正月行事と正月アイテムの由来と意味(年越し蕎麦、注連縄、 鏡餅、お節料理 etc.)

 01/01/2018 : 634 Views

 元旦は、新年の神様である「歳神様」が各家に降りて来て、1年分の幸福を授けてくれる日と考えられています。この歳神様は、田や山の神、家族や祖先の祖霊とされ、五穀豊穣や子孫繁栄などをもたらします。1月の別称「睦月」は、「むつびづき」「むつましづき」とも言い、新年を迎え、人々が集まって睦みあうという意味があります。 あと1週間と少しで新年を迎えます。今年最後のエキストラ特集では、お正月とその前後のさまざまな行事や、お正月の必需品などについてご紹介します。

 

『日本の礼儀と習慣のスケッチ』(1867年)

 

正月前の行事

大掃除  

 大掃除は、江戸時代、毎年12月13日に江戸城で行われていた「すす払い」が由来です。歳神様を迎える前に家を清めるという意味があり、1年の間に溜まったほこりを払い、念入りに掃除をすると、多くのご利益を授けてもらえると言われています。また、12月13日が「正月事始め」と呼ばれるのは、すす払いの後でお正月の準備を始めていたことに由来します。

餅つき

 古から、日本には穀霊が宿る稲を神聖なものして崇める「稲作信仰」があります。稲から取れる米は生命を維持する神聖な食べ物で、米から作られる餅や酒には、特に強い力が宿っているとされていました。このことから、普通の日である「ケ(褻)の日」に対する特別でおめでたい日「ハレ(霽)の日」に餅つきをするようになりました。ハレの日に供される餅は、お正月の鏡餅の他、桃の節句の菱餅、端午の節句の柏餅などがあります。正月は、その中でも特に大事な行事だったため、年末の正月準備として餅つきをするようになりました。

年越し蕎麦

 江戸時代、月末の忙しい時に町人たちが手っ取り早く蕎麦を食べるという「晦日そば」という風習がありました。この風習が大晦日にだけ残り「年越し蕎麦」と呼ばれるようになりました。蕎麦の薬味として使われるネギは、ねぎらうという意味の「労ぐ(ねぐ)」、祈るという意味の「祈ぐ(ねぐ)」、お清めなどをする神職を指す「祢宜(ねぎ)」に掛けられています。

 

正月の遊び

羽根つき  

 羽根つきには1年の厄を跳ね、子供の健やかな成長を願うという意味があります。室町時代、中国から日本に、硬貨をつけた羽根を蹴るという遊びが伝わりました。室町時代の皇族の暮らしが記録された『看聞日記(かんもんにっき)』には「羽根つきに負けた人は酒を振舞うこととされた」という旨が記されています。その後、羽根つきは厄祓いになると信じられるようになり、江戸時代には、年末、邪気を祓うための羽子板を贈るという習慣が生まれました。また、羽根に使われる無患子(ムクロジ)の実は、子が患わず、魔除けに通じるものとされたことから、女の子の初正月には羽子板が贈られました。

 

凧揚げ

 古の中国では、凧は占いや軍事目的で使われるものでした。平安時代に日本に伝わり、貴族たちが遊びとして使うようになりました。戦国時代には、敵の陣までの距離を測定したり、遠方へ火を放ち攻撃する兵器として活用されていました。江戸時代には、男の子の誕生祝いに凧揚げをする風習が生まれ、庶民の遊びとして広まっていき、正月の遊びのひとつとなりました。凧を高く揚げ、新年の願い事を神様に届けるという意味があります。

 

独楽(こま)回し

 エジプトで発掘された世界最古の独楽は、約4000年前のものと言われています。奈良時代、唐から高麗を経由して日本に独楽が伝わりました。当時、高麗が「こま」と呼ばれていたことが、独楽という名前の由来です。伝わった当初は貴族の遊びでしたが、江戸時代には庶民の遊びとして広まっていきました。「物事が円滑に回る」に通じ、縁起がよい遊びとされています。

 

