開放されたといいます。江戸時代末期には、雑司ヶ谷や巣鴨の大鳥神社でも酉の市が開催されるようになりました。

 

食べ物

 

頭の芋、黄金餅

江戸時代の酉の市では、頭の芋(唐芋)や、粟の「黄金餅」が販売されていました。頭の芋は頭(かしら)になって出世するということで出世祈願、そして子芋を多く付けることから子宝祈願の象徴とされました。黄金餅は食べると金運を呼び込むといわれていました。

 

切山椒

江戸時代後期からは、山椒餅を起源とした切山椒(きりざんしょう)が登場します。切山椒は、糝粉(しんこ・うるち米の粉)に炒った山椒の粉と砂糖を混ぜ、練って蒸して、臼でひき、拍子木形に切りそろえて作られます。色は紅白の他、碾茶を添加した緑や、黒糖を添加した黒などがあります。切山椒は正月にも食べられる縁起物で、新年の季語にもなっています。

 

 

縁起熊手の由来

酉の市と言えば、沢山の装飾が施された縁起熊手が思い浮かびます。実用的な熊手と違い、縁起熊手は鷲が獲物を鷲掴みにする姿を「福や運を鷲掴みする」ことにたとえ、その形は鷲の爪を模しているとも言われています。ではなぜ、酉の市に熊手が販売されるようになったのでしょうか?

 

農具から縁起物に

酉の市の発祥、大鷲神社の門前市では、近郷の農民の収穫祭がルーツということもあり、売り物の中心は鍬や鋤などの農具でした。季節柄、落ち葉を集めたり、収穫後の片付けをするための熊手が特に売れたといいます。  やがて農具におかめなどの縁起物がおまけとしてつけられるようになると共に、江戸市中から縁起を担ぐ商売人を主とした多くの参詣人が訪れ始めました。そして、酉は「取り込む」、熊手は「掻き込む」と言われるようになり、農具の他、金物、竹製品、栗餅、切山椒などの餅類、山海の産物、蒸した唐芋を福笹に通したものが売られるように。始めの頃の縁起熊手は、実際に使える柄が長く爪の数が多い実用品に、おかめの面と四手をつけたシンプルなものでした。飾りつけやすい形状の熊手は、徐々に宝船や大判小判など、色々な縁起物がつけられるようになり、現在のような装飾が沢山ついた縁起熊手となったのです。

 

 

縁起熊手の装飾

昔話に出てくるような縁起熊手の数々の装飾には、ひとつずつに意味があります。熊手を購入するときは、自分の願い事に適った装飾の付いているものがよいとされています。ここでは、主な装飾の意味をご紹介しましょう。

【おかめ(お福の面)】 

災厄を祓う:古代の日本では、ふくよかな体型の女性は災害や厄を祓う力があると信じられていました。 【七福神】 様々な福をもたらす:恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天の七柱。

【宝船】 めでたさの象徴:七福神が乗り、金銀、珊瑚、宝石などの宝物が積み込まれている船。

【打出の小槌】 福を招く:願い事や欲しいものを唱えながら振ると、願ったのものが出てくるという小槌。

【枡】 目標達成、収入UP:木枡を上から見ると、4つ角が全て「入の字」に組まれているのがわかります。これには「入れます」「大入り」などの意味があります。さらに「木(気)」で組まれた木枡は、グループで何かを達成したい時や工事起工の際などに「人々の気を合わせる」という意味を込めた縁起物として使用されます。

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