日本のしきたり特集(春・夏編)

 05/07/2015 : 439 Views

20日ごろ… 21日……四季の移り変わりと、人々のつながりの中で育まれてきたしきたりから日本の文化を知る「日本の年中行事のしきたり・春~夏編」です。

 

旧暦では4月から6月は春から夏へと季節が変わる時期。春になって花が咲きみだれ、新緑がまぶしい活気にあふれた時期から、梅雨を挟んで夏が始まります。今回はこの季節のしきたりをまとめてみました。

 

4月の行事 …… 桜をはじめ様々な花が咲く新暦の4月は、新学期や入学式、入社式など人生の節目が始まる月。

5日ごろ …… 清明 

上旬 …… 花見

上旬 …… 山遊び

8日 …… 花祭り

13日 …… 十三詣り

20日ごろ …… 穀雨 

21日 …… 壬生狂言

 

5月の行事 …… 立夏をむかえると、暦の上では夏。新緑が広がる過ごしやすい季節でもあり、祭礼行事が多い。

2日ごろ …… 八十八夜 

3日 …… 博多どんたく

5日 …… 端午の節句

6日ごろ …… 立夏

15日 …… 葵祭

18日ごろ …… 三社祭

21日ごろ …… 小満

 

6月の行事 …… 陰暦の6月は田に水を引くため水無月と呼ばれるようになった。新暦では梅雨の時期。

 

1日ごろ …… 衣更え

4日ごろ …… 金沢百万石祭り

6日ごろ …… 芒種

11日ごろ …… 入梅

15日 …… 山王祭

22日ごろ …… 夏至

30日 …… 夏越の祓え

 

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦年中行事のしきたり♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦

⌈花見といえば、桜ではなくもともとは梅だった⌋

 春の行事といえば、まず「花見」が思い浮かびますが、花見で愛でていたのは桜ではなく、もともとは梅でした。  花見の歴史は古く、奈良時代にはすでに行われていました。万葉集にも「花見」という言葉が出てきますが、このとき愛でていたのは梅でした。平安時代以降に梅から桜へと変わったのです。花見の花が梅から桜に変わったきっかけは、812年、嵯峨天皇が神泉苑で桜の花を楽しむ行事を催してから。この宴のために、御所の庭では梅の木が桜の木に植え替えられたと言われています。桜の花が咲くころは、ちょうど稲の種まきの時期に当たるため、桜は稲の象徴とされていました。満開の桜は、秋の豊作の予兆として喜ばれていたのです。こうした豊作への願いが、花見と結びつき、次第に桜が定着していったようです。

●ソメイヨシノ

 江戸時代末期に染井村(現在の東京都駒込付近)の職人が何種類かの桜をかけあわせて作った品種。葉が育つ前に花が開花するため、見事だが散りやすい。現在、桜と言えばソメイヨシノというほど各地で見られるが、ソメイヨシノが普及する前は奈良産の吉野桜が有名だった。

 

⌈八十八夜の「八十八」とは?⌋

「八十八夜」とは、立春から数えて八十八日目の日をさします。現在の暦では、立春が2月4日ごろ、八十八夜は5月2日ごろになります。八十八夜は、春から夏へと季節が変わり、夏への準備をする節目の日とされているのです。でも、どうして「八十八」なのでしょうか?「八」という数字は、その形から「末広がり」につながるため、おめでたい数字とされてきました。さらに、八十八という数字を組み合わせると「米」になります。古来、米は貴重で尊ばれていたので、そうした意味もあり八十八はとても縁起のよい数字だったのです。また、「八十八夜の別れ霜」といわれるように、このころから霜の心配をしなくてもよくなる日とされ、農家にとって苗代作りや種まきの目安となっていました。八十八夜は新茶の季節でもあります。

 

 

⌈鯉のぼりにはどんな意味があるの?⌋

5月5日の端午の節句は、男の子の節句として鯉のぼりや鎧兜を飾り、しょうぶ湯に入ります。しかし、本来の端午の節句とは、女の子のためのものでした。早乙女と呼ばれる若い娘たちが、田植えの前に穢れを祓うため、神社で身を清める行事だったのです。それが武家社会になるにつれて、男の子の祭りとして定着しはじめました。鯉のぼりをあげるのは、男子の立身出世の意味があります。これは中国の登竜門伝説に由来したもの。黄河上流の龍門に鯉がのぼると、鯉が龍になるという伝説から、男の子が強くたくましく成長してほしいという願いが込められていました。しょうぶ湯に入るのは、「菖蒲」が「勝負」に結びつくことから、武家の男子がたくましく育つための行事として発展しました。

 …… 鯉は家族をあらわし、黒の真鯉が父親、赤の緋鯉が母親、その下の子鯉が子供にあたります。

籠玉(かごだま)…… 竿の先端についている籠玉には、神の加護がたくさんあるようにとの願いが込められています。その下の矢車は、神を招くと同時に魔除けの効果があります。

吹き流し …… 青・赤・黄・白・黒の五色は、陰陽五行説の「五行」を表しています。邪気を払う力があり、五穀豊穣も表現しています。

 

⌈衣更えは宮中行事だった⌋

日本では「衣更え」という習慣があり、夏服は6月1日から、冬服は10月1日を基準に季節に合わせた衣服に替えるしきたりがあります。四季のある日本ならではの習慣ですが、もともとは平安時代の宮中行事がルーツとなっています。冬から夏へ、夏から冬へと季節が変わる節目は、厄日とされていたため、装いを夏装束から冬装束に、または冬装束から夏装束に替えることで、それまでにたまっていた厄を払うという意味がありました。平安時代には年に2回だった衣更えが、江戸時代には幕府が定めるものとなり、年に4回も行われるようになりました。衣更えが4回になったのは、平安時代よりも着物の種類が増えたためでした。明治時代に入り、衣更えは4回から2回に戻り、それが現在も続いているのです。

 

「夏越しの祓え(なごしのはらえ)」には、 どうして茅の輪(ちのわ)をくぐるの?

 

「夏越しの祓え」とは、6月30日(晦日)に神社で行われている祭事です。この日は、神社に直径2~3メートルの茅の輪(ワラと茅(カヤ)で作った大きな輪)が設置され、この輪をくぐると穢れが払われ、災厄を免れるといわれています。また、寿命が延びるともいわれているのです。神道では、穢れや災いは日々積み重なっていくと考えられています。そのため、季節の節目に穢れを祓う必要があると考えられていました。そこで重要視されるようになったのが、半年に一度大々的に穢れを祓う「大祓」です。6月の晦日(末日)に行われるものが「夏越しの祓え」で、12月の大晦日に行われるものが「年越しの祓え」です。それでは、どうして茅の輪をくぐるようになったのでしょうか?古来、茅(かや)には悪霊や邪気を祓う力があると考えられていました。茅の根の部分が赤いことから、「血」が連想されるため、茅が特別な力を持っていたという説や、茅が「ち」と読めることから、やはり血につながるという説などがあり、茅は神聖視されていたのです。茅葺屋根でも知られるように、茅は日本人の生活に深く根付いたものでした。

 

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