日本の繊維、布の歴史と手ぬぐいの文化史

 01/13/2018 : 1601 Views

●古墳時代

283年、秦の始皇帝の末裔、融通王が、中国の秦民を連れて日本に帰化しました。また、百済の昭古王が絹の織工人を日本へ遣わすなどしたことで、日本の織物の技術は飛躍的に高まりました。5世紀末頃、朝廷は、渡来した百済の職工人の孫に絹や麻の服などを織らせ、手本として地方の工人に送りました。こうして、織物技術が徐々に向上していった時代でした。当時、庶民は日本在来種の植物繊維や麻の布製の簡易服を、貴族は絹の着物をまとっていました。

 

●飛鳥時代

この時代、成年男子には「租庸調」の現物税が課せられ、「調」として麻や綿、粗い絹で織った布の貢納が義務付けられていました。朝廷には織部司(おりべのつかさ)が置かれ、皇族、貴族、僧の服を仕立てるため、目を細かく織った固い絹織物が織られました。また、地方の織物技術の向上を図るため、織部司の文様織りを担う挑文師(あやのし)が地方に派遣されていました。京の都の市には、羅や紗など、さまざまな織り方の布を扱う業者が出始めました。

 

奈良時代

奈良時代の布は、麻や絹が主流でした。当時、綿(木綿) はほとんど中国から輸入されていたため、綿織物は特に高価なものとして珍重されていました。綿の布は、仏像、神社の装飾品などの掃除に使われていました。

 

●平安時代

892年に菅原道真が記した勅撰史書『類聚国史』には、799年、現在の愛知県の海岸にインド人の船が漂着し、彼らが綿の種を日本に伝えたということが記されています。一方で、神事の際に祭礼を司る人が装身具として手ぬぐい状の綿織物を身につけるなど、布、特に綿はまだ貴重品として扱われていました。

 

●鎌倉時代

麻布が庶民の間で一般的なものになり、手ぬぐいも少しずつ普及し始めました。京都の市には、大舎人織手座、練貫座、小袖座、帯座、絹座、糸座などが出て、織物の専門化、分業化が構築されつつありました。1229年、京都の織物職人たちは、中国から渡来した織物の1つ「唐綾(からあや)」の中国人技術者が逗留していた堺を訪れ、技術を学びました。その後、京都では唐綾が多く織られるようになりました。

 

平安時代の庶民の服装 『伴大納言絵詞』(国立国会図書館蔵)

 

●室町時代

この時代、手拭いは、水浴びや湯浴みの際、体を洗ったり拭ったりするために使われていました。また、「山繭」の絹に代わり、現在も使われている蚕の絹が中国から大量に輸入されるようになり、戦国大名たちは競って身につけていたようです。周防(現在の山口県)の大内氏は、京都から絹織職人を召喚して絹織物を生産していました。しかしこれは例外的で、一般には中国や朝鮮半島から輸入された絹と綿が使われていました。また、日本の気候風土での栽培に適した綿の種が朝鮮半島から渡来し、綿織物の国内生産が活発になりました。庶民の着物にも、麻や在来種の植物繊維に加えて綿が使われるようになりました。

 

安土桃山時代

中国や朝鮮半島からの生糸、絹織物、綿の輸入量がさらに増加しました。それに伴い、綿の手ぬぐいが庶民に浸透し、一般的に使われるようになりました。

 

●江戸時代・・・・・・【手ぬぐいは庶民の生活必需品】

この時代、都市部近郊に綿花の穀倉地帯が発展し、綿の織物とともに普及していきました。1642年、贅沢を禁止し、倹約を推奨する奢侈禁止令(しゃしきんしれい)が出されると、庶民が絹を身に付けることが禁止されました。その代わりに綿の着物が一般的になり、その端切れから手ぬぐいが作られるようになりました。こうして手ぬぐいは庶民の生活必需品となり、現在のタオルのように使われるようになりました。この頃から「手拭」と呼ばれるようになり、入浴に使う手ぬぐいは「湯手(ゆて)」とも呼ばれていました。元禄期(1688~1703)に入ると、日本国内で綿花の重要量をほぼ100%賄えるようになりました。

 

朝櫻楼国芳画:『艶 發合』髢(かもじ・髪文字)を 作っている女性が「姉さんかぶり」をしているところ

 

【手ぬぐいは庶民のおしゃれや趣味にも使われた】

また、手ぬぐいはおしゃれをするための小間物としても使われていました。その人の気風、主義、主張を表した絵文字を染めぬいた手ぬぐいを持ち歩いたり、自分で絵柄を考えて発注し、できた手ぬぐいを持ち寄って「手拭合わせ」という品評会が行われたりしました。手ぬぐいを折って着物や果物などの形を作る「折り手拭」という楽しみ方も生まれました。

 

 

歌川国芳画:『夕寿豆美』首に手ぬぐいを掛けた男性が夕涼みをしているところ

 

 

【古典芸能の舞台にも登場】

手ぬぐいは、日本舞踊や落語の小道具としても使われるようになりました。歌舞伎でも被りものや衣装として登場しました。この頃の庶民は、手拭いの被り方を職種や役割によって変えており、呼び名のない被り方には、よく歌舞伎に由来した名がつけられました。

 

 

勝川春章画:『四代目 松本幸四郎』首に手ぬぐいを掛けている歌舞伎役者の絵

 

 

●明治時代

明治時代、大阪で、布に染料を注いで染める「注染(ちゅうせん)」という染色の技術が生まれました。注染では、1回に20〜30枚を、従来よりも複雑な図柄に染めることができました。この頃から発展していった繊維産業とともに、注染の技術は日本中に広まっていきました。しかし、文明開化で日本に西洋のものが多く入ってくるようになり「西洋のものは流行最先端で、日本のものは時代遅れ」といった風潮が高まりました。手ぬぐいもタオルやハンカチなどにとって代わられ、江戸時代ほどには使われなくなりました。

 

 

注染で布を染めているところ  出典:「きものひろば3代目」 http://d.hatena.ne.jp

 

 

●現代

明治時代以降、手ぬぐいは生活必需品という立ち位置ではなくなりました。しかし、感謝の気持ちや特別な時に手ぬぐいを贈るという古来からの慣習は受け継がれ、お店やデパートの贈答品、イベントの記念品などとして需要がありました。2000年代、若者を中心に「和ブーム」が起こると、手ぬぐいの長所や趣が見直され、にわかに注目されるようになりました。さまざまな柄の手拭が小物店や土産店に置かれるようになり、江戸時代の「折り手拭」を応用してティッシュカバーや財布を折って使うなどの実用的なアイデアも次々と生ました。また、スカーフのように首に巻いたり、カバンの取っ手に結んだりと、おしゃれな小間物としても復活しました。

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