平安時代の暮らしと王朝文化

 03/20/2018 : 1519 Views

 

 

●衣冠(いかん):主に宮中で着用された勤務服で、「宿直装束」とも言います。束帯とほぼ同じ作りですが、下に着る物がいくつか省かれています。ベルト部分は衣装の共布でできた「くけ紐」で、ゆったりした袴は「指貫(さしぬき)」と呼ばれます。身分や役職により、色や模様が異なりました。

 

a 冠、b 袍、c 檜扇(ひおうぎ)、d 指貫(さしぬき)

 

【豆知識】

 

平安時代の日本の人口は500〜600万人だったと言われ、そのうちの12万人が平安京で暮らしていました。平安京に住む人々のうち、貴族は約1600人、貴族に使える官人は約1万人でした。 

 

 

女性

貴族の女性は、普段から十二単を着ていました。「唐衣裳(からぎぬも)装束」「女房装束」とも呼ばれます。上半身には、外側から羽織る形の唐衣(からぎぬ)、表着(うえのきぬ)、紅染の打衣(うちぎぬ)、袿を5枚重ねた五衣(いつつぎぬ)、単衣(ひとえ)を着て、下には筒状で緋色の長袴(ながばかま)を履き、裳(も)という布を腰で結んで後ろに垂らしました。

 

十二単(wikipedia)

 

 

食事   − 元祖ジビエ

 

 

●主食:強飯や粥、うどんのような麺類

●主菜:イワシ、アユ、貝類、ハト、スズメ、ヤマドリ、イノシシ、クマ、タヌキ、ウサギ、アザラシ、アシカなど

●副菜:大豆、小豆、黒豆、ネギ、ニラ、セリ、ジュンサイ、ナス、タケノコ、キノコ、イタドリ、タラの芽、瓜、桃、柿、柑橘類など御所や貴族の家には「庖丁師」と呼ばれる人がいて、調理を担当していました。調理法は焼く、蒸す、煮る、干物にするというもので、揚げものはありませんでした。基本の味付けは塩と酢で、他には醤(ひしお)、ワサビ、はじかみ(ショウガ)などで調味していました。

 

 

住居  − 陰翳礼讃!

 

【寝殿造】  

位の高い貴族の家は「寝殿造」という様式で建てられました。敷地は一町(約109m)四方で、泥土をついて固めて作った「築地塀(ついじべい)」で囲まれていました。敷地の中心には南向きの寝殿を建て、寝殿の北側、東側、西側にそれぞれ北の対、東の対、西の対と、「対の屋」という別棟を建てました。寝殿とそれぞれの対の屋の間は渡り廊下の「渡殿」、両側に壁のない渡り廊下「透渡殿(すきわたどの)」でつなぎました。寝殿の南側に造られた庭園には、南へ向かって左右に広がる池があり、池の中心に島が作られ、岸と島を橋で渡しました。池の東西に建てられた吹き放ち式の建物「釣殿」では、納涼や宴会、月見などが行われました。  

中心となる寝殿には、主に家長の男性が暮らしていました。寝殿の周囲には一間(182㎝)ごとに「廂(ひさし)」という柱が建てられました。廂の外には「簀子(すのこ)」という縁側があり、廂と簀子の間は、角材を縦横に格子状に組んだ「格子」で仕切られていました。建物の内部は丸柱が建つ吹き放ち式の空間になっており、「御簾」「屏風」「几帳」で間が仕切られていました。床は白木の板で、座る時は、畳や、い草を渦巻き状に編んだ敷物「円座(わろうざ)」を敷きました。

 

寝殿造(東三条殿)(contest.japias.jp)

 

【照明】

●燈台(しょくだい):室内用で、油を入れた燈盞(とうさん)に、油を含ませた点燈芯を浸して火をつけたものです。本体は金属や木でできており、紙や布の芯にゴマ、エゴマ、麻、椿の油が浸されていました。

●燈籠(とうろう):主に縁側で使われました。天井や軒先に吊るして使う家のような形の釣燈籠や、下に置いて使う台燈籠など、いろいろなタイプのものがありました。

●紙燭(しそく):移動の際に使われました。細く割った松の木を炭火で炙って火をつけ、握る部分には紙がまかれていました。

●松明:庭や玄関を照らすのに使われました。松の木に、松ヤニや油を浸した布を巻き、それに火をつけていました。

 

釣燈籠(Wikipedia)

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