知ると、 もっと 楽しい!ひな祭り・ひな人形の由来と意味

 03/02/2018 : 364 Views

■ひな人形

ひな人形には、天皇、皇后を指すお内裏様  だけの平飾り(親王飾り)と、3段〜7段の段飾りがあります。段飾りでは、親王飾りの他、三人官女、五人囃子、右大臣と左大臣(随身)、御所車、嫁入り道具などが飾られます。

 

《1段目》お内裏様

通常は、雛壇に向かって左に男雛、右に女雛を飾ります。古くからの文化が残る関西地方では、これが逆になり、向かって右に男雛、左に女雛が飾られます。  日本では、左に行くほど位が高いとされていたためです。明治時代までは、全国的に右に男雛、左に女雛が飾られていましたが、大正天皇が即位した際、右が高位とされる西洋文化に習って右に立ったことから、雛人形もそれに倣って飾られるようになりました。

 

《2段目》三人官女

三人官女の姿勢は、立つ方2人と座る方1人、座る方2人と立つ方1人の2バージョンがあります。前者は座る方を、後者は立つ方を真ん中に飾ります。両側に立つ方が来る場合、官女の前の脚が外側に来るようにします。真ん中の官女には島台(しまだい)か三方(さんぽう)、向かって右の官女には長柄(ながえ)、左の官女には提子(ひさげ)を持たせます。官女の間には高坏(たかつき)を置き、菱餅などを供えます。

 

三人官女の道具

【島台】祝儀の際に飾られる置物。入江の形をしている島に吉祥文様があしらわれていることから、島台という名前が付きました。真ん中の官女は、島台の他、盃や三方を持つこともあります。

【長柄】盃に酒を注ぐ酒器で、長い柄が付いています。「銚子」とも言います。

【提子】室町時代以前、宴席で盃に酒を注ぐ酒器として使われていました。金属製で、鍋のような形をしています。室町時代以降は、酒を注ぐ道具として長柄が使われるようになり、提子は長柄に酒を加える道具として使われていました。

 

《3段目》五人囃子

 

3段目の五人囃子は、壇に向かって右から、謡い手、笛(能管)、小鼓(こづつみ)、大皮鼓(おおかわつづみ)太鼓(たいこ)の順で飾ります。

 

囃子(はやし)とは?

「囃子」は、日本の能楽の演奏形式の1つで、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。能、狂言、歌舞伎、長唄、寄席など、いろいろな芸能の場面で演奏されます。ひな人形の五人囃子は、能楽の謡い手1人と囃子方4人でなっています。

 

五人囃子の楽器

【謡い手】能の声楽部分「謡」を担当する人。右手に持った扇は、謡う時は構えて、休む時には下ろします。

【笛(能管)】竹製の笛は、リズムをとる打楽器のように演奏されます。笛の管の中には細い竹がはめ込んであり、これが「ヒシギ」という高い音を出します。

【小鼓】小鼓は、桜材の胴の表裏それぞれに1枚ずつ馬の革が敷かれ、それが「調緒(しらべお)」という麻紐で締められてできている打楽器です。左手で調緒を持ちながら、右肩にかついで右手で打ちます。調緒の絞り、打つ位置、打つ強さによって、能では「チ、タ、プ、ポ」と呼ばれる4つの音階を出します。

【大皮鼓】材質と構造は小鼓とほぼ同じで、サイズは小鼓よりも一回り大きくなっています。左手で持ち、左膝に置いて、右手を横に差し出すようにして強く打ち、打ち方によって違う音色を出します。

【太鼓】構造は小鼓とほぼ同じですが、革は牛革で、補強のためにバチの当たる部分には鹿革が張られます。響かせない小さな音「ツクツク」、響かせる大きな音「テンテン」の2種類の音を出し、四拍子のリズムをとります。

【豆知識】

「能楽」と「能」の違い

能楽」とは、能と狂言の総称です。明治維新前まで、能は「猿楽」と呼ばれていました。

 

 

《4段目》右大臣と左大臣

 向かって右に左大臣、左に右大臣を飾ります。

 

服装

2人の大臣は、両脇の下を縫い付けずに開けてある服「闕腋袍(けつえきほう)」を着ています。官人が朝廷に出仕するときに着用する服で、前身ごろと後身ごろが縫い合わされていないため、乗馬などの際、楽に動けるようになっています。左大臣(左近衛中将・さこんのちゅうじょう)は黒、右大臣(右近衛少将・うこんのしょうしょう)は緋の闕腋袍を身につけていますが、緋色よりも黒色が上位の色になっています。

 

左大臣の持ち物

儀式に使う装飾的な武器を「儀仗(ぎじょう)」と言います。

【儀仗の剣】実際の刀身にも刃がついていません。

【儀仗の弓】礼装の武官束帯を身につける時に用いる装飾の弓です。

【矢羽】鷲や鷹など、大型の鳥の尾羽が使われていました。

 

右大臣の服装

 

【巻纓冠(けんえいかん)】黒い帽子は巻纓冠と言い、右大臣が警備をする際に被るものです。

【緌(おいかけ)】耳の上にある扇型の装飾は緌と言い、馬の毛でできています。

【平緒(ひらお)】束帯姿(公家の正装)の時に剣を腰に下げるための帯で、唐組という刺繍の部分を前に見せるようにして着用します。

 

