平安時代の暮らしと王朝文化

 03/20/2018 : 1545 Views

 

【風呂】  

貴族の屋敷には「湯殿」「風呂殿」と呼ばれる風呂場がありました。お湯に入るのではなく、密室になっている湯殿に沸かしたお湯を運び入れ、蒸気を充満させて入る現代のミストサウナのような蒸気風呂でした。入浴中は下に布を敷いて座ったのですが、この布がのちの「風呂敷」の語源になりました。風呂を出た後は湯で体を流し、召使いに手ぬぐいで拭いてもらっていました。

 

【トイレ】  

屋敷内にトイレはなく、用を足す時は「樋箱(ひばこ)」または「樋殿」「御小用箱」と呼ばれた持ち運びできる木の箱を使っていました。トイレットペーパーの代わりに、木片を柔らかくしたものなどがつかわれていました。樋洗(ひすまし)という召使いが樋箱の管理をしており、排泄物が溜まると近くの川まで流しに行きました。溜まるまでは家に置いていたので、屋内は常に臭かったと言われています。平安時代の物語などに「おくゆかしいもの」として登場するお香は、主に樋箱から漂ってくる臭いを消すために焚かれていました。実は、奈良時代に原始的な水洗トイレがあったのですが、平安時代には使われていなかったと言われています。

 

持ち運びできる便器(https://plaza.rakuten.co.jp)

 

 

 

『庶民の暮らし』

 

 

住居  − 半アウトドアライフ

庶民の大半は農民で、他に商人や漁師もいました。地方の庶民は、竪穴式住居や簡素な小屋に住んでいました。洞穴に戸を建てて住んでいる庶民もいたようです。平安京に住む庶民は、床や土間のある一般家屋に住んでいました。

 

【風呂】  

川や池で水浴びをしたり、村に設置された公共の蒸気風呂に入って体を清めていました。蒸気風呂は、小屋や洞窟などを密閉し、沸かしたお湯の入った釜を中に入れる、または石を置いてそれを温め、そこに水をかけて湯気をたてるという構造だったと考えられています。蒸気で温まった後は、葉っぱや木片などで体をこすって垢を落としました。『枕草子』ではこの蒸気風呂について「小屋ありて、其の中に石を多く置き之を炊きて水を注ぎて湯気を立て、その上に竹の簀を設けてこれに入るよしなり。大方村村にあるなり。」と記されています。

【トイレ】  

樋箱を使う庶民もいましたが、多くの人々は外で用を足していました。用を足す時は高下駄を履き、衣服の裾を汚さないようにしていました。後期には、穴を掘って用を足す汲み取り式のトイレが登場しました。

 

食事  − 粗食

麦、アワ、キビなどの雑穀を粥にしてかさ増ししたものや、干物や漬物など、日持ちがするものを食べていました。新鮮な食材を口にする機会は、ほぼなかったようです。

 

服装 − 簡易服

上下が分かれ、前で打ち合わせる「直垂(ひたたれ)」という衣服を着ていました。直垂は古墳時代から着用されていましたが、のちに庶民階級を受け入れつつ発展した武家社会でも着られるようになりました。

 

『平安時代の文化』

○国風文化

894年、中国の文化や技術を日本に伝えてきた遣唐使が廃止され、その後も中国からの商人が都に出入りして貿易は続いていたものの、遣唐使があった時代に比べると中国文化の日本文化への影響は直接的ではなくなりました。こうして、日本独自の文化「国風文化」が盛んになりました。国風文化は11世紀ごろに確立され、現代日本の建築物、芸術品などに受け継がれている日本的な美の概念を築きました。

 

【日本的な美とは】  

一般に、西洋の美にシンメトリー(左右対称)が多いのに対し、日本の美にはアシンメトリー(左右非対称)が多いという特徴があります。アシンメトリーな構図と、それに対応する優美な曲線、大胆ながらも柔らかな色彩、余白を活かすデザインなどが、日本的な美の特徴とされています。

 

○仮名文字

読み書きに漢字が使われていた奈良時代、漢字の音を表す「万葉仮名」という文字がありました。平安時代に入り、万葉仮名や漢字を簡単にしたひらがな、カタカナの仮名文字が登場し、特に高貴な女性の間で好んで使われるようになりました。

 

古今和歌集「高野切」巻第一春歌上の冒頭(五島美術館蔵)

 

 

 

 

 

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