いろはかるた

 かるたの起源は平安時代の貴族の遊び「貝合わせ」です。語源はポルトガル語で「掟」を意味する「カルタ」です。いろはかるたは、江戸時代後期、子供が遊びながら諺や字を学習するという目的で作られました。

 

双六(すごろく)

 双六は、飛鳥時代に中国から日本へ伝わりました。『日本書記』には、双六が賭博に使われたため「689年、持統天皇が双六禁止令を出した」と記されています。また、東大寺の正倉院には聖武天皇(701〜756)が愛用した「木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)」が納められています。

 双六には「盤双六」と「絵双六」があります。「盤双六」は1対1で遊ぶボードゲームで、それぞれが白と黒の駒を15個ずつ持ち、さいころに従い、盤上で駒を動かして遊びます。「絵双六」は紙に升目と絵が描かれた双六のことです。絵双六の起源は、極楽浄土への道を現した「浄土双六」というもので、江戸時代初期から庶民に親しまれていたと言われています。その後、東海道五十三次を進む「道中双六」や人生ゲームのような「出世双六」が登場し、正月の遊びのひとつとして定着しました。

盤双六で遊ぶ様子「彦根屏風」(17世紀前期)

 

正月後の行事

鏡開き

 1月11日に行われる鏡開きには、正月に区切りをつけ、仕事始めをするという意味があります。江戸時代、武家では武具などを納める櫃(ひつ)を開き、農村では田打ち、商家では蔵開きの行事を行なっていました。鏡開きは武家で行われていた行事が起源であるため、切腹を連想させる刃物は使わず、手か槌(つち)で餅を割ります。また、縁起のよくない「割る」という言葉の代わりに、末広がりを意味する「開く」を使います。おめでたい時、樽酒の蓋を割ってお酒を振る舞う行事も「鏡開き」と呼ばれますが、これは、昔、酒屋で樽酒の蓋が「鏡」と呼ばれていたことに由来します。

 

左義長

 左義長は、1月14日の夜か15日の朝に行われる火祭りです。地方によって、どんと焼き、さいと焼き、ほっけんぎょう、鬼火とも呼ばれます。各家庭から正月に飾られた松飾りや注連縄などを一箇所に集めて焼きますが、この時の火は神聖なものとされ、餅などを焼いて食べたり、灰を頭や体にかけると縁起がよいと言われています。また、日本の正月は魂祭でもあるため、祖霊の供養をするという意味もあります。左義長の起源は、平安時代にさかのぼります。平安貴族の正月の遊びのひとつに、杖で毬(まり)を打ち合う「毬杖(ぎっちょう)」がありました。宮中では、毎年1月15日に、庭に葉竹を束ねて立て、毬杖の杖3本を結び付け、上部に扇子、短冊、天皇の吉書などを飾り、これを陰陽師が太鼓を打って謡いながら焼き、その年の吉兆を占うという行事がありました。毬杖(ぎっちょう)を3本結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれたこの行事が、現在の左義長の起源と言われています。また、漢代の中国が起源の「元宵節(げんしょうせつ)」が起源という説もあります。現在の中国でも、旧暦1月15日の夜に、提灯や灯籠をを飾って元宵節を祝う習慣があります。

 

正月アイテム

お節料理

 お節料理の起源は、弥生時代にまで遡ります。稲作中心だった弥生人たちは、季節ごとの作物の収穫を神様に感謝することで、生活の節目を作っていました。神様には、作物や魚など、その季節に採れた食べ物を供えていました。供え物は「節供(せっく)」と呼ばれ、供えた後に料理をして豊作を願い、自然の恵みに感謝しながら食べました。この料理は「節供料理」と呼ばれ、現在のお節料理の原型となりました。奈良時代、節句行事が中国から伝わり、宮中では、元旦や五節句の行事で「節会(せちえ)」という宴が催されるようになりました。節会で神様に供えられたり、宴で人々に振舞われた料理は「御節供(おせちく)」と呼ばれ、これが略されて「おせち」と呼ばれるようになりました。  江戸時代、宮中行事が庶民の生活に取り入れられると共に、お節料理も全国に広がっていきました。3段重ねの重箱に詰めるのは「めでたさが重なるように」という意味があります。

 

お節メニューの意味

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