2人の間に置かれる道具

【懸盤膳(かけばんぜん)】灯火と曲線の刳り形が施された格狭間(こうざま)が脚になっているお膳で、そこに盤を乗せ懸けることから「懸盤膳」といいます。縁の装飾は黒漆金蒔絵です。江戸時代後期からは、懸盤膳に本物の食べ物が入れられることもありました。

【菱台(ひしだい】菱餅が乗っている菱形の台です。全ての辺が等しく、どの角も直角でない四角形の菱形は、ひな壇の中では、菱台の他、親王台の畳縁にある「繧繝錦(うんげんにしき)」や、装束の模様に見られます。

 

《5段目》仕丁(しちょう)

3人の仕丁のうち、2人の袖の色付きの方が外側になるように飾ります。向かって左から、熊手、ちり取り、箒を持たせます。京風のものは、左から台笠、沓台、立傘を持たせます。さらに、向かって左から右近の橘と左近の桜を置きます。

 

仕丁とは?

大名などの君主が、徭役(ようえき)として無報酬で働かせた住民のことです。大化改新後の律令制では、1里50戸につき2人が、3年交代で雑役夫として働くことになっていました。食費などの生活費は故郷の家族が捻出したため、庶民にとっては負担の多い役でした。ひな飾りの人々の中では、仕丁の3人だけが庶民の出身となっています。

 

《6段目》嫁入り道具

 

箪笥(たんす)

最初の箪笥は、江戸時代前期に大阪で造られたものと言われています。その当時、箪笥は高級品で、上流階級の人のみに使われており、庶民は長持など箱状のものに衣類や家財道具を収納していました。棹という箪笥を数える単位は、初期の箪笥に「棹通し金具」という棹を通して運ぶための金具が付いていたことが由来です。

 

長持(ながもち)

長方形の箱で、衣類や寝具を入れていました。長さ約175cm、幅、高さ約75cmほどの大きさでした。長持にも棹通し金具がついていて、長持棹を通し、2人の人が担ぐ形で運搬されました。また、江戸の町には火事が多かったため、有事の際、長持をそのまま運び出せるよう底に車を付けた「車長持」 が登場した時期がありました。しかし、1657年に起った大火の時、人々が一斉に路地へ車長持を引き出したため、逃げ道が塞がれてしまい、多くの犠牲が出たと言います。それを受けて、幕府が江戸、大坂、京都の三都で車長持の製造を禁止したため、代わりに棹を通して運ぶ長持が主流になりました。

 

表刺袋(うわざしぶくろ)

婚礼の際、調度品や装束などを入れて持参するための袋です。表地は唐織、裏地は綾や平絹で造られていました。丈夫にするため、組緒を縦横にする表刺縫いが取り入れられたことから、表刺袋と呼ばれるようになりました。

 

火鉢

中に灰を入れ、炭を燃やして湯を沸かしたり、餅を焼いたり、暖を取る道具として奈良時代から使用されていました。

 

針箱

布や衣類が貴重だった江戸時代、針箱は家庭の必需品でした。手縫いの着物などが子や孫にまで受け継がれていました。布が傷んで着られなくなると、布団や座布団に仕立て、さらに傷むと、雑巾やおむつとして使いました。一番最後には、畑の肥料などとして使い切っていました。

 

鏡台

箱型の引き出しには化粧道具を入れ、上には鏡を掛けるための柱が付いています。江戸時代は、髪型、化粧の仕方などに決まりがありました。例えば、三人官女の真ん中の女性は既婚者なので、お歯黒と眉そりをしています。

 

茶道具

江戸時代、武家の子女にとって、茶道は必ず身に付けるべき嗜みの1つでした。

 

《7段目》お輿入れ道具

 

駕籠(おかご)

人が乗る部分の前後に太い棒に吊し、何人かで担いで運ぶ乗り物です。

 

重箱(じゅうばこ)

室町時代、上流階級の人々が狩や花見に出かける際に弁当を入れる箱として使われていました。江戸時代に入ると、庶民にも使われるようになりました。

 

牛車(ぎっしゃ)

牛に引かせる乗り物のことで、平安時代には貴族の移動手段として使われていました。「出衣(いだしぎぬ)」といい、女性が乗る時は簾(すだれ)の下から衣や下簾を出すことで女車であることを表しました。人が運ぶ場合は御所車(ごしょぐるま)と呼ばれていました。

 

【豆知識】

いつまでも片付けないと「嫁に行き遅れる」は 本当?

実は「嫁に行き遅れる」というのは昭和初期からの俗信で、あまり根拠がないよう。地方や家によって、旧暦(4月中旬)に合わせて片付けるところもあります。決まった時期に雛を飾り、大切にしまうという心があればよいのです。長く飾りたい場合も、きちんと手入れすれば大丈夫。しまう時間がない場合は、旧暦に合わせるのも一考かもしれません。  このような俗信が現れた理由として、いつまでも片付けないだらしなさを戒めたり、人形自体が厄払いの意味があるため、すぐしまう方がよいとされたという説があります。

 

(日刊サン 2018.02.24)

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