日本の繊維、布の歴史と手ぬぐいの文化史

 01/14/2018 : 4148 Views

 

江戸時代

【手ぬぐいは庶民の生活必需品】  

 この時代、都市部近郊に綿花の穀倉地帯が発展し、綿の織物とともに普及していきました。1642年、贅沢を禁止し、倹約を推奨する奢侈禁止令(しゃしきんしれい)が出されると、庶民が絹を身に付けることが禁止されました。その代わりに綿の着物が一般的になり、その端切れから手ぬぐいが作られるようになりました。こうして手ぬぐいは庶民の生活必需品となり、現在のタオルのように使われるようになりました。この頃から「手拭」と呼ばれるようになり、入浴に使う手ぬぐいは「湯手(ゆて)」とも呼ばれていました。元禄期(1688~1703)に入ると、日本国内で綿花の重要量をほぼ100%賄えるようになりました。

朝櫻楼国芳画:『艶 發合』髢(かもじ・髪文字)を作っている女性が「姉さんかぶり」をしているところ

 

【古典芸能の舞台にも登場】  

 手ぬぐいは、日本舞踊や落語の小道具としても使われるようになりました。歌舞伎でも被りものや衣装として登場しました。この頃の庶民は、手拭いの被り方を職種や役割によって変えており、呼び名のない被り方には、よく歌舞伎に由来した名がつけられました。

歌川国芳画:『夕寿豆美』首に手ぬぐいを掛けた男性が夕涼みをしているところ

 

明治時代  

 明治時代、大阪で、布に染料を注いで染める「注染(ちゅうせん)」という染色の技術が生まれました。注染では、1回に20〜30枚を、従来よりも複雑な図柄に染めることができました。この頃から発展していった繊維産業とともに、注染の技術は日本中に広まっていきました。しかし、文明開化で日本に西洋のものが多く入ってくるようになり「西洋のものは流行最先端で、日本のものは時代遅れ」といった風潮が高まりました。手ぬぐいもタオルやハンカチなどにとって代わられ、江戸時代ほどには使われなくなりました。

勝川春章画:『四代目 松本幸四郎』首に手ぬぐいを掛けている歌舞伎役者の絵

 

現代  

 明治時代以降、手ぬぐいは生活必需品という立ち位置ではなくなりました。しかし、感謝の気持ちや特別な時に手ぬぐいを贈るという古来からの慣習は受け継がれ、お店やデパートの贈答品、イベントの記念品などとして需要がありました。2000年代、若者を中心に「和ブーム」が起こると、手ぬぐいの長所や趣が見直され、にわかに注目されるようになりました。さまざまな柄の手拭が小物店や土産店に置かれるようになり、江戸時代の「折り手拭」を応用してティッシュカバーや財布を折って使うなどの実用的なアイデアも次々と生ました。また、スカーフのように首に巻いたり、カバンの取っ手に結んだりと、おしゃれな小間物としても復活しました。

注染で布を染めているところ 

出典:「きものひろば3代目」 http://d.hatena.ne.jp

 

手ぬぐいの色、柄いろいろ

 

青系の地色が定番の柄

かまわぬ

 「構わぬ」が鎌の絵、◯の記号とひらがなで表された柄です。江戸時代の歌舞伎役者、七代目市川團十郎(1791〜1859)が舞台衣装にこの柄を使いました。

 

良き事聞く

 江戸時代の歌舞伎役者、三代目尾上菊五郎(1784〜1849)が図案を考え、「羽の禿」の衣装に使った柄です。「良き」は、「よき」とも読む「斧」の絵、「事」は「琴」の絵、「聞く」は菊の絵で表されています。

 

青海波

 雅楽の演目の名前で、舞う人の装束に使われます。この吉祥文様には「波のように限りなく広がる」という意味があります。

 

蜻蛉(とんぼ)

 蜻蛉は後ろ向きに飛べないため、「勝ち虫」と呼ばれています。戦国時代の武将が好んで用いた柄です。

 

麻の葉

模様が麻の葉に似ていることが名前の由来です。成長が早く、高く真っ直ぐに伸びる麻の縁を担いで、赤ん坊の産着などに使われました。

 

 

 

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