日本の夏の風物詩 - ”蛍” 生態の謎と蛍文化

 05/26/2018 : 581 Views

蛍と日本文化

「短 歌」

「ゆく蛍 雲の上までいぬべくは 秋風吹くと雁に告げこせ」

(伊勢物語45段 後撰集252 在原業平 / 平安時代初期)

意訳:飛び上がっていく蛍よ、雲の上まで行くことができるなら、秋風が吹いていると雁に告げておくれ。 身分ある人の娘で大事に育てられた人が、ある男と親しく語らいたいと思っていました。想いを口に出せずにいると、原因不明の病気にかかり、死にそうになってしまいました。娘は「こんな風に死ぬほどに男のことを想っていましたが、もうだめです」と言い、それを聞いた親は男に泣きながら娘のことを知らせました。男は娘の家を訪ねたのですが、その時すでに娘は亡くなっていました。男は喪に服し、水無月(陰暦6月)の末の熱帯夜、追悼のため管弦を奏でました。夜が更けると涼しい風が吹き始め、男は夜空に蛍が高く飛ぶのを見ました。

 

「夕されば 蛍よりけに燃ゆれども 光見ねばや人のつれなき」 (古今和歌集562 紀友則 / 平安時代初期)

意訳:夕方になるとあなたが思い出され、蛍よりも身を焦がすように燃えています。つれないあなたは、私の恋の炎を見ていないのでしょうか。

 

「こゑはせで身をのみこがす蛍こそ いふよりまさる思なるらめ」 (源氏物語第二十五帖 蛍の巻 /平安時代中期)

意訳:声を立てずに身を焦がすばかりの蛍こそ、声に出したあなたよりずっと想いが深いのでしょうね。 蛍兵部卿の宮に想いを告げられた玉鬘は「蛍の方が想いが深いのでしょう」と冷淡にあしらいます。この歌を返した玉鬘は、後を宰相にまかせて奥に引っ込んだので、蛍兵部卿の宮はがっかりしてしまいます。

 

「物思へば 沢の蛍もわが身より あくがれいづる魂かとぞ見る」 (後拾遺集1164 和泉式部 /平安時代後期)

意訳:あなたが恋しくて想い悩んでいると、沢に飛ぶ蛍も自分から彷徨い出た魂なのではないかと思ってしまいます。恋多き女、和泉式部が京都の貴船神社に参詣した時、御手洗川に蛍が飛ぶのを見、最初の夫の藤原保昌を想って詠んだ歌です。この時代、女性は家で夫の訪問を待つしかなかったため、せめて魂だけでも蛍になって、夫のところに飛んでいけたら、という思いを表しています。

 

「俳 句」

己が火を木々に蛍や花の宿(松尾芭蕉)

意訳:木々にとまる蛍たちよ、自分の棲家を自らの光で花の宿に輝かせているのだね。 元禄3年(1690年)の夏、芭蕉が膳所(ぜぜ)木曾塚に逗留していた際に詠んだ句。

 

大蛍 ゆらりゆらりと 通りけり(小林一茶)

意訳:夏の夜、闇の中を大きな蛍が悠々と光って飛んでゆくことだなあ。 文政2年(1819年)一茶が56歳の時に詠んだ歌。蛍は黄泉路への案内の灯りといわれていました。平均寿命が短かったこの時代、いつもよりも大きい蛍を見た一茶は、やがてくる自分の黄泉路への旅を思いながらこの句を詠んだと言われています。

 

手習ひの顔にくれ行くほたるかな(与謝蕪村)

意訳:夕闇が迫る中、寺子屋で手習いをする子供達。行燈も燈さない寺子屋の中は薄暗い。そんな折、1匹の蛍が寺子屋に迷い込み、子供達は歓声を上げてはしゃいだ。寺子屋も、もう店仕舞いだ。

 

水野年方「三十六佳撰 螢狩  天明頃婦人」1891 年

 

 

 

 

蛍の光

卒業式に歌われる、日本唱歌の「蛍の光」。このメロディーはスコットランド民謡の 「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」ということをご存知だったでしょうか。作詞は国学者の稲垣千頴によるもので、4番まであります。ここでは、明治14年(1881年)、小学唱歌集初編に掲載された歌詞をご紹介しましょう。

1)蛍の光、窓の雪、 書読む月日、重ねつゝ、 何時しか年も、すぎの戸を、 開けてぞ今朝は、別れ行く。

2)止まるも行くも、限りとて、互に思ふ、千万の、 心の端を、一言に、 幸くと許り、歌ふなり。

3)筑紫の極み、陸の奥、 海山遠く、隔つとも、 その真心は、隔て無く、 一つに尽くせ、国の為。

4)千島の奥も、沖繩も、 八洲の内の、護りなり、 至らん国に、勲しく、 努めよ我が兄、恙無く。

歌詞の冒頭「蛍の光 窓の雪」は、一生懸命学問に勤しむ少年を讃える中国の故事「蛍雪の功(けいせつのこう)」から来ています。東晋の時代の車胤(しゃいん・生年不明〜400年)という人は、少年の頃、家が貧乏で明かりに灯す油が買えず、蛍の光で勉強していました。同時代の孫康(そんこう・生没年不明)は、夜は窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強をしていたと言います。この2人は、のちに朝廷の高官になりました。

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