日本の繊維、布の歴史と手ぬぐいの文化史

 01/14/2018 : 3113 Views

『和名類聚抄』

 

 日本の手ぬぐいの原型となった平織りの布片は、約1300年前の奈良時代から使われていました。平安時代中期の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には「太乃己比(たのごひ)」、末期に成立した説話集『今昔物語集』には「手布(たのごい)」という言葉が見られ、共に手ぬぐいのことを指しています。昔の手ぬぐいも長方形で、縦の長さは3〜9尺(約36〜107cm)といろいろなサイズがあったようです。江戸時代以降、現在のサイズ(約90×35cm)に統一されたと言われています。 今回の特集では、繊維、布の歴史を皮切りに、手ぬぐいの由来、色や柄、さまざまな使い方などをご紹介しましょう。

 

繊維と布の起源

 古代から日本にある繊維には、麻、絹、科(シナ)、楮(コウゾ)、芭蕉(バショウ)、楡(ニレ)、藤(フジ)、葛(クズ)などの内皮の繊維を利用したものがあります。現在も使われている麻の一種「苧麻(チョマ)」の原産地は、東南アジア、東アジア、南アジアです。日本には、縄文時代、朝鮮半島に住んでいた人々が日本へ移住して来た際、彼らの持ち物として持ち込まれたと言われています。また、絹を作る養蚕は、紀元前3000年頃の中国で始まり、弥生時代前期(紀元前300年頃)に中国から朝鮮半島を経て、稲作と同時に日本へ伝わりました。中国の歴史書『三国志』の中の「魏志倭人伝」には、「日本でも麻の栽培や養蚕で繊維を採り、織物を織っている」と記されています。

 

麻縄を押し付けた模様のある綱文式縄文土器

出典:「帯広百年記念館」http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/joumondoki

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楮:クワ科で、ヒメコウゾとカジノキの雑種。現代では和紙の材料となっている。

楡:ニレ科ニレ属の樹木。ヨーロッパでは良縁の象徴とされる。

芭蕉:ショウガ目バショウ科バショウ属の植物で、バナナの仲間。

出典:Wikipedia

 

古墳時代  

 283年、秦の始皇帝の末裔、融通王が、中国の秦民を連れて日本に帰化しました。また、百済の昭古王が絹の織工人を日本へ遣わすなどしたことで、日本の織物の技術は飛躍的に高まりました。5世紀末頃、朝廷は、渡来した百済の職工人の孫に絹や麻の服などを織らせ、手本として地方の工人に送りました。こうして、織物技術が徐々に向上していった時代でした。当時、庶民は日本在来種の植物繊維や麻の布製の簡易服を、貴族は絹の着物をまとっていました。

 

飛鳥時代  

 この時代、成年男子には「租庸調」の現物税が課せられ、「調」として麻や綿、粗い絹で織った布の貢納が義務付けられていました。朝廷には織部司(おりべのつかさ)が置かれ、皇族、貴族、僧の服を仕立てるため、目を細かく織った固い絹織物が織られました。また、地方の織物技術の向上を図るため、織部司の文様織りを担う挑文師(あやのし)が地方に派遣されていました。京の都の市には、羅や紗など、さまざまな織り方の布を扱う業者が出始めました。

 

奈良時代  

 奈良時代の布は、麻や絹が主流でした。当時、綿(木綿) はほとんど中国から輸入されていたため、綿織物は特に高価なものとして珍重されていました。綿の布は、仏像、神社の装飾品などの掃除に使われていました。

 

平安時代  

 892年に菅原道真が記した勅撰史書『類聚国史』には、799年、現在の愛知県の海岸にインド人の船が漂着し、彼らが綿の種を日本に伝えたということが記されています。一方で、神事の際に祭礼を司る人が装身具として手ぬぐい状の綿織物を身につけるなど、布、特に綿はまだ貴重品として扱われていました。

 

鎌倉時代  

 麻布が庶民の間で一般的なものになり、手ぬぐいも少しずつ普及し始めました。京都の市には、大舎人織手座、練貫座、小袖座、帯座、絹座、糸座などが出て、織物の専門化、分業化が構築されつつありました。1229年、京都の織物職人たちは、中国から渡来した織物の1つ「唐綾(からあや)」の中国人技術者が逗留していた堺を訪れ、技術を学びました。その後、京都では唐綾が多く織られるようになりました。

 

平安時代の庶民の服装 『伴大納言絵詞』(国立国会図書館蔵)

 

室町時代  

 この時代、手拭いは、水浴びや湯浴みの際、体を洗ったり拭ったりするために使われていました。また、「山繭」の絹に代わり、現在も使われている蚕の絹が中国から大量に輸入されるようになり、戦国大名たちは競って身につけていたようです。周防(現在の山口県)の大内氏は、京都から絹織職人を召喚して絹織物を生産していました。しかしこれは例外的で、一般には中国や朝鮮半島から輸入された絹と綿が使われていました。また、日本の気候風土での栽培に適した綿の種が朝鮮半島から渡来し、綿織物の国内生産が活発になりました。庶民の着物にも、麻や在来種の植物繊維に加えて綿が使われるようになりました。

 

安土桃山時代  

 中国や朝鮮半島からの生糸、絹織物、綿の輸入量がさらに増加しました。それに伴い、綿の手ぬぐいが庶民に浸透し、一般的に使われるようになりました。

 